- 作者: TBSテレビ『NEWS23』取材班
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/04/20
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
爆心地で奇跡的に一命を取り留め67年ぶりに再会を果たした幼なじみ、惨状を目の当たりにして呆然とする女性、救えなかった命の重みを思い続ける男性…。広島出身の女優・綾瀬はるかが被爆者や沖縄戦の関係者のもとを訪ねます。今まで語ることのできなかった辛い戦争の記憶。今、語り継いでいきたい大切な記録。
人気女優をつかって、安易に「反戦番組」をつくってもねえ……
そんなやさぐれた気分で、僕はこの本を読んでいました。
でも、これを読んでいると、この企画は、人気女優だから、というより「綾瀬はるかさんだから」成り立っているのではないか、という気がしてきます。
この本のもとになった番組を制作したプロデューサー、吉岡弘行さんは、「おわりに」で、番組の舞台裏を、こんなふうに語っておられます。
シリーズ企画の全般を担当したディレクター・久留島かほ里は次のように話します。
「皆さんインタビュー中に、当時の様子をまざまざと思い出し、言葉に詰まり、涙して『思い出すのは辛い』と言葉を失われます。そんな時、綾瀬さんも本当に辛そうで、『これ以上お話を伺うのは、もう……』とインタビューを中断することも度々ありました」
そんな時、綾瀬さんは、おばあちゃんのむくんだ足をさすり、車椅子を押し、おじいちゃんのミカンの皮を剥いて、時に三時間、四時間もかけて少しずつ被爆者の方に寄り添います。そして、相手はポツリポツリと、今まで胸にしまっていた体験を語り始めるのです。
広島で生まれ育ったという綾瀬さんは、僕よりちょうど干支一回りくらい年下なのですが、おそらく、同じように8月6日は登校日で、講堂で原爆の話を聞いていたのではないでしょうか。
この本の冒頭で、綾瀬さんが、綾瀬さんの祖母に原爆の話を聞いたときのことが紹介されています。
「ずっと一緒に暮らしてきた祖母にも、直接原爆の話を聞いたことがない」という綾瀬さん。
原爆でお姉さんを亡くしたという記憶は、自分の孫にさえ、語るのがためらわれ、身内にとっても、こういう機会でなければ、尋ねづらいものだったのです。
被爆者のひとりは、夫の死の状況について、こう語っておられます。
川べりにいて奇跡的に即死を免れた信一さんとマサコさんは川で再会しました。
綾瀬「その姿を最初に見た時に、どういう……」
野村「あの姿でしたら、もうあの辺に行かれにゃよかったな。全員真っ裸で、息も絶え絶え、唇はこんなはれ上がっとるし、『水くれー、水くれー』と言うてねえ。『腹がにがる(苦しい)』と言うて……、やっぱりガス吸うておられた関係でしょう、とにかく、鼻の息があんまり苦しい言いよられた。耳が聞こえたから、話がちいとできたんです。とにかく、とにかく、『息ができん、苦しい、息ができん、苦しい、水くれ』言うのが、精一杯でした」
信一さんは、全身にやけどを負っていました。
野村「臭かったですよ、やっぱり臭いがね」
綾瀬「その……焼けた臭いというか……」
野村「もうじっとしとられませんの、苦しいので。グルグルのたれまわってね。ええ。今思うても、ぞーっとします。生き地獄ですよね」
せめて最期に、と、三歳になる娘さんの手を握らせようとしたそうです。
野村「手を握らそう思うても、とにかく皮が剥けてね、もうみなボロボロ、ほじゃけ握ろう思うても、恐ろしかったんかどうか、娘は父の手を握りませんでした」
広島で被曝した西村一則さんの話。
爆心地から1.5キロの場所にいた西村少年は、右半身にやけどを負い、左足を骨折しました。炎が目の前に迫り、もうダメだと思ったその時。
西村「『おい、西村』言うて声がしたんよね。ひょっと見たら、真っ黒い顔して、皮膚がダラッと下がって、全然誰やらわからんのよね。『あんたは誰や?』言うたら、『柳田よ』」
変わり果てた姿の、友人、柳田君でした。
西村「大きな体した元気な男じゃったんですよ。柳田が『よし、わしが負うちゃろう』言うてからね」
西村少年は、柳田君ともう一人の友人、西久保君に支えられながらも、必死で町の外へ逃げます。
西村「ひょっと見たらね、真っ赤なトマトがあるんよね」
疲れ果てていた三人は、畑のトマトをちょうだいしました。しかし……。
西村「わしがトマトを食べよったらね、柳田が、『おー、わしはトマトが食えんわいや、こりゃ何にも食えんかのう』言うてから、泣き出してね。ひょっと見たら、食べれんわいの。口が潰れたようになって、皮膚が垂れ下がって……。目が腫れて、頬がこうなって……。『トマトが食べれんわ。わしは』言うて泣き出してね。柳田が……」
柳田君はもう、助かりそうにありませんでした。
西村「わしが情けなかったんはね、柳田がもし、わしに声をかけてくれんかったら、わしはおそらく、助かっとらんかもわからん」
三ヵ月後、柳田君と西久保君は亡くなりました。西村さんは、戦後50年、二人の話をしませんでした。
この本は「生存者の証言」で構成されています。
もちろん、「それでも、生き延びることができてよかった」という人もいます。
その一方で、68年が経っても「自分が生き残ってしまった理由」を問い続けている人も、少なくないのです。
西村さんは、何も悪いことをしたわけじゃない。
でも、「こうして自分を助けてくれた友達が命を落とし、自分が生き残ってしまったこと」のつらさは、消えることがありませんでした。
戦争が起きて、ひとりの人間が死ぬこと、死んでいくことには、こんなに「重み」がある。
でも、時間が経つと、人はその「記憶」を忘れてしまう。
あるいは、「なかったこと」にしようとしてしまう。
広島、長崎、沖縄、ハワイなどを訪ね、綾瀬さんは関係者にインタビューをしていきます。
真珠湾攻撃で亡くなったパイロットの家に嫁いだ女性は、こんな話をしています。
真珠湾攻撃から7ヵ月後、1942年(昭和17年)7月8日。飛行兵戦死者のうち49人が、新聞で大々的に報じられました。
その一人だった飯田房太さんの地元では、記念碑を建てる計画が持ち上がり、伝記も編纂されました。群馬県に住んでいた喜久代さんは、新聞で感銘を受け、伝記を手に入れ、手紙をしたためました。
飯田「女学生みなそうですよ、小学校、女学校、中学生もね、みな感激してね。そういう手紙を書く人が多かったですよ。英雄ですよ、そりゃ。軍神扱いでね」
あこがれの飯田家に嫁ぎましたが、8月15日の終戦で状況は一転します。
飯田「それまでは家の前通ってね、みんな小学生も最敬礼してね、それから学校に行ったんですよ。それが8月15日になったらクルッとひっくり返って、もう誰も来なくなったの。真珠湾攻撃なんかに行ったから負けたんだということでね。あんなこと始めたからアメリカに負けたんだと……」
飯田房太さんの母親は、戦後、真珠湾について何も語らなかったといいます。
こういうのは、ある意味「生き抜いていくための、人びとの知恵であり、処世術でもある」と思うのです。
でも、当事者にとっては、こんなに残酷なことはなかったのではないでしょうか。
自分は、その時代の「正しさ」に全力で従っただけなのに、みんなもそれを称賛していたのに、戦争に負けたとたん、すべてが「クルッとひっくり返って」しまったのです。
原爆で大けがをして瓦礫の下敷きになり、もう助からないという状況に陥った少年は、こんなことを言い残していたそうです。
加藤「『君はもう助けられんよ』と。『戦地の兵隊さんとおんなじだからね』言うて、『日本男児だからね、泣くなよ』と、つまらんことを言うて」
立ち去ろうとすると、男の子が言ったのです。
加藤「『お兄さん、アメリカに敵を取ってくれ。僕の敵を取ってくれ』と」
「原爆のおかげで、戦争が早く終わって、結果的により多くの人の命が救われた」と言う人もいます。
もし、原爆投下がなくて、戦争が長引いていれば、僕の父か母が命を落とし、僕はこの世に生まれていなかったかもしれません。
だからといって、原爆に感謝などできないけれど……
この少年の霊魂というものがあったなら、彼は、いまの日本をどう見ているのだろう?
この本のなかで、いちばん心に残ったのは、長崎で被曝した女性の、こんな言葉でした。
綾瀬「やっぱり耐子さんが、いろんな経験のお話を、今まであまりされていらっしゃらないっていうのは?……」
耐子「したくない」
綾瀬「そうですよね、思い出したくない」
耐子「表に出ない嫌なことを、いっぱい受けてきたからね」
綾瀬「原爆に遭われた人は、口で何か言われたりとか?」
耐子「原爆はすごい差別だったんですよ。もう産むのか産まないのか悩んで、どうしようと思って……」
被曝した女性は、戦後、結婚、出産など、ことあるごとに、言われのない差別を受けてきたのです。
綾瀬「戦後も、本当にいろんな語りきれないほど、嫌な思いとか本当にあったんですよね、きっと」
耐子「ものすごい差別があって」
龍「そういうことがあったから、私も息子たちにあまり原爆のことを……」
耐子「言いませんね。私も話さないし。子供に背負わせてしまうものが多すぎる。私の中にあるものだから、私と一緒に死んでくれる」
綾瀬「……」
今だって、放射能のことは、すべてがわかっているわけではありません。
広島、長崎、チェルノブイリなどの「負の記録」も、福島での放射能対策で、活用されているのも事実ではあるのですが……
当時は「無知」もあったのでしょう。
でも、そういう「表に出にくい差別感情」みたいなものは、あれから70年近く経っても、この国で受け継がれてきたのです。
それは、福島の原発事故の後、ふたたび顕在化してきました。
「昔の日本人は、愚かなことをした」
いや、たぶん人間というのは、潜在的に「いつ愚かなことをしても、おかしくない」のだと思うのですよ。
生まれた時代や環境によって、影響を受けずにはいられないし。
「アメリカに敵を取ってくれ」と言い残した少年も、今の時代に生きていたら、『ポケモン』とかで遊んで、「今年の夏は暑いなー」なんて言いながら駆け回り、真黒に日焼けしているはずです。
少なくとも、僕は自分が生きている時代に、柳田君の涙を見たくない。
(ただ、こうしている間にも「世界のどこか」で似たような悲劇は起こっているはずです。僕が見ていないだけで)
資料としては、もっと詳しい話が書かれている本もたくさんあります。
というか、この本は、描写も抑えめだし、綾瀬はるかさんの写真も多くて、「生真面目な反戦本」とは言えないかもしれません。
でも、「綾瀬はるかさんへの興味」からでも、少しでも、あの戦争のことについて知ってもらいたい、と制作者は願っているはずだし、僕もそう思います。