琥珀色の戯言

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【読書感想】エストニア紀行 ☆☆☆


エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

エストニア紀行―森の苔・庭の木漏れ日・海の葦

内容(「BOOK」データベースより)
首都タリンから、古都タルトゥ、オテパー郊外の森、バルト海に囲まれた島々へ―旧市街の地下通路の歴史に耳を傾け、三十万人が集い「我が祖国は我が愛」を歌った「歌の原」に佇む。電柱につくられたコウノトリの巣は重さ五百キロ。キヒヌ島八十一歳の歌姫の明るさ。森の気配に満たされ、海岸にどこまでも続く葦原の運河でカヌーに乗る。人と自然の深奥へと向かう旅。

『家守綺譚』『西の魔女が死んだ』などの著作で知られる、梨木香歩さんのエストニア旅行記。
エストニア」って、どこだかすぐに思いだせますか?
僕にとって「エストニア」というのは、「エストニアラトビアリトアニア……バルト三国!」というのが唯一無二の知識なんですよね、申し訳ないことに。
この本、200ページもありませんし、有名な観光スポットも、大笑いできるようなエピソードも収録されていません。
でも、なんというか、「いつか歳をとって、いろんなことが落ち着いたら、こんな国に行ってみたいなあ。そして、しばらくのんびりしてみたいなあ」と思う、そんなエストニアの魅力が伝わってくる本だと思います。
梨木香歩さんの文章、僕は大好きなのですが、梨木さんの誠実さと、この国の質実さも、うまくシンクロしているようです。


エストニアが属するバルト地方というのは、ちょうど「ヨーロッパとロシアのあいだ」にあたります。
そのため、ロシアをはじめとする、さまざまな大国に、ずっと支配されてきた歴史を持っているのです。

 宮殿をバックに、庭のあちこちで、ウエディングドレスとタキシード姿のカップル、その親族・友人らしき人々が記念写真を撮っていた。だから、つまり、そういう類の美しさなのだろう。市井の善男善女が人生のスタートを祝うに十分な晴れがましさと無難さ。だがやはり、この半日回っただけでこんなに惹きつけられているエストニアの魅力とは無縁のもののように感じた。あのロシア正教の派手な寺院と同じように、「浮いて」いる。これから回ることのなるエストニアのあちこちでも、北欧やドイツのエッセンスが感じられることはあっても、かつての占領国、ロシアの文化のある部分は、瘡蓋のようにいつまでも同化せずに、あるいは同化を拒まれ、「浮いて」いた。けれどその瘡蓋もまら、長い年月のうちには、この国に特徴的などこか痛々しく切ない陰影に見えてくるのだろうか。東ヨーロッパのいくつかの国々のように。

 ロシア(ソ連)の時代というのは、エストニアの人々にとっても、つらい時代だったようです。
 そして、エストニアには、こんな歴史があるのです。

 エストニアには、国歌ではないが、第二の国歌ともいわれるほど国民に愛されている「我が祖国は我が愛」という歌がある。
 作詞は、1843年に生まれ1886年に没したエストニアの女流詩人、リディア・コイドゥラ。作曲家、グスタフ・エルネサクスによって、1944年、戦時下のモスクワで曲がつけられた。それ以前にも別の作曲家による曲はあったが、以降、このバージョンが広く歌われるようになった。が、1947年に初めて「歌の祭典」で歌われると、次回からは禁止されるようになる。非常に愛国的で危険だと見なされたのだろう。だが1960年に行われた歌謡祭では、プログラムの最後の曲が終わっても、歌い手たちは舞台を降りようとしなかった。そして、自発的に、禁止されていたこの歌を歌い始めたのだった。当局も、これ以上彼らの思いを抑え続けるのはかえって危険、と判断したのか、黙認扱い。禁止は続いていたものの、次回からは毎回、歌謡祭の最後にこの歌が歌われるようになったという。
 そして1988年9月11日に行われた「歌の祭典」ならぬ「エストニアの歌」――そのときのそれは、いわば緊急政治集会的なもの――でも、彼らはそれを歌った。
 その日、ソ連からの独立を強く願った国民三十万人が、この「歌の原」に集まった。エストニア民族のほぼ3分の1に当たる。この数を思うとき、いつも、深い森の多いこの国の、交通の不便な場所からタリンを目指した人々の強い気持ちを感じる。おそらく生まれて初めてこの首都を訪れた人々も多かっただろう。演説の合間に歌が挟まれる(あるいはその逆、という見方もできよう)、歌とともにあった政治集会であった。これが結果的に民族の独立への気運を高め、1991年の独立回復へと繋がっていく。この無血の独立達成が、歌う革命と言われる所以である。

 この本で紹介されているエストニアの人たちは、みんな「地に足がついた生き方」をしているように思われます。
 もちろん、それぞれの地方によって違うところもあるのでしょうが、自然と共生し、その恵みを受けながら、淡々と生きている。
 その一方で、野性味、みたいなものもあって、ヒルを使って「治療」をするお爺さんの話が出てくるのですが、そのお爺さんが「アッチのほうによく効くんだよ」なんてしきりに説明してくるため、「エロじじい」として同行者たちのネタにされたり、梨木さんも「ここに来たことは忘れてください!」なんて編集者に言われたりしています。
 梨木さんは「そういう性的なものも、自然とともに生きることの一部」だと、爽やかに受け流しておられるんですけどね。


 きっと、こういう「ヒル爺」の話なんて、西原理恵子さんとか椎名誠さんだったら、「オイシイ!」ってネタにしまくるはずです。まあ、そんな感じで、「笑える旅行記」ではないんですよね、これ。


 エストニアのキヒヌ島を訪ねたときの話。

 空き家になった昔から家を、民具資料館みたいにしているところがあるから、そこへ行ってみましょう、というマレさんの提案で、再び車に乗る。道々、
――ほら、あそこの家のドアには棒が立てかけてあるでしょう。
 そう言って、小道の奥に立っている家のドアを指す。
――ええ。
――あれは、あそこの家の人が留守だという印なんです。ああしておけば、道の奥に引っ込んだ家でも、遠くから留守だと分かるから、わざわざ時間を無駄にして訪ねる手間が省けるでしょう。
――みなそうしているんですか。
――ええ。みな、それぞれの家の「棒」を持ってます。家にいるときは、あの棒をドアのわきの壁に立てかけておきます。
 合理的でしょ、というように、マレさんは口の端を上げて微笑んだけれど、そして確かに合理的だけれど、それは人の悪意を全く想定しないところに立脚する合理性なのである。私たちの住む社会ではもう使えない。

 コウノトリとか、森のキノコの話とか、梨木さんらしい目線で、梨木さんと波長が合う国を旅したんだな、そんな感じがする旅行記です。
 仕事や観光で「エストニア」に行く機会というのはなかなか無いでしょうから、この本で、その雰囲気だけでも味わってみるのも良いんじゃないかな、と。

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