琥珀色の戯言

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【読書感想】英国一家、日本を食べる ☆☆☆☆☆

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)


Kindle版もあります。

英国一家、日本を食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション

英国一家、日本を食べる 亜紀書房翻訳ノンフィクション

イギリスの「食いしん坊」が服部幸應、辻芳樹 から饗されたご馳走とは? ~食べあるきスポット~東京・両国「吉葉」、銀座「壬生」、新宿「樽一」「忍者屋敷」、日本橋「タパス モラキュラーバー」、「ビストロSMAP」収録スタジオ、代々木・服部栄 養専門学校/新横浜「ラーメン博物館」/札幌「ラーメン横丁」/京都・西洞院「麩嘉」、東山「菊乃井」「いづう」、南禅寺「奥丹」、伏見「玉乃光酒 造」、貴船「ひろ文」/大阪・道頓堀「ぷれじでんと千房」「だるま」、九条「大阪味噌醸造」、北新地「カハラ」、池田「インスタントラーメン発明記念 館」、阿倍野・辻料理師専門学校/福岡・博多「一蘭」「ふくちゃんラーメン」……他、多数収録

ミシュラン』で星がつくような高級レストランでの料理修業の経験もあるイギリス人のフードジャーナリスト、マイケル・ブースさん。
 彼が家族とともに日本に長期滞在し、さまざまな地域での「日本食」をレポートした本です。
「日本食」と言っても本当に幅が広くて、懐石料理から、天ぷら、寿司、ラーメン、焼き鳥、お好み焼き、串揚げなど、「スシ、テンプラ、スキヤキ」などに特化した「観光的な日本食」ではなく、「日本人が普段食べているもの」も、たくさん紹介されています。
あらためて考えてみると、日本人というのは、本当にさまざまなジャンルの料理を食べているのです。


この本を最初にパラパラとめくった印象としては、「とりあえず外国人に、日本のことを褒めさせておけば、日本人は喜ぶだろ本」なのじゃないか、という感じだったんですよ。
僕も含めて、みんな、食べ物の話が大好きだし、海外に出かけるたびに「やっぱり日本食がいちばん良いなあ」という結論を抱えて戻ってきますしね。


でも、この本はたしかに面白かった。
日本で暮らしていると「あたりまえ」のように見える風景が、イギリスから来ると、こんなふうに見えるんだなあ、と。

 日本の有名デパートには、たいてい、巨大なスーパーマーケットとさまざまなテイクアウトショップが合体したような売り場が地下にある。ありとあらゆる生鮮食品、思いつく限りの加工食品、そして欧米人やアジア人の想像を超えるようなでき合いの料理が数限りなくある、驚くべき場所だ。しばらくぶらぶらしただけで、僕は食品誘導性のトランス状態に陥り、他の3人は興味がなさそうにしながらも感動していた。鮨屋並みのクオリティーがある、パック入りの作りたての鮨、ずらりと並んだ天ぷら、とんかつ、豆腐、おにぎり、黒くて甘いたれの下でギラギラ輝く焼いた鰻――そこには、現代の日本人の食が凝縮されていた。かねがね聞いていた、高級フルーツもあった。傷ひとつないみごとな網目のついた、オレンジ色の果肉の北海道産夕張メロンは、赤いリボンをかけてファベルジェの卵(イタリアのファベルジェ工房が製作する、金、銀、宝石で装飾した卵形の高級工芸品)のように木箱に入れられ、2万1000円という値がついていた(メロン1個の値段が125万円という記録もあるらしい)。マンゴーは1万5000円で、リンゴも四角いスポンジでそっと包んで傷がつかないようにしてある。魚の干物も山ほどあった。鰻の骨を揚げたもの(骨も無駄にはするまいってことだろう)もあれば、あちこちのガラス張りのキッチンのなかでは、料理人が点心を作ったり、麺を打ったり、もちケーキ(米粉でできていて、小豆のペーストなど甘いものを詰めた菓子)を作ったりしている。フランス産のチーズの売場に至っては、パリのマーケットと同じくらい充実した品ぞろえで、値段もそう高くない。手の込んだデコレーションケーキも、ロールケーキも、マカロンも、ラデュレ(パリにある老舗のパティスリー)で売っているのと同じくらいすばらしい――むしろ、日本のほうがおしゃれに細工されているくらいだ。

異国から来ると、単なる「デパ地下」が、こんなに魅惑的な世界になるのです。
あらためて考えてみたら、あれだけの狭い空間に、世界中のさまざまな料理が所狭しと、それほど高い値段でもなく並べられ、営業時間内ならいつでも手に入る国が、日本以外には無いみたいなのです。
そういうのが、日本の大きな都市のデパートには、当たり前のように存在しています。
1万5000円のマンゴーを買う機会があるかは別にしても。


著者の目を通してみると、日本で暮らしていると「そういうもの」だと思っていることが、実はすごい工夫であるのではないか?と価値観が揺さぶられてきます。

 僕にとって、バーベキューはいつも心配の種だ。肉はたいてい焼けすぎか、生焼けか、焦げているかのいずれかで、ときにはその3つがそろっていることもあり、普通にオーブンで焼くのに比べると概してできがよくない。けれども日本人は、他のどの国よりも炭火の扱いに長けているうえに、単純ながら画期的な工夫をしている――食材を小さくしているのだ。

ある焼き鳥屋での著者の述懐ですが、なるほど、「食材を小さくすること」も、美味しくするための「工夫」なのですよね。
僕などは「もっと肉が大きいといいのになあ」なんて、つい考えてしまいますが、焼き鳥は、あの大きさを活かしての調理法なのです。


そして、この本を読み「日本の食文化」を誇りに思いつつも、その一方で、「日本人だから、日本食を知っている」というのは、ひょっとして「錯覚」なのではないか、とも感じました。


著者は、『料理の鉄人』での解説役でも知られる服部幸應さんの紹介で、『壬生』という「最高の日本料理店」を訪問するのですが、この店がすごい。
「日本でいちばんいいレストランは?」という著者の問いへの、服部さんの答え。

「一番いいレストランですか? 普通の人はそこへは行けません。一般には知られていないのです」彼の顔に、満足げな笑みが広がった。「予約もできません。電話帳にも出ていません。誰かメンバーと知り合いにならないと行けません。私はメンバーです。毎年、料理長から予約カードが送られてきて、毎月1日だけ行く日を選ぶと、彼から予約の確認が届きます。フェラン(『エル・ブジ』という世界的に有名なレストランの料理長、フェラン・アドリア氏)も連れていきましたよ。料理を口にした彼は、感嘆の叫び声を上げました。ロブションを連れていったときも、叫んでいました。あそこで食事をする人の顔を見てください。味わった瞬間、自然に笑顔になるのです。料理長は、ほぼすべての材料を自ら作っています。すごい人です。だしに精通しています。私はもう、15年も通っていますよ」

 リアル『美食倶楽部』キターーー!
 いやまあ、『美味しんぼ』の『美食倶楽部』は、1921年(大正10年)に北大路魯山人が設立した会員制食堂をモデルにしているので、もともと実在してはいたのですけど。
 いま、この時代にも、こんな店があるんですね。
「情報誌に載っている店」や「テレビで紹介される高級店」というのは、とりあえずお金を出して予約すればだれでも食べられるのですが、こういう「メンバーの紹介がないと入れない店」というのは、まさに「選ばれた人のための店」という感じがします。
 それも、社会的な地位とか財産だけではなくて、「本物の味がわかる人」しか食べられない店。


 この『壬生』、読めば読むほど、なんだかもう、「都市伝説」みたいな店なんですよ。
そして、この店の食べものに対するきめ細かい描写にも驚かされます。

 そこまでの料理でさえ、僕にはどれも魅力的で、美味で、さまざまなことに気づかせてもらったが、次の料理に至っては、もうすべてを超越してしまうほどすごかった。それは、黄色い菊の花びらを散らしただし汁のなかに入ったハモだった。
 ふわっと湯気の立つだし汁をひと口すすってみると――葛でとろみがつけてあるが、欧米の料理でとろみをつけるときに使う小麦粉、バター、コーンスターチなどと違って、余計な風味が加わらない――喜びで本当に体が震えた。僕のその反応を見ていた服部氏は、にっこりして満足げにうなずいた。
「どうですか。あなたに、どうしても本物のだしを味わってほしかったんですよ」彼はそう言った。
「先日、私が話したことがわかったでしょう。これが日本で一番のだしですよ。普通、料理屋では午前中にだしを準備しておくものですが、ここでは、そのときにだしを取ります。鰹節も、直前に削るのです。だしの香りはすぐに消えてしまうので、普通の店ではほんのかすかに香りが感じられるだけですが、このだしには存分に風味が詰まっています」
 喜びで体がふるえてしまったのは僕にも予想外で、最後には、身体中の毛という毛が逆立った。まるで、僕自身も知らない味覚受容体が身体のなかにあって、おいしいものを口にすると喜びとして感じ取ることを料理長が知っていたみたいだ。味わいを言葉で表現するのは難しい。言葉で味を連想してわかってもらおうとしても、たいていうまくいかない――建築について語るのと同じだ――でも、このだし汁は深いこくがあり、病みつきになるほどうまい風味を土台としていて、そのうえで、かすかな磯の香りがふっと鼻を突く。どこまでが味でどこからが香りかを区別するのは不可能で、僕が思うに、それこそがこのだし汁、というかすべてのうまいだし汁の力強さの源なのだ。このだし汁をもう一度味わえるのなら、すべてを差し出してもいい。

これを読んでいると、僕にはこれほどの味覚は無いだろうなあ、と思わずにはいられませんし、それを言葉であらわした著者も、日本語でその言葉が伝わるようにした訳者も凄いな、と感動してしまいます。
それにしても、「すべてを差し出してもいい」とまで言われるようなだし汁って、どんな味なんだろうか……
僕も一度でいいから、口にしてみたい。
でも、自分がそれをちゃんと味わえるほどの味覚を持っているか、不安でもあります。
この『壬生』の御主人の話も、すごく興味深いものでした。
いままでこの店のことを書いた日本人の文章を読んだことはないので、「外国人向けだから」ということで、特別に取材を許してくれたのかもしれません。
この本には、「外国人向けだから」ということで、日本向けよりもオープンだったり、ガードがゆるんでいる店もけっこうあるように感じました。


そうそう、この本、著者がひとりで来日して、「食を極めるために有名レストランを食べ歩く」というのではなくて、家族で来日して、妻や子供と一緒に、いろんなところへ行っているのが読んでいる側にとっても「息抜き」になっているんですよね。


著者は、大阪で、BOW WOWという「犬に触れ合えるペットショップ+カフェ」に、子どもたちの強い希望で入っています。

(言うまでもないけれど、その後も大阪にいる間中、子どもたちからまたBOW WOWに行きたいというプレッシャーを受け続け、結局二度再訪した。アスガーとエミル(著者のふたりの息子)は帰国してからも、日本の旅の断トツのハイライトは、相撲取りとのランチでもなければ、姫路城で会った忍者でもなく、沖縄のビーチで見た本物のカメの死骸でもなく、あのBOW WOWだと話している) 

結局、どんな美味しい、珍しい食べ物よりも、犬かよ!とか、「たこ焼きを『中にタコが入っているから』という理由で拒絶する子どもたち(欧米人にとって「タコ」というのは、僕が思っているよりもずっとハードルが高い食べ物みたいです、たこ焼きのタコなんて、ほんのちょっと断片が入っているだけなのに)」に、「お好み焼きなら食べてくれるんじゃないか?」と著者が美味しそうな店を厳選して勧めてみたところ「中身にいろんなものが入りすぎている」という理由で、やっぱり食べてくれないところとか。
子どもって、親の期待や希望の斜め上を突っ走って、よくわからん理由なんだけど本人なりのポリシーを持って「好き嫌い」を貫徹するんだよなあ!って。
自分が子どもだった頃のことを思いだし、親になってからの自分の子供のことを思い浮かべてしまいます。


そういう著者の家族の姿も描かれることによって、「そうはいっても、しょせん『食べ物』のことじゃないか」という、バランス感覚を、取り戻す効果が、この本にはあるんですよ。
著者がそれを意図していたのかどうかはさておき、著者ひとりの食べ歩きであれば「修行」みたいになってしまっていたかもしれません。


ここでご紹介できたのは、ごくごく一部です。
読み応えがあって、新しい発見もある本ですので、興味を持たれた方は、ぜひ読んでみてください。

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