- 作者: 原田曜平
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
「若者がモノを買わない」時代、唯一旺盛な消費欲を示しているのがヤンキー層だ。だが、ヤンキーとはいっても鉄パイプ片手に暴れ回る不良文化は今は昔、現在の主流はファッションも精神もマイルドな新ヤンキーである。本書では密着取材とヒアリング調査により、「悪羅悪羅系残存ヤンキー」「ダラダラ系地元族」に分化した現代のマイルドヤンキー像を徹底解明。「給料が上がっても絶対地元を離れたくない」「家を建ててはじめて一人前」「スポーツカーより仲間と乗れるミニバンが最高」など、今後の経済を担う層の消費動向がわかる一冊。
僕のなかでの「ヤンキー」というのは、中学校や高校で校則違反の制服を着て、ガンをつけたと言いがかりをつけては絡んでくる、そんなめんどくさい、忌まわしい連中、なんですよね。
いわゆる「ヤンキー漫画」も嫌いであんまり読まなかったし。
著者は、現代の「ヤンキー」を、ふたつに分類しています。
ひとつめは、昔のヤンキー漫画に出てくるような、暴力的で、反社会的な「残存ヤンキー」(とはいえ、反社会性は『ろくでなしBLUES』や『特攻の拓』の全盛期に比べると、かなり薄れているそうです)。
もう一つは、私が「地元族」と名づけている人たちです。
彼らのなかには、おそらく昔であればヤンキーのカテゴリーに入っていた人も多かったように思いますが、今では見た目がまったくヤンキーではなくなっています。人間関係が狭く、中学校時代などの少人数の地元友達とつるむ、といった点は昔のヤンキーと同じですが、ぱっと見では、今どきの普通の若者と大差がありません。地元のファミレスや居酒屋や仲間の家でダラダラ過ごすのが大好きです。しかし、内心ではEXILEの放つ多少のヤンキー性には憧れを持っていたりするのです。
ここで言う地元とは、生まれ育った地域のことです。県単位・市単位のように広いエリアではなく、5km四方の小中学校の学区程度を想像してください。もちろん、東京で生まれ育った人にも、家から5km四方や、最寄り駅の周辺を指す地元はありますので、地元=地方とは限りません。
なお、活動範囲が5km四方の地元であるという点は、残存ヤンキーにも共通している性質です。
そんな僕にとって、この本で紹介されている「地元大好き」でEXILEのような「悪羅悪羅系ファッション」に身を包んだ「マイルドヤンキー」というのは、「反社会的な行為を積極的にやらなくても『ヤンキー』なの?」という違和感があります。
そもそも、僕が日頃接している人には、こういう「マイルドヤンキー」って、ほとんどいないんですよね。
こういうのって、『ハダカの美奈子』の世界と同じで、「周りはマイルドヤンキーばかり」の人と、「マイルドヤンキーなんて、本当にいるの?」という人に「二極化」しているのかもしれません。
いやでも、そうは言いながらも、若者というのはそれなりに「都会志向」なんじゃないの?
と、もう若くはない僕などは考えてしまいがちです。
ところが、この新書に出てくる「若者」たちは、そんな僕の先入観を嘲笑うように「なんでわざわざ都会に行かなければならないの?」と言い切るのです。
マイルドヤンキーたちの、地元を出たくないという意識は、電車で都心に出て最先端のセレクトショップを探索したりはしない、ということを意味しています。そんな彼らが好んで行くのは、車で行けるショッピングモールです。これらは特にゼロ年代に入ってから、日本の郊外・地方都市を中心に急激に増加していきました。イオンなどに代表されるメガモールは、鉄道の駅から離れた場所に建てられる事が多く、何千台ものキャパシティがある駐車場を備えています。
彼らはこのメガモールに地元友達と、主に車で遊びに行くのを大きな楽しみとしています、特に家族を持ち始めたマイルドヤンキーにとって、そこは自らの消費意欲を満たしてくれる、最も身近で理想的なスポットなのです。
「日の出の若者にとって、イオンは夢の国。イオンに行けば、何でもできるんです」
インタビューするなかで、こういった大型ショッピングモールを「夢の国」と表現する若者が本当にたくさんいて驚かされるのです。
こういう発言を読むと「これは何かの文明批評、なのか……?」などと身構えてしまうのですが、彼らはどうも本気でそう思っているようです。
イオンモールの「画一性」に不満を感じてしまう人もいれば、そこが「理想像」である人たちもいる。
スマートフォンで情報収集に余念がないけれど、つねにネットが手放せない同世代の「情報強者」がいる一方で、マイルドヤンキーたちは「スマホの使い方はよくわからないし、使いこなすのもめんどくさい。ただ、『LINE』は必須」みたいな生活をおくっていると著者は指摘しています。
ただ、それが「悪いこと」なのかというと、ネットの情報をひたすら頭に詰め込んで、現実への不満を募らせていく人々と、この「給料があと5万円上がれば、最高に幸せ」「地元の友達とずっと一緒に遊べれば、それでいい」というマイルドヤンキーたちの、どちらが幸せなのだろう?と考え込んでしまうところもあるんですよね。
東京都練馬区に住む地元族の男性(とび職・20歳)は、「旅行したいが、航空券を買うのが面倒」と言っており、その友達である若者研の大学生がオンラインで航空券が買えることを告げると、かなり驚いていたそうです。これはやや極端な例かもしれませんが、マイルドヤンキーは、すでに存在するサービスを「知らない」ために使っていないケースも多いのです。
おじいちゃん、おばあちゃんならともかく、20歳で、こんなことがあるのか? そう言いたくなるのですが、こういうのが「極端な例」とも言い切れないわけで。
「飛行機に年間何度も乗る人」というのは、そんなに多数派ではなかったりもするんですよね。
「頻繁に飛行機で出張したり、旅行に出かけたりする人からは、見えない世界」がある。
そして、そういう世界に生きていれば、ネットで航空券を買うということなど、想像もつかない。
僕も「Amazonを知らない若い女性たち」に遭遇して驚いたことがあるのですが、「ネットで買い物なんてしたことないし、わざわざしようとも思わない」という人は、いまでは「少数派」かもしれませんが「まれ」ではなさそうです。
サービスを作る側の人の多くは「マイルドヤンキー」とは異なる世界に属しているため、彼らのニーズをつかめていない。
だからこそ、そこに、チャンスがあるのではないか、著者は、そう考えているのです。
「成長の時代の終わり」が語られていくなかで、「身の丈を知って、つつましく暮らそうとしている」マイルドヤンキーというのは、もしかしたら、「より時代に適応した人々」なのかもしれません。
「かもしれません」って書きながら、僕自身は、やっぱり、「そんな志の低いことで、どうするんだ!」なんて、オッサン説教モードに突入しそうな自分を感じてもいるわけですけど。
酒やタバコやギャンブルや車にお金を使ってくれる「消費する存在」としての「マイルドヤンキー」に目をつけた著者は、マーケティングという面においては、目利きだなあ、と感心してしまうのです。
ちなみに、『クローズZERO』のような「現存するヤンキーコンテンツ」は、彼らにとっても「リアル」ではなく、「一種のファンタジーとして楽しんでいる」ということでした。
まあ、たしかに現実にはいそうもないものね。しかし、そこまで「割り切って」いるのか。
でも、ああいうのって、「楽しい」のかな……