- 作者: 佐々涼子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
「8号(出版用紙を製造する巨大マシン)が止まるときは、この国の出版が倒れる時です」―2011年3月11日、宮城県石巻市の日本製紙石巻工場は津波に呑みこまれ、完全に機能停止した。製紙工場には「何があっても絶対に紙を供給し続ける」という出版社との約束がある。しかし状況は、従業員の誰もが「工場は死んだ」と口にするほど絶望的だった。にもかかわらず、工場長は半年での復興を宣言。その日から、従業員たちの闘いが始まった。食料を入手するのも容易ではなく、電気もガスも水道も復旧していない状態での作業は、困難を極めた。東京の本社営業部と石巻工場の間の意見の対立さえ生まれた。だが、従業員はみな、工場のため、石巻のため、そして、出版社と本を待つ読者のために力を尽くした。震災の絶望から、工場の復興までを徹底取材した傑作ノンフィクション。
この本のなかで、瓦礫や汚泥に埋まった機械を復旧する場面を読みながら、僕は、百田尚樹さんの『海賊とよばれた男』の冒頭を思い出していました。
太平洋戦争に敗れた日本は、国じゅうが瓦礫の山となり、人びとは食べるものにも困窮します。
そんななかでも『出光』は一歩ずつ、復興の階段をのぼりつづけていったのです。
社員たちが、タンクのなかで、油まみれになり、疲労困憊しながらの作業を続けて。
僕は九州在住ですので、直接被災したわけではありません。
だから、被災した人たちと、同じ目線でみることはできないのです。
でも、この「日本製紙石巻工場」の復興までの道のりを読んでいくと、いろんなことを考えてしまいます。
彼らは、なぜ、ここまでの困難を乗り越えて、あえて「石巻での復興」を選んだのか?
そして、日常では忌み嫌われるような「会社への身を粉にしての貢献と忠誠」というのは、こうして「大震災」を背景にすると、なんと美しくみえてしまうのなのか。
「非常時」だから、しょうがない。
たしかに、そうなのだと思います。
それぞれの人びとが、悲しみを乗り越えるために団結するには「会社を蘇らせること」が必要だったのもわかります。
「社畜になるな!」と言えるのは、自分たちの属している世界に、まだ余裕があるからではないのか?
紹介されている、社員たちの証言を読んでいると、震災時も「津波が来る」ということに対して、半信半疑、あるいは懐疑的で、「家の様子を見に帰りたい」と訴えていた人も多かったのです。
東北地方の太平洋沿岸の人たちは、過去の経験もあり、津波に対する心構えができていた、と言われています。
それでも、実際にそれを目の当たりにするまで、かなりの人が実感できていなかった。
従業員たちは、なかなか持ち場を離れたがらない。避難命令が下ったからといってただちに作業を中止して避難できるほど、オペレーションは単純なものではないのだ。
ボイラーを担当している原動課課長、玉井照彦(45)はラガーマンのような体格の持ち主で、この震災にあっても、外見に違わずどっしりと構えていた。
「たとえ津波が来ても、チャポチャポって足元が浸かる程度だろうと思いました。大きなものなんか、警報が出ても来たためしがないでしょう? たいていは数センチ海面が浮くぐらいなもんなんですよ。『津波なんてそんなもんだろう』と思いました。それよりも、タービンの方が気になった」
津波が来る前に避難先から、「ちょっと家の様子をみてくる」と引き返していった人たちは、もう、戻ってこなかったそうです。
日本製紙は、日本の出版用紙の約4割を担っていました。
その主力である石巻工場の再興は、日本の出版界の命運も握っていたのです。
三浦しをんさんの『舟を編む』には、辞書編纂者たちの「めくったときの紙の感触へのこだわり」が描かれています。
「紙」という言葉にまとめられているものには、実際は、さまざまな色や厚さのものがあるのです。
印刷用紙には、用途に応じていろいろな種類がある。たとえば辞書に使われる紙は、極限まで薄く、いくら使っても破けないという耐久性が特徴だ。しかも静電気を帯びないように、特殊加工が施されており、高い技術が要求される。
雑誌に使われている用紙は、読んでいて楽しさや、面白さを体験できるものであることが求められる。最近よく好まれているのは、紙が厚くて、しかも柔らかく、高級感のあるものだそうだ。読者はめくった時の快楽を無意識のうちに求めているのだろう。
ところで、雑誌には、たいてい異なる手触りのページが何種類か含まれている。
雑誌の中に挟む込まれた、異なる質感の紙をアクセントページという。これは「ここから違う特集が始まりますよ」という合図であるとともに、異なった「めくり感」を出すことで、新たな興味を抱いてもらうという演出である。同質の紙ではやがて飽きてしまう。そこでアクセントページの、指先から脳へ伝わる異なった触感が、未知のものへの好奇心をそそるのである。
文芸の書籍には文芸の紙の選び方というものがある。装幀家や編集者は、原稿に目を通し、作品の中身を咀嚼したうえで紙を選ぶ。
製紙会社には、紙の作り方と記した門外不出の「レシピ」と言われるものだがある。表面の仕上げに使う薬品など、それぞれの紙の仕上げ方は、長年の研究の上に積み上げたものである。それらもまた、知的財産としてそれぞれの工場内で伝えられている。しかし、「レシピ」だけでは完璧に仕上げることができない。最後の微妙な塩加減が料理人の腕にかかっているように、技術者たちの微調整が完璧な紙を作り上げているのである。
そのノウハウを蓄積してきた工場が水に沈んだ。石巻工場は間違いなく日本製紙の心臓部であり、出版用紙の供給責任を大きく負っている。しかし紙の市場が、電子化と少子化などの影響で年々縮んでいることは間違いない。特に出版用紙については、この傾向が顕著だ。
石巻工場を再生させるのか、それとも閉鎖するのか。
その決断が日本製紙の命運を左右する。社員たちは、そのことを痛いほどわかっていた。
震災後「紙不足」になり、出版物の発行が難しくなるのではないか、というニュースを、僕もかなり見ました。
しかしながら、実際は(少なくとも表向きには)、「紙不足で出なかった雑誌や本」には気づきませんでした。
関係者の不断の努力で確保されたであろう紙の出版物を、僕はそんなことは意識せずに、ずっと読んでいたことになります。
そして、「日本製紙石巻工場」は、必ずしも「再生されるのが当たり前」ではなかったのです。
かねてからの出版不況もあり、今後も同様の災害のリスクが消えるわけではありません。
工場内は瓦礫と泥の山で、電気もしばらくは通らず、復旧作業には多大なコストがかかります。
出版用紙の需要は、ネットや電子書籍によって、今後も減っていくでしょう。
「このまま閉鎖する」という選択肢も、ありえたのです。
もし、この工場が閉鎖されていたら、日本の出版文化の「電子書籍化」が、急速に起こっていたかもしれません。
当時の工場長だった倉田さんは、あまりにも厳しい「目標」を掲げました。
倉田の話は続く。
「まず、復興の期限を切ることが重要だと思う。全部のマシンを立ち上げる必要はない。まず一台を動かす。そうすれば内外に復興を宣言でき、従業員たちもはずみがつくだろう」
「はい」
課長たちは思わず身を乗り出す。
「まず、一台でいいんだ……」
なるほど、まず一台動かせば、工場の復活を印象づけられる。
ところが次の瞬間、倉田は表情を変えることもなく、課長たちが耳を疑うようなことを言い始めた。
「そこで期限を切る。半年、期限は半年だ」
「えっ?」
一同唖然として、驚きのあまり声も出なかった。
<……半年?>
誰も面と向かって異議を唱えようとする者はいない。
しかし、関西出身の金森は反射的に心の中でこう叫んだ。
<アホか、おっさん! できるか!>
倉田もあの惨状を見ているはずだ。瓦礫と汚泥がうずたかく積もり、どこから工場でどこから外かもわからない廃墟を、それを半年復興とは。うちの工場長は寝ぼけてでもいるのか。
日本製紙の奇跡的な半年での「再起動」には、社員たちの不屈の努力があったのです。
そのおかげで、「紙の出版文化」は延命されました。
日本製紙のスタッフたちの再生への献身的な努力には「紙の出版文化が失われてしまうことへの危機感」もあったはずです。
それにしても、この本に掲載されているカラー写真で「惨状」を目の当たりにすると、半年とかいう話じゃなくて、この工場を再生させることができたこと自体に驚いてしまいます。
日本製紙石巻工場の再生、という明るい話題の一方で、著者は、被災地の人びとの悲しみにも「格差」があったことや、不法行為が行われていたことも書いています。
その頃多くの生き残った者が、何らかの複雑な感情を抱えていた。命があった者は命を失った者に、家族が無事だった者は家族を失った者に、家が残った者は家を失った者に、それぞれ、負い目とも罪悪感ともつかない感情を抱えていた。
彼らには、不平を言ったり、弱音を吐いたりすることなど、思いもよらなかった。
動ける自分たちができることをする。仕事があるのはむしろ気が紛れた。
著者が取材をしたある居酒屋店主は、こんな話を聞かせてくれたそうです。
石巻駅前から家までを往復する日々。街は昼間でも人影がない。嫌でも不審者がぶらついているのが目に入った。彼は、ファミリーマートを二、三家族が集団で襲撃しているのを目撃した。彼らは店に入り込むと、しばらくして商品を両手に抱えて出てきた。
「あいつら、ピクニック気分かよ」
生きるためにやっているのではないのは、すぐにわかった。彼らが抱えていたのはビールのケースだったのだ。
自然災害で店が壊れてしまったのなら、それは運命とあきらめもつくかもしれない。だが津浪の被害は免れたのに、この店は人間の力で壊されたのだ。窃盗犯の顔を見れば、唇にはうっすらと笑みすら浮かんでいる。
路上に止めてあった車には、ポリタンクを持った男女が群がっている。ガソリンを狙っているのだ。こちらも犯人は家族連れに見えた、渡辺は人心の荒廃にうすら寒いものを感じた。
全体として考えれば、被災した人びとは、冷静かつ利他的に行動していたと思うのです。
ただし、そこには「例外」もあった。
この「無法者たちの表情」については、目撃した人の主観に基づくものですし、ある意味、「振り切れて」いなければ、こんなことはできなかったのかもしれません。
でも、「被災地には、こんな現実があった」のは事実です。
僕だって、本当に食べ物に困ったり、子供が寒そうにしていれば、略奪をやらないとも限らない。
「生きるために、仕方なく」であれば、理解はできるんですよ。
ただ、ここに挙げられている事例は「混乱に乗じて、自分の欲望を満たす行為」にしか見えません。
著者は、新日本製紙の復興という「美しいもの」を描くのと同時に、「震災の現場は、美談だけが生まれていたのではない」ことも、あえて紹介しているのです。
生き残った人たちも、「自分の目の前で失われてしまった命」に対して、責任を感じ続けずにはいられない。
第三者からみれば、「自分の身を守るのに、精一杯の状況」であったとしても。
このノンフィクションを読みながら、自分が読んでいる本の「手触り」を確かめたくなることが、何度もありました。
紙の本があるのは「あたりまえ」だと思い込んでいるけれど、どこかで誰かが文章を書き、紙をつくり、印刷し、製本しているからこそ、この本は、ここにある。
そのリレーのどこかひとつでも欠けてしまったら、僕は、この本を読むことができなかったのです。
こんなに簡単に本が読むことができるのが「あたりまえ」の世の中って、すごいんだよね。
8号の親分、憲昭は今も石巻の8号マシンで紙を作り続けている。
なぜそこまでして石巻工場を復興させ、紙を作ろうとするのだろう。憲昭と娘の礼菜に話を聞いた。
「いつも部下たちには、こう言って聞かせるんですよ。『お前ら、書店さんにワンコインを握りしめてコロコロコミックを買いにくるお子さんのことを思い浮かべて作れ』と。小さくて柔らかい手でページをめくっても、手が切れたりしないでしょう? あれはすごい技術なんですよ。一枚の紙を厚くすると、こしが強くなって指を切っちゃう。そこで、パルプの繊維結合を弱めながら、それでもふわっと厚手の紙になるように開発してあるんです」
子どもも、そしてかつて子どもだった大人も夢中になって読んだ漫画雑誌の一枚、一枚の手触りに、彼ら無名の職人たちの矜持と優しさがこもっている。
「衰退産業なんて言われているけど、紙はなくならない。自分が回している時はなくさない。書籍など出版物の最後のラインが8号です。8号が止まるときは、出版がダメになる時です。ネットが全盛の世の中ですが、もしかしたら、サーバーがパンクして世界中の情報が焼失しちゃうということだってあるかもしれないでしょう。その日のためにも、自分たちが紙を作り続けなければと思っています。