琥珀色の戯言

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【読書感想】のはなしし ☆☆☆☆


のはなしし

のはなしし

内容紹介
絶対におもしろい伝説のエッセイ、待望の新刊完成!
笑える話はもちろん、ちょっと泣ける話、あーわかる、わかる! って話など、どこから読んでも全然飽きない、バラエティ豊かなエッセイ集です。
「ああああ」の話から「んかきそこねもの巻」の話まで、爆笑! 感動! 鳥肌! 伊集院ワールド満載の全91話。


『のはなし』シリーズも4冊目。
「面白いエッセイを教えて」と頼まれれば、とりあえず僕の頭に浮かんでくるのはこの伊集院さんのエッセイか、大宮エリーさんの『生きるコント』なのですが、『のはなしさん』から、けっこう間が空いてしまって、『よん』はもう出ないのかな、などと思っていたのです。
もともと2001年から2006年まで携帯電話のメールマガジンに連載されていたものから選ばれて収録されてきたシリーズなので、最初の『のはなし』の凄さに比べると、『に』『さん』と、少しずつ、面白さも感動もパワーダウンしてきたような気がしていましたし。
第一弾のときには、次作が出るかどうかわからないわけですから、「ベスト盤」になりますよねやっぱり。
ただ、「面白くなくなった」わけじゃなくて、「このくらい面白いエッセイ集は、年に数冊くらいしか出ないくらいのハイレベルなんだけど、『のはなし』は数年に1冊レベルだった」のです。


この『のはなしし』には、今回新たに書かれたものも20篇近く収録されているそうです。
おかげで、「古さ」はあまり感じなくなっています。
2001年〜2006年に書かれたものも新作も、どちらも遜色なく面白いです。

 糸井重里氏とラジオで対談。僕の「インターネットをやっていて気付いたところは?」の問いに、糸井氏の答えは「世の中、意外にいい人が多いこと」。僕自身はその逆を感じることすらあるので、問い返してみると「例えば、友人の結婚式でね、出席者の一人がウェディングケーキの上にウンコをしたとするでしょう。その結婚式はもう最悪の結婚式でしょ」と氏。
 その通りだ。世界のどこかにはそういう祝い方があるのかもしれないが。その通りだけど、インターネットと関係がないのでは? 僕の聞き方が悪かったのか? 僕は糸井氏に「僕はそうとも思わないんですが、インターネットをやっていて世の中にはいい人が多いと思われるのはなぜですか?」という意味合いのことを聞いたつもりが、言い方を間違えて「次の質問です。最悪の場所での脱糞といえばどこ?」と取れるようなニュアンスになってしまったのか?
 頭上に大きな「?」を顔面にひねくりだしていると、糸井氏が次のように続けた。「出席者がみんないい人で、ホテルマンもいい人で、新郎新婦もみんないい人でいい結婚式でも、一人のすごく悪い人が、ウエディングケーキの上にウンコをしちゃうと、その印象ばっかり強くなっちゃうじゃない。そういうこと」。


 そうか……僕もこの糸井さんの「話の続きの部分」を聞かなければ、よくわかりませんでした。
 正直、このたとえが適切かどうかはわからないのですが、「結婚式のウンコ」が出てくると、たしかにインパクトはあるなあ、と。
 そして、ネットでも「大部分は普通の人、あるいはいい人なのに、ひとにぎりの『困った人』のことばかり印象に残ってしまう」のも事実なんですよね。
 ずっとネットに関わっている糸井さんとしては、悪い方にばっかり目を向けていては、やってられないだろうなあ。


 このエッセイ集には、伊集院さんが接した有名人の話ばかりではなく、プライベートで接した無名の人の面白いエピソードとか、日常のちょっとした疑問の「謎解き」を試みる話などもたくさんあるのです。
 僕などは、そういう「気付き」みたいなものを「聞いてみるのが恥ずかしい」「調べるのがめんどくさい」と突き詰めることもなく、いつの間にか忘れてしまっているのですが、伊集院さんはそこで一歩前に踏み出すのです。

 早朝、自転車に乗っていたらギアが壊れた。困っていたら、朝6時だというのに街道沿いの工具店が既に開店していてビックリ。思わず店員さんに「こんな早くから開いているなんて助かりました」と礼を言うと「工具店って普通これぐらいの時間からやってるよ。だって現場行く職人さんたちが行きしなに寄っていくだろう」と言われた。納得。
 今みたいに遅くまでラーメン屋が開いていない時代に、秋葉原に朝3時から朝7時くらいまで営業しているラーメン屋があって、そこも理由を聞くと「ウチはすぐそばの青果市場に来るトラックの運転手向けの店だから、ひと仕事終わった運転手が寄って食うんだよ、安いし。で、7時になると駅の立ち食いそばが始まるからそっちに客を取られちゃうんで閉めちゃうんだ」と言っていたっけ。理由はあるものだ。

 そうなんですよね、「なぜ?」と思うようなことにも、ほとんど「理由はある」のだよなあ。
 こういう伊集院さんの「日常生活への解像度の高さ」を真似できれば良いのですが。

 確かに異性を冷静に判断するのは難しい。例えば「この女やれるかも……」という下心が少しでもあると、美醜の判定が急に甘くなる。「うーん、よく見れば個性派美人だなぁ」なんて、こんな下世話な話でなくとも、自分に優しい女性がいたならば、鼻の下を伸ばして「この子は周りの人には誤解されえいるけど、悪い子じゃないよ、いや、周りが全員間違っててこの子はいい子!」となりがち。
 これらを超えて客観的に、冷静に異性を見るためには『あまりにモテ慣れているため、それらをことさら特別に感じない』か『あまりにモテに希望がないために、それらに心動かされない』のどちらかであろう。そして僕にはその片方の素養がある。どっちの素養かは教えないが、これには自信がある。万が一、女性が僕に対して思わせぶりな態度を取っているように感じたとしても、必ず『待てよ、これはモテ云々ではなくて、そういう人なんだ』とか『何か他に計算があるのでは』という自分の勘違いの方面から分析することができるし、大抵ビンゴだ。

 ああ、伊集院さん、あなたは僕ですか……
 僕も「どっちの素養かは教えませんが」こんな感じで、常に「待て、これは孔明の罠だ」と警戒しながら生きているので……


 これで終わりか……と、ちょっと寂しく思いながら、最後の「んかきそこねもの巻」を読みはじめたのです。
 この最後の話、読んでいて、なんだかもう涙が止まらなくなってしまって。
 僕や伊集院さんと同じくらいの世代の、いま30代後半〜40代くらいの人には「染みる」はずです。
 「んかきそこねも」って、何だかわかりますか?
 なんだかね、生きるっていうのは、こうして、他の人や後世の人にはわからないようなものを残していくことなのかなあ、なんて。


 とても面白くて、ときどきとてもせつなくなる、そんなエッセイ集です。
 このシリーズ未読の方は、まず『のはなし』から読むことをオススメしておきます。


のはなし にぶんのいち~イヌの巻~ (宝島社文庫 C い 6-1)

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のはなし にぶんのいち~キジの巻~ (宝島社文庫 C い 6-2)

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生きるコント (文春文庫)

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