琥珀色の戯言

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【読書感想】水族館の歴史: 海が室内にやってきた ☆☆☆


水族館の歴史: 海が室内にやってきた

水族館の歴史: 海が室内にやってきた

内容紹介
今でこそ水族館の存在はあたりまえになっているが、百五十年前、まったく異質な世界を窓からのぞく経験がどんなに驚異的だったことかを忘れてはならない。こうした発明は、いかにして実現したのだろうか? 人工的な環境に海中の異世界を再現し、眺め、観察するというこの夢のような発明は、一朝一夕に生まれたものではない。海の世界を理解しようとするとりわけ強い意志と、適切な材料や技術がなければ不可能だった。(プロローグより)


アクアリウム aquarium」という語が欧米で一般的に用いられるようになったのは、19世紀半ばのヨーロッパでのことである。鑑賞のために魚を囲いの中で飼う試みには、古代ローマ時代までさかのぼる長い歴史があるが、今でいう「水族館」ができる以前、アクアリウムはもともと、水生生物を飼育するための容器や装置を意味していた。
海草も含めたひとつの「生態系」として、観察や鑑賞を目的に水生生物が飼育されるようになったとき、アクアリウムの歴史は始まった。それまで未知の世界だった深海の様子が知られるようになるにつれ、海に対する人々の恐怖が克服された。19世紀は蒐集そのものが流行した時代でもあり、海洋生物の採集がさかんになった。こうした複数の要因が重なって、アクアリウムという装置が発明されたのだ。
海の生き物の生態を知りたいという人々の願望が、いかにしてアクアリウムの発展に寄与し、水族館の創設につながったのか。また、環境問題と切っても切り離せない、未来の水族館のはらむ問題とは何か。ユニークな文化史の書き手である著者は、豊富な資料をもとに、人々の夢や欲望の投影としてアクアリウム=水族館のなりたちを考察する。人口あたりの水族館の数が世界一とされる「水族館大国」日本で、水族館の過去と未来に思いを馳せることのできる一冊。図版多数。


「水族館大国」日本。
僕も水族館大好きで、各地のさまざなま水族館に足を運びましたが、日本国内には、大小あわせて、全部で100ヵ所以上の水族館があるそうです(世界の水族館の約2割くらい)。
ちなみに、「日本動物園水族館協会」に加盟している、代表的な水族館だけでも63館(2013年6月の時点)。
僕は海外の水族館にもいくつか行ったことがあるのですが、展示されている水生生物の見せかたに関しても、日本はかなり工夫されているなあ、と感じます。


この本、タイトルが『水族館の歴史』なので、現在日本各地にあるような集客施設としての「水族館」の成り立ちから、現在のようなかたちになるまでが語られている本なのだろうと思って購入したのですが、内容の7〜8割程度は「大規模な水族館以前」についての記述です。
世界中の人々が、水槽で魚などを飼うという趣味の歴史にかなりのページが割かれていて、後半になってようやく、それが大規模な水族館になっていくまでの話になるのです。

 住まいの近くの水槽を設けて魚を飼い、観察するという試みの起源は、紀元前にまでさかのぼる。現在のトルコ南西部にあたる古代リュキアでは、笛を吹き、水面近くに集まってくる「聖なる魚」に未来を占ってもらうという風習があった。他の文化では鳥を使うように、占い師たちは魚どうしが追いつ追われつし、水中に消えたりふいに浮き上がったりするようすを読みとって、何らかの結論を導きだすのだ。


 早い時代から鑑賞用の魚として、金魚は愛されてきたのだそうです。

 十世紀までには中国で金魚がペットとして広く飼われるようになっており、それ以後、中国の支配階級のあいだで非常に人気を博すこととなった。1369年、明の洪武帝は製陶工場を創設し、魚や藻を入れるための雲龍文様の描かれた大型水槽をつくらせた。水槽の形は時代とともに変わり、最初は樽を半分に割ったような形だったのが、次いで1700年頃からは縁がまるめられた半球形になった。そのあと、だんだんと現在見られるような金魚鉢の形に変化していった。
 1500年頃、金魚は日本の大阪に近い堺へ輸出されていた。けれども、日本国内で金魚の養殖が始まるのは200年ほど先の話である。日本最初の養殖家は、大和郡山藩の佐藤三左衛門だ。金魚を飼う文化はそこから日本の津々浦々に広まっていった。1800年代初めの浮世絵には、粋な花魁がまるい小瓶に入れた金魚に見入っているようすが描かれていて、金魚を飼うことが彼女たちのお気に入りの娯楽だったことがうかがえる。今日、日本は金魚大国として知られ、色とりどりのうろこや変わったひれの形など、多様な種類を交配し、養殖している。
 ヨーロッパに金魚がもちこまれた最初の例は、おそらく1611年、ポルトガルだったのではないかと思われる。イギリスで初めてお目見えしたのが1691年。1750年まで時代が下ってもなお、フランス東インド会社からポンパドゥール夫人のもとに贈られた金魚はたいへんな興奮を巻き起こしたという。

読んでいて、あらためて感じるのは「まあ、これってたぶん、水族館で働くわけでもない僕にとっては、実生活で役に経つことは期待できない知識だよな」ということでした。
でも、だからこそ面白くもあるんですよね。
あらためて言われてみれば、「人間が、なぜ観賞用に魚を飼うようになったのか?」というのは、けっこう難しい問いです。

 ガラスの水槽で海の生物と水生植物の相互作用を観察する趣味が広まったのは、イギリスのフィリップ・ヘンリー・ゴスのおかげといっていいだろう。ゴスはそのような装置を自覚的にアクアリウムと呼んだ最初の人物である。

ゴスは、1850年代半ばの著書のなかで、「アクアリウム」という言葉を使っています。

 維持管理が煩雑であるにもかかわらず、個人の海水アクアリウムには、しばらくは少ないながら一定の熱心な愛好家がいた。最初はイギリスで、それからアメリカの東海岸へ、そして局所的にフランスやドイツ北部へと広まっていった。そのほか多くの国々では、海水アクアリウムがより大きな規模で、また専門的な環境でのみつくられていた。公開型のアクアリウム、すなわち今でいう水族館は、たいてい、すでに定着していた動物園に組み込まれていた。
 1853年5月、ロンドンのリージェンツ・パーク内で、最初の水族館がオープンした。アクアリウムが発明されてまもなくのことである。鉄骨にガラス張りの温室に似た古風な造りで、一般に「フィッシュ・ハウス」と呼ばれていたこの水族館には、海水と淡水のおびただしい数の水槽が並べられていた。壁ぎわに置かれているものもあれば、明るい部屋の中央に置かれ、薄板で日光やほこりを防いでいるものもあった。アクアリウムそのものがまだ新しく導入されたばかりで、水の交換システムなど遠い先の夢の装置だったため、新鮮な海水をつねに補充していなければならなかった。

 日本でいえば幕末の時代に「おびただしい数の水槽に、新鮮な海水をつねに補充する」というのは、ものすごく大変なことですよね。
 水族館は大人気で、多くの人で賑わったものの、トラブルも多く、経営はけっしてラクではなかったそうです。それはまあ、そうだろうなあ、と。


 この本、「研究書」というよりは、昔の「水槽」に関する挿絵やカラーの魚の絵などがふんだんに盛り込まれた「水槽、水族館好きの大人のための絵本」みたいな感じです。
書いてある知識に関しては「試験に出るわけでもないし……」という感じなのですが、パッとめくったときにみえる、鮮やかな魚の色彩や、19世紀の水族館を緻密に描いた絵などは、見ていてとても楽しくなってくるのです。
「役に立つ」ことを目的とせず、「大人の絵本」として手元に置いておきたい人にとっては、なかなか良い買い物になるんじゃないかな。
興味がある方は、書店などで実際に手にとって、ページをめくってみることをおすすめします。
参考文献まであわせて200ページあまりで、税込みだと2310円もする、安くはない本なので。
文章だけなら、新書一冊にすれば十分じゃないかとも思うのですが、この本の魅力は図版とか挿絵なんですよね、きっと。


著者は最後に、個人レベルで水槽をつくる人たちへの供給のために、熱帯魚の乱獲やサンゴの破壊などが起こっている面もあり、環境保護のためには、もう、個人が水槽で魚を飼うのはやめたほうが良いのではないか、と提言しておられます。
その一方で、それを趣味としている人たちは、水槽の美しさとともに、「水生生物に親しみ、生態を学ぶ意味で、飼うことに意義はある」と考えてもいるわけです。
また、大型水族館には「水生生物の生態の研究」という目的もあります。


日本の水族館の「演出」の進歩をみると、「自然に近いかたちで見せるよりも、いかに美しく見せるか」というのが、大型水族館にとってのテーマになっている部分もありますし、こんなに日本中に水族館が必要なのか?という気もするんですけどね。
でもまあ、行ったら行ったで、どんな小さな水族館にも、それぞれの個性みたいなものがあって、けっこう面白いのだよなあ。

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