あらすじ: 品行方正だった娘・加奈子(小松菜奈)が部屋に何もかもを残したまま姿を消したと元妻から聞かされ、その行方を追い掛けることにした元刑事で父親の藤島昭和(役所広司)。自身の性格や言動で家族をバラバラにした彼は、そうした過去には目もくれずに自分が思い描く家族像を取り戻そうと躍起になって娘の足取りを調べていく。交友関係や行動を丹念にたどるに従って浮き上がる、加奈子の知られざる素顔に驚きを覚える藤島。やがて、ある手掛かりをつかむが、それと同時に思わぬ事件に直面することになる。
2014年23本目の劇場での鑑賞作品。
平日のレイトショーですが「映画の日」で料金が安かったこともあり、観客数は僕も含めて40人くらいでした。
なんだかやたらとポップなオープニングで、昔やったPS2の『Killer7』みたいだなあ、とか思いながら観ていたのですが、冒頭から、役所広司さんが演じている元刑事の父親・藤島昭和のクズっぷりにゾクゾクしてしまいました。この人、狂ってるよ……そして、役所さんの説得力がすごすぎる……
でも、娘のことは愛している、家族愛だけはあるパパなんだよね……あれ?
というか、この人、本当に「家族を愛している」の?
うーむ、でも、その一方で、この映画のクリスマスの場面に挿入されている「いかにも幸せそうな恋人たちや家族の姿」の嘘くささも、僕には伝わってくるのです。
理想の家族なんて、自分の脳内にしか、ありはしない。
幸せそうにみえる人たちだって、見えないところでも品行方正とは限らないし、親は、子どもがふだんどんな人間かなんて、知りようがない。逆もまた然り。
僕は先日、息子と公園で遊んでいて、息子が「砂遊びグッズ」を、やってきた他の子どもたちになかなか貸してあげないことに内心驚いていたのです。
「お友達に貸してあげたら?」
「ダメ!○○のだもん。『貸して』って言われてないし!」
うーむ、あれだけ『しまじろう』見せてきたのに……
案外ケチなところがあるんだな、息子よ……
でもさ、いくら家族でも、自分が知らない顔っていうのは、あるものですよね、たぶん。
もうね、『ヤング・アウトレイジ』ですよこれ。
暴力!破壊!ドラック!セックス!
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』みたいな「もう逝っちゃっている世界の話」であれば、ゲラゲラ笑えるんだけれども、「うわこれは不快だ……」と思いつつも、自分の身のまわりでも、自分に見えていないだけで、こういうことが起こっているのではないか、と考えはじめたら、なんだかいたたまれなくなってしまって。
登場人物に感情移入するのが難しい。
というか、この作品の登場人物にだけはなりたくないな、と心から思う。
いや、正確にはひとりだけ「その気持ちはわかる」と思う大人がいたんだけどさ、その人はねえ……
『Yahoo!映画』では、総合評価が2.6点と、中島哲也監督作品としてはありえないほどの低得点でした。
これは「現代」を描こうとした映画で、だからこそ、嫌われるのだろうなあ、と。
冒頭に「世界が混迷しているように見えるのであれば、本当に混迷しているのは世界のほうではなくて、世界を観ているあなたのほうだ」というような言葉が出てきます。
僕は、この映画を観ながら、この言葉のことをずっと考えていたのです。
僕は、自分でこの「たぶん不快であろう映画」を承知の上で選んで、チケットを買ったにもかかわらず、「不快だ」とつぶやいている。
なんのことはない、僕のほうこそ、不快になりたかっただけなのです。
ああ、見透かされていたのかな、って。
そしてこれは、僕の期待以上に、僕の心を揺さぶる映画でした。
加奈子は「怪物」です。
でも、放射能を浴びたわけでも、特別なクモに刺されたわけでもありません。
加奈子は、「ああ、だからあんなふうになったんだな」と観客が「納得」することを許さない、「ただ、そこにいる怪物」です。
役所さんが演じていた父親は「クソ野郎」でしたが、「なぜそうなったのか、僕にも理由が想像できる怪物」でした。
底知れない真っ暗な穴みたいな「モンスター」に、かなうわけがありません。
万人には薦められないし、気が滅入りまくる映画ではあるのですけれども、なんというか、観終えたあと、この映画のことを誰かと語り合いたくてしょうがない、そんな気分になる作品でした。
ひとりで受け止めようとすると、持て余してしまうような、どす黒くて、もやもやしていて、そして、美しいもの。
僕は、みんなが3点をつける「平均3点の映画」よりも、1点と5点が半々の「平均3点の映画」のほうが好きです。
(意図的な面も含めて)説明不足なところもあるし、時間も現在と「ちょっと過去」を行ったり来たりして、やや混乱します。
観終えてもカタルシスはほとんどありません(というか、ああ、この映画の世界から、ようやく解放される……、と、ちょっとホッとします)。
「映画はハッピーエンドじゃなきゃ!」「気分転換したい!」という人は、避けたほうがいいでしょう。
それでも僕は「この映画を観た人と、話をしてみたくなっている」のですよね。
以下はネタバレ感想です(未見の方は、映画を観てから読んでくださいね)。
本当にネタバレですよ!
僕は最初「なぜ加奈子はあんな人間になってしまったのか?」が、すごく疑問でしたし、その理由がきちんと描かれていないことを物足りなく感じていました。
でもね、よく考えてみると、「とくに理由はなくても、ああいう『空っぽで、無差別に悪意を振りまくような人間は出来上がってしまう」し、「彼らは、僕たちの身近なところにいる」のです。
「理由」なんて、わからないんだ。
あるいは、最初から理由はなくて、「そういう人間」が、ただそこに存在しているだけなんだ。
「理不尽かつ無差別で、容赦のない悪意」に対して、僕は、どう対応していけばいいのか。
この映画は、僕に「逆らうなんて、無理に決まってるだろ」と語りかけてきます。
もしお前が本気で立ち向かおうというのであれば、それはもう、覚悟を決めて、圧倒的な暴力を行使するしかないのだ、と。
藤島昭和は、狂っている。
でも、この映画を観ていると、「もしかしたら、昭和がいちばん『正常』なんじゃないか?」と思えた時間帯がありました。
その直後の行動をみて、「やっぱりコイツは狂ってる……」と思い直したのですが。
ただね、昭和の「狂気」って、僕にも「わかる」のですよ本当に。
仕事中毒で、自分では一生懸命働いて家族の生活を支えてきたつもりなのに、いつの間にか家には自分の居場所がいなくなり、妻は浮気、娘は理解不能……
昭和が抱えていた「苛立ち」や「憤怒」、そして「狂気」は、僕の中にも存在しています。
もちろん、あんなにおおっぴらに表出してくることはない(と思いたい)けれど。
観ていていちばんドキドキしたのは、上映開始後1時間半くらいの時点での、ショッピングモールでの昭和と警察との対決でした。
そのなかでも、あの男の子がどうなるのか、が、すごく気になってしまって……
なんのかんの言っても、映画でも、子どもを殺したり傷つけたりするのって、すごく気を遣って避けようとすることが多いじゃないですか。
やっぱりそれは「禁忌」なのだろうな、と。
紀里谷和明監督の『GOEMON』という映画のなかで、「赤ん坊を釜ゆでにするシーン」(もちろん、そのものの映像はなくて、そういうことが画面外で行われた、と描写されていただけ)を観て、「この人、本気だな」と、妙に感心してしまいましたし。
僕も親なので、「子どもが残酷な目にあう」のって、抵抗があるんですよね。
戦争の残酷さを描く映画であれば、あえてそういう描写をすることもあるのでしょうけど。
園子温だったら、あの子も撃つな……と思いつつ、中島哲也監督の「選択」を見守っていたのですけど、結局、あの子は撃たれませんでしたね。
原作は未読なので、原作でどうだったのかはわからないのですが、中島哲也監督の残酷描写への「一線」が見えたような気がしたのです。
正直、ちょっとホッとした。
それが中島哲也監督の「長所」なのか「壁」みたいなものなのかは、なんとも言えないのだけれども。
ちなみに、僕が唯一感情移入できたのは、中谷美紀さんが演じていた「先生」でした。
『告白』のときもそうだったんだけれど、真面目で子どもを大事にしていたはずの「先生」が、「理不尽かつ無差別な悪意」に対抗するために、狂ってしまうのは、なんだか身につまされます。
この『渇き。』の場合は、先生が「毒親」だったら、子どもがそんなふうになっても「ああそう」って感じだったのかな、とも思うんですよ。
でもさ、「悪意」は、それがもっとも有効なところに、向かってくるんだ。
より善良であろうとしている、人々のところに。
そうそう、ひとつ残念だったのが、この映画が「R-15指定」になっていることでした。
今の時代に生きている中学生たちは、おそらく、加奈子のような「無邪気で無慈悲な悪意」に狙われている。
少しでも、予備知識を持っていたほうがいい。
……実際は、わかっているつもりでも、こういう世界に惹かれてしまう可能性があるから、触れさせないほうが「正解」なのかもしれませんが……
もし、少しでも興味を持っていただけたのなら、ぜひ、この映画、観てください。
「他の人にお薦めするのはためらうけれど、他の人の感想を聞いてみたくなる映画」なんですよね、これ。
- 作者: 深町秋生
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