琥珀色の戯言

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【読書感想】第149回芥川賞選評(抄録)


文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]

文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]



今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった藤野可織さんの『爪と目』と芥川賞の選評が掲載されています。
恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

小川洋子
『すなまわり』、『爪と目』の二作を推した。一見雰囲気は違っているのに、並べてみるとこの二作品は驚くほどよく似ている。遠い場所で別々に育てられた双子のようだ。どちらの登場人物も閉じられた空間にいて、まるで外側には世界などないかのごとくに振る舞う。不条理な状況と折り合いをつけるため、感情を消し去り、視界を遮り、世界をいっそう狭めてそこの独裁者になろうとする。


(中略)


 死者の声はあくまでも無音だ。無音を言葉に変換するのではなく、無音のままに言葉で描くのが小説ではないだろうか。『想像ラジオ』を読んでそんなことを考えた。

島田雅彦
(『想像ラジオ』について)


 じっくり読めば読むほどに、この作品は微笑を誘う小ネタ満載で、実にサービス精神の行き届いたエンターティメントに仕上がっていることがわかる。曲の選曲も、DJの自分語りも、寄せられるエピソードも、そして、それらの構成も技巧を極めている。だが、逆にこのウエルメードぶりにあざとさを感じてしまうのも事実で、たとえていえば、司会があまりに芸達者なので、ゆっくり死を思うことができない葬儀に列席しているような感覚である。


(中略)


「爪と目」は成功例の少ない二人称小説としては、例外的にうまくいっている。父の愛人と娘の微妙な関係の変容を三歳児の頃から今にいたるまで、つぶさに観察したその記録なのだが、表向き優しそうでいて、底意地の悪い愛人を見つめる眼差しの物語といってもいい。

堀江敏幸
(『想像ラジオ』について)


 この誠実さが周到さと読み違えられる危険も覚悟のうえで、作者はこの小説を書いた。だからこそ、次にやってくる想像上のDJが沈黙でしか表現できない人だったらどうなるのか。と余計なことを考えさせられた。

高樹のぶ子
 私は死者を利用して小説を書きました、しかもその小説は、当然ですが死者の真実ではありません、私の想像であり創作です。
「想像ラジオ」には、その居直りと確信がある。小説を書く目的として最も相応しくないのがヒューマニズムだということも、作者は知っている。この作品をヒューマニズムの枠組で読まれることなど望まず、作者としては樹上の死者のDJを愉しんで貰いたかったのではないか。


(中略)


 小説の大きさとは詰まるところ、作者が人間をどのサイズで捉えているかだ。今回の候補作中、もっとも大きな小説だったと、選考委員として私も、蛮勇をふるって言いたい。蛮勇には蛮勇をである。

宮本輝
 だが、私は題にもなっている「爪と目」を使っての最後の場面は、単なるホラー趣味以外の何物でもない気がして首をかしげざるを得なかった。爪と目が、この小説の奥に置こうとしたものの暗喩になりきっていなくて、強くは推せなかった。


(中略)


 いとうせいこうさんの「想像ラジオ」は、もっと論議の対象になると思っていたが、案外に票を集めなかった。
 いとうさんらしい着想の、手慣れた筆運びだ。しかし、実際には聴こえるはずのない想像ラジオのDJもリスナーたちも、すべて3・11の被害者たちであり死者であることを念頭に置くと、生死という難題を小手先ですり抜けるわけにはいくまい。おちゃらけでは済まない重いテーマを、いとうさんの得手の手口だけで小説にするのは無理だったと思う。

川上弘美
 いとうせいこうさんには、ほんの少しの遠慮があったのではないか。それでも、このテーマを描こうとしたいとうさんを、わたしは尊敬します。トライしないで平穏でいるよりも、トライして突き当たる、それが小説家の心意気だと思うので。これからもまた、さまざまな作品を読ませて下さい。

山田詠美
(『想像ラジオ』について)


 とは言え、この軽くも感じられるスタイルを取ったのは、死者を悼む人間の知恵だなあ、と感心した。しかしながら、やり過ぎの感もあり、死者のための鎮魂歌が鎮魂歌のための死者方向に重心を傾けたようで気になった。

村上龍
『想像ラジオ』の著者は、安易なヒューマニズムに陥らないために、いろいろな意匠を凝らしたのだと思う。だが、既出の映像が膨大かつ強烈で、文学としてそれらに「立ち向かう」ことがあまりに困難だったために、結果的に、また極めて残念なことに、作品からはヒューマニズムだけが抽出されることになった。

奥泉光
 そもそもいとう氏が新人なのかと云う疑問は、まあ新人の定義などは最初から曖昧なのだからいいとして、正しい評価の距離をとれる自信がなかったからである。


(中略)


 しかし、技術を最大限に駆使しながらも、最後のところでは技術の要請を無視してでも、死者の声を直截に響かせたい、読者の耳に届かせたいと、作者が強く願ったこともまた間違いなく、そのことが小説を「脆弱」にしていると同時に、その「脆弱」さそのものが読者を惹きつける強い熱の根拠になっている。


(中略)


 受賞作になった藤野可織氏の「爪と目」は、二人称を巧みに使った一篇である。二人称小説はときおりみかけるが、成功した作品は少ない。そんななか本作は、三歳の少女である「わたし」と、義母となった「あなた」との、さして長くない時間の出来事が描かれるのだけれど、主人公を「あなた」の二人称に設定することで、その後の母娘の長い時間にわたる関係の濃密さを予感させ、小説世界に奥行きを与えることに成功している。


 149回芥川賞は、下馬評通り、藤野可織さんの『爪と目』が受賞。
 16年ぶりの作品、そして、東日本大震災を扱っているということもあり、話題となっていた、いとうせいこうさんの『想像ラジオ』は受賞ならず。
 僕は『想像ラジオ』にかなり入れ込んでいたので、「『爪と目』はさておき、二作受賞でも良いんだから、『想像ラジオ』も……」と思っていました(というか、今でも思っています)。
 この「選評」の抄録も、今回は『想像ラジオ』についての話が多くなっているのですが、『文藝春秋』に掲載された選評でも、この作品についは、選考委員全員がなんらかのコメントをしており、多くの言葉が並んでいます。
 受賞作『爪と目』よりも、語られている分量は、はるかに多いのです。
 『爪と目』は「著者の最高傑作」など、比較的シンプルに称賛するコメントばかりでした。 
 その代表的なものとして、奥泉光さんの選評を読んでいただければわかりやすいのではないかと。


 選評を読むまでは、「なんで『想像ラジオ』じゃないんだ?」と思っていたのですが、これを読んでみると、選考委員がみんな自分で小説を書いている人である、ということが、『想像ラジオ』という作品への評価の分裂につながっているようです。


 小川洋子さんが「死者の声はあくまでも無音だ。無音を言葉に変換するのではなく、無音のままに言葉で描くのが小説ではないだろうか」と書いておられるのですが、実際に「そういう『無音を言葉にして』小説を書いている側」からすれば、いとうせいこうさんの「饒舌な震災小説」は、「あまりにも直球すぎる」と感じられたのではないでしょうか。
「それが許されるのなら、苦労はしない」って。
 ただ、ここに並べた抄録を読み比べていただければわかると思うのですが、同じ作品に対して、「おちゃらけでは済まない」と言う人もいれば、「ほんの少し遠慮があったのではないか」と感じた人もいたのです。
 島田雅彦さんの「司会があまりに芸達者なので、ゆっくり死を思うことができない葬儀に列席しているような感覚」というのは、すごくよくわかるたとえで、僕がこの震災にもっと近い場所で関わっていれば、『想像ラジオ』に、そういう「あざとさ」を嗅ぎ取ったのかもしれません。
 僕が昔、自分の親の葬式に「名調子」で朗々と語る葬儀社の人に、嫌悪感を抱いたのと同じように。
「ラジオのDJ」っていう形式や、「DJ(パーソナリティ)にはホンネを語れる」「深夜ラジオには、世の中の『ふだん伝えられない本当のこと』が隠されているのではないか」という感覚も、たぶん、いま還暦越えくらいの人には、ちょっとわかりにくいのではないかと思いますし。
 
 結果的には「大きなものに『脆弱さ』を抱えながら立ち向かっていった小説」ではなく、「身近なものを、丁寧に掬い取った小説」が受賞することになった今回の芥川賞
 いずれにしても、名だたる選考委員たちも「小説はあの震災に対して、どう向き合っていくのか」について、まだ試行錯誤の最中なのだ、ということなのでしょう。
 個人的には「だからこそ、『想像ラジオ』を、受賞作として世に問うてみてほしかった」というのが僕の気持ちです。
 『爪と目』は秀作だけれど、「いかにも最近の芥川賞を獲りそうな、女性作家、母と娘、身体感覚に頼ったクライマックス、感情や主体性を失った人間」という作品でもあったので。
 
「小説家が小説の賞を選考すること」「世代間の感覚の乖離を埋めること」の難しさをあらためて感じた、今回の選考でした。

楊逸さんの『時が滲む朝』のときは、「テーマの大きさを評価する」って選考委員が多かったんだけどなあ……(ちなみに楊逸さんがその前に候補だったときには「日本語が下手」って切り捨てられていました)


爪と目

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想像ラジオ

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参考リンク:『想像ラジオ』感想(琥珀色の戯言)

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