- 作者: 岩城けい
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/08/30
- メディア: 単行本
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- 作者: 岩城けい
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/12/19
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内容紹介
「私は生きるために、この異国にやってきた。
ここが今を生きる、自分のすべてなのだ。」
■各所から絶賛の嵐!
「言葉とは何かという問いをたどってゆくと、その先に必ず物語が隠れている」 ―小川洋子
「読んでいて何度も強く心を揺さぶられ、こみあげるものがあった」 ―三浦しをん
出版社からのコメント
異郷で言葉が伝わること―
それは生きる術を獲得すること。
人間としての尊厳を取り戻すこと。
オーストラリアの田舎町に流れてきたアフリカ難民サリマは、夫に逃げられ、精肉作業場で働きつつ二人の子どもを育てている。
母語の読み書きすらままならない彼女は、職業訓練学校で英語を学びはじめる。
そこには、自分の夢をなかばあきらめ夫について渡豪した日本人女性「ハリネズミ」との出会いが待っていた。
参考リンク:【読書感想】第150回芥川賞選評(抄録)(琥珀色の戯言)
この作品、第150回の芥川賞の下馬評では有力とされていましたが、選考委員からは賛否両論で、結局、受賞には至りませんでした。
(各選考委員からの評価は、参考リンクを読んでいただければ概略はつかめると思います)
とりあえず、印象的だった選考委員の感想を、3人分、挙げておきます。
高樹のぶ子
(『さようなら、オレンジ』について)
異国で表現しようとするとき、祖国と母語の桎梏の深さに初めて気がつく。母語での表現を選び取るまでの格闘は、日本国内においてさしたる意識もなく日本語で表現している私に、発見と覚醒と感動を与えてくれた。
この小説は、母語での表現を決意するまでの苦闘の「説明」であり、同時に「結果」ともなっている。すぐれた作品を芥川賞に選ぶ事ができなくて残念だ。作者にとってだけでなく、日本語の文学賞である芥川賞がこの作品を取り込むことで、内側から相対化をはかるチャンスでもあったのに。
小川洋子
「さようなら、オレンジ」と「コルバントントリ」を推した。
既視感がある、感動があらかじめ用意され、それに人物を当てはめている、アフリカからの難民に立ちはだかる真の壁を描いていない、サリマとサユリの境が時にあいまいになる、サユリによる日本語についての思考が弱い……等々、「さようなら、オレンジ」に向けられた否定的な意見に、私は何の反論もできなかった。すべてその通りだと納得した。それでも尚、私はサリマをいとおしく思うし、トラッキーのために鉄の階段に座り、物語を朗読したいと願う。
川上弘美
「さようなら、オレンジ」。サリマの物語と、メタな位置にあるジョーンズ先生への手紙部分が、補完しあいつつ進む前半は、緊張感に満ちていてとてもよかった。ところが、ジョーンズ先生への手紙の中で「おとぎ話は書かない」と決意したはずの物語のメタな作り手によって作られているサリマの物語が、最後はまるでハリウッド式おとぎ話のようなエピソードをたたみかけてくるのは、なぜなのだろう。「おとぎ話は書かない」、その文章がなければ、これほどがっかりはしなかったかもしれません。文章を書くことは、なんて難しいことなのでしょう。
生活苦と紛争を逃れて、アフリカから家族で移り住んできたサリマと、研究者である夫について、日本からやってきたサユリ。
2人の女性を通じて「異国で暮らすこと」「母語とか違う言葉を使って生きること」、そして「母親であり、また、ひとりの女性として生きていくこと」が描かれていきます。
読みながら、芥川賞を受賞した『穴』よりも、こちらのほうが、よっぽど読みやすいし「物語としてのダイナミズム」に満ちているよなあ、と思ったんですよね。
読んでいて、頭の中がこんがらがってこないし、何よりも退屈しない。
山田詠美さんが選評で述べられていたように「どこかで観たような物語」ではあるし、物語に大きな転換をもたらす「事件」については、「それはちょっとあまりにも『あざとい』のではないか……」とも思いました。
でもまあ、なんというか、親とて、夫として、いろいろ想像してしまって、涙が出てしまいそうになるのも事実。
そしてそのあとで、「泣きのツボ」みたいなものを押さえて、感動させようという手練手管が透けてみえるような気がして、ちょっと不快になるのも事実。
僕はこれを読みながら、その「事件」が起こらなかったら、サユリはどう生きていったのだろうか?みたいなことを考えずにはいられなかったのです。
自分の仕事に集中するあまり、家庭をあまり顧みない夫。
とはいえ、男としての僕の立場からすると、サユリの夫は、そんなに責められるほど悪い人じゃないとも思うんですよ。ただ、育児中で、負担が大きくなっている女性からは、『夫』や『父親』って、こんなふうに見えているのかな……」と、正直怖くなりました。
いや、夫には夫の「言い分」だってあるのではないか、と。
夫が羨ましかった、自分の好きなことを好きなだけやっている彼が、そうやって外の世界とつながって、家族を養っていると威張り散らしている男! その男の子供も私がなにかしようとすると泣き声をたてて恨めしかった。
「女性の言い分」って、こんな感じなのかな……と思いながら読みつつ、あまりにも「男性不在の物語」であることに、置き去りにされてしまって……
夫は夫で「異国で自分の研究をすること」に、戸惑いやプレッシャー、さまざまな困難を抱えていたと思うのだけど。
選考委員の人が言うほど「母語云々」って、書かれてないのでは?という気もしますし。
サユリが「母語(=日本語)にもどっていくこと」も、サリマの「ちょっと恋愛っぽいエピソード」も、「取ってつけたような感じ」がするんですよ。
もっとも、これがあるから、「読後感がスッキリ!」みたいな面はあるのでしょうけど。
僕はこの小説の最後のほうを読みながら、「みんなが『いいひと』になるような感染症が、この世界では急激に蔓延したのか?」と思わずにはいられませんでした。
涙も急速にひいてしまいましたよ、なんだか。
川上弘美さんじゃありませんが「文章を、物語を書くことは、なんて難しいのだろう」と読み終えて痛感しました。
「良い物語」で「良い小説」だと思う。
たぶん、映画化とかも、されちゃうんじゃないかと思う。
期待値が高かっただけに、けっこう批判的な感想になってしまいましたが、「良い話」なのは間違いありません。
ただ、「よくできている」ことが、小説にとって「褒め言葉」になるものなのかどうか?
そんなことを、あらためて考えてします作品ではありますね。