琥珀色の戯言

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【読書感想】エースと呼ばれる人は何をしているのか ☆☆☆


エースと呼ばれる人は何をしているのか

エースと呼ばれる人は何をしているのか


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
芸能人もビジネスマンも、成功する人はみんな、同じことをやっている。すべてのビジネスマンが読むべき「働き方」「学び方」の心得!200万人以上にダンスを指導してきた著者が贈る「自分のよさ」を最大限に引き出す方法。


僕にとっての、夏まゆみ先生(なんだか「先生」って付けたくなる人なんですよね、夏さんって)は、『ASAYAN』で、モーニング娘。のメンバーたちを厳しくしごくダンスの先生、というイメージが強いのです。
夏先生は、モーニング娘。のみならず、AKB48吉本印天然素材、ジャニーズ、宝塚歌劇団など、300組以上のアーティストにダンスの指導をし、NHK紅白歌合戦に17年以上も参加、1998年冬季長野オリンピック閉会式の振り付けも担当されており、いまや、日本を代表する振付師、ダンス指導者です。
その夏先生が、一時はOLをやっていて、会社の窓から見かけたダンス教室に入ったのがきっかけで、プロのダンサー・振付師になったというのは、この本ではじめて知りました。


正直、この本を読みすすめるまでは、半信半疑というか「ありがちな、芸能人ネタを絡めた、自己啓発書なのだろうな」と思っていたのです。
冒頭の「エース」と「センター」の説明なんて、かなり違和感がありましたし。

 具体的にいうと、ここで使われている「エース」という言葉が、アイドルでいう「センター」という意味で使われているために生じている問題です。
「エース」も「センター」も、どちらも同じではないのかと感じた方もいるかもしれません。しかし、「エース」と「センター」はまったく違います。


(中略)


「センター」とは、冒頭で述べたように、チーム全体のポジションに立ち、「チームの顔」として振るまう人のことをいいます。そのため、人によって向き不向きがあり、センターとしての特性を備えていなければなりません。AKBでいえば前田敦子のような存在であり、曲によって違いはあるものの、基本的にはひとつのチームで一人が背負う存在です。
 一方、「エース」とは自分自身の実力や魅力を、発揮するべき場所で十分に発揮し、輝いている人のことをいいます。私はこれまでアイドル、芸人、紅白歌合戦や1998年冬季長野オリンピックなどを通して、芸能人から一般の方々まで、のべ210万人以上の人にダンスを指導し、それ以上に多くの人に出会ってきましたが、そこで感じたことは、人には必ず自分が輝ける場所があるということです。

 
 夏先生が仰ってる内容が間違っているわけではないのですが、少なくとも日本での一般的な認識としては「センター」は、「エース」とほぼイコールでしょう。「チームの中心となる、スター選手」のことだと解釈する人が多いはずです。
 夏まゆみ基準では「センター」と「エース」は全く別のもの、として話は進められていくのですが、「エース」という言葉に馴染みがあるだけに、なんだかスッキリしないんですよ。
 僕がいままで認識してきた(そして、おそらく世間一般がイメージする)「エース」という言葉が、「世界に一つだけの花」として使われていることが、なんだかすごく引っかかるのです。
 「センター」とは違う「世界で一つだけの花」があるんだ、という主張は理解できるし、夏先生の話は面白いのだけれども、突然「エース」=「世界で一つだけの花」という使い方を押しつけられると、困惑してしまいます。
 「エース」じゃない他の言葉か、あるいは新しい言葉をつくって説明すればよかったのに……


 とりあえず、夏先生は、この「エース」について、こう仰っています。

 そんな「エースと呼ばれる人が持つ考え方・習慣」=「エースの資格」は大きく分けるとたったの三つしかありません。


(1)自己を確立し
(2)自信を持ち
(3)前に向かって進む


 これを身につけるだけで、誰でも成長し、成功への道を歩むことができるのです。


 ものすごくシンプルな言葉だし、根性論的なところも少なからずあるのですが、数々の「成功した人、失敗した人」を目の当たりにしてきた夏先生の言葉には、かなり説得力があるんですよね。
 夏先生は厳しく指導している姿ばかりがバラエティ番組では採り上げられがちなのですが、この本を読んでいると、指導する相手を自分の型にはめてしまおうというのではなくて、その人の個性をよく観察しながら、臨機応変に対応しているということが伝わってきます。
 振付師として、これほど成功を収めているのは、当たり前のことなのですが、運だけではないのです。

 アイドルもビジネスマンも、ある意味では”評価されてナンボ”の世界です。どんなに努力したとしても、会社や世間が評価してくれなければ出世や成功は望めません。
 とはいえ、周囲の評価ばかり気にするのも考えものです。
 たとえば振り付けリハーサルの最中に、躍りながら私のほうばかりチラチラ見てくる人はまず上達しません。「先生の反応はどうだろう……」なんてことだけ考えて躍っているから、本来の目的を見失ってしまうのです。
 本来の目的とはこの場合、ダンスの技術や表現力を磨くことであって、「夏先生にほめてもらうこと」ではありません。だったらレッスン中は私の顔色なんてうかがっていないで、鏡に映る自分自身をしっかりと見て、イキイキと美しく躍れているかを確認すべきでしょう。
 自分の気持ちがどちらに向いているか、それが、自己が確立できているかどうかを自分自身ではかる絶好の機会になります。
 正直にいえば、私だって自分の振り付けたダンスがどんなふうに評価されるのか、CDやPVの売り上げがどうなるかは、もちろん気にはなります。でも、それを優先順位の一番上に持ってくることはありません。ウケるかどうかを第一に考えていたら好きなもの、新しいものはつくれないし、自分にうそをつくことになるから、結果、いいものだって生まれません。
 エースと呼ばれる人たちは、このあたりのバランス感覚が絶妙です。他人の評価を無視するわけではないけれど、それに振り回されたりはしない。それはつまり、自己を確立している証なのです。


 この「他人の評価を無視するわけではないけれど、それに振り回されたりはしない」という、絶妙のバランス感覚こそが、大事なんでしょうね、きっと。
 こうして言葉にすると簡単そうに思えるけれど、これを生身の人間が実行するのは、すごく難しい。
 とくに芸能界のような「雑音」が多い世界だと「周囲の反応に過敏になりすぎてしまう」か「すべて耳に入らないように遮断してしまう」かの両極端になりそうです。
 ただ、こういうのって、後天的に身につけられる「能力」なのだろうか……とか、考え込んでしまうのですよね。
 一種の「才能」なんじゃないか、と。


 夏先生は「努力・根性」だけの人ではありません。

 長所・短所には、スキル的なものと性格的なものがあります。たとえばダンスが下手なのはスキル的な短所であり、ダンスに不熱心なのは性格的な短所です。
 このうち、まず着手すべきはスキル的な短所の克服です。ダンスが下手、英語が話せない、事務作業が遅い……等々、スキル的な問題はどれも練習すればしただけ上達するのだから、話は簡単です。


 夏先生は、専門のインストラクターの指導を受けて、苦手だったスピーチを練習したことにより、みんなに話を聴いてもらえるようになり、自信もついたという社長さんの例を挙げています。
 スキル的な短所と、性格的な短所が存在した場合、まず、スキル的な短所を克服することを考えよう、そのほうが、簡単だから。
 そして、スキルアップすることによって、性格的な短所も克服しやすくなる場合が多いのです。
 ダンスが上手くなれば、みんなに観てもらいたくなって、より熱心に練習するようになるはず。
 逆に、「まず熱心に練習しろ!」と言われても、「どうせへたくそだし……」と堂々巡りになるばかり。
 そういう「職人としての、プロフェッショナルとしてのプライド」「スキルを重んじる姿勢」が夏先生からは伝わってくるんですよね。
 どんな相手だって、自分が指導すれば「それなりのもの」にしてみせる、っていう。


 夏さんは、NHK紅白歌合戦の振り付け指導をしていたとき、やる気のないバックダンサーたちに、こんな言葉をかけたそうです。

「君たちはAKBやモーニング娘。なんてただのアイドルと思っているかもしれないけれど、彼女たちは君たちよりはるかに踊れるし、ずっと輝いているし、もっと真剣だし何より彼女たちは責任を持っている。渡辺麻友とか柏木由紀とか高橋愛とか道重さゆみとか、全員が自分の名前を出して、自分の名前で勝負している。それが君たちはどうだ。バックダンサーだから名前が出ないのはしかたがないにしても、バックダンサーというひとつのくくりにおさまっていることに甘えて、あまりにも責任を持たなさすぎる。それが君たちの弱さなんだ。君たちがこれからもずっとバックダンサーでいいと言うなら別だけど、そうじゃないならもっと仕事への取り組み方を変えなきゃいけない。君たちはもっと『個人』にならなきゃだめなんだ」


「どうせバックダンサーなんだから」「自分の名前は出ないんだから」というような意識は、ダンサーたちだけのものではないはずです。
僕はこの言葉、なんだかすごく身にしみました。
「どうせ」と諦めてしまっては、不満な現状は変わらない。壁を破ろうと思うのであれば「個人として、自分に責任を持つ覚悟」が必要なのですよね。

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