琥珀色の戯言

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【読書感想】本は死なない ☆☆☆☆


本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」

本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」


Kindle版もあります。僕は紙で読みましたが、内容や外部へのリンクの使い勝手を考えると、電子書籍を読める環境の人は、Kindle版のほうが良いかもしれません。

本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」

本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」

内容紹介
初代キンドル開発者にして、電子書籍の基準を創った天才の独白。


紙の本をそのまま最初から読む時代(Reading 1.0)から、デジタルの特性を活かした電子書籍を堪能する時代( Reading 2.0)へのシフトは、単に読書の世界や出版業界のみならず、人間の思考や社会構造までも大きく変化させていく。
AmazonGoogleでReading 2.0の土台を築いた人物が初めて明かした、
未来の世界像。


以下は作者が本書で言及する予言の一部です。


●2016年頃には、電子書籍が消費者全体の半数に普及する
●それぞれの本に専用の辞書が組み込まれる
●いずれは電子書籍の中古販売も実現する
●秘書機能が電子書籍に導入される
●電書は読者や作者が集まるチャット・ルームになる
●家庭から本棚がなくなる
●「本を所有する」という概念自体がなくなる
●読書は「娯楽を体験する」形に変わっていく
●脳に直接訴えかけるような読書形態が生まれる
ハイパーリンクで世界中のすべての本がつながる
●「読書用フェイスブック」が生まれる
●映画や音楽も「1冊の本」の一部となる
●これからの作家にはデータ分析能力が求められる
●出版業界の構造が大きく変わり、販売店が力を持つ


この本、読むまでは、かなり期待していました。
初代Kindleの開発者による「本の未来」の話というのは、本好きとして、聞いてみたくなりますよね。


ただ、率直に言うと、僕が期待していたような「目新しいこと」は、あまり書かれていませんでした。
内容としては、これまで、さまざまな人が指摘したり、提言してきた「紙の本の価値」と「電子書籍によって、読書はどう変わるのか」を総括したもの、という印象です。
もちろん、それが悪いというわけじゃないんですよ。
そういう「電子書籍への転換期の、本についての議論」をこれまで読んだことがない人であれば、「これ一冊読めば、いまなされている議論の概略が理解できる」という意味で、かなり有用だと思います。
著者のキャリアをみて、「何かものすごいことが書いてあるんじゃないか」と、勝手に期待してしまっていたのですけど、Kindleの開発者が、あまりに突飛な未来予想図を描いているほうが、本来はおかしな話なんですよね。
そもそも、Kindleそのものが、著者がもたらそうとしている、読書の未来を切り開く道具、であり、それがこんなに一般的になっていることが、ひとつの「答え」でもあるのでしょう。

 私は紙の本が大好きだし、紙の本にも良さがあるとは思っているが、やはり電子書籍が持つ可能性を信じている。私はアマゾンで5年間にわたり電子書籍用の技術や端末の開発に携わり、読書の新しい形を生み出すことに専念してきた。このプロジェクトに長期間かかわったことで、私は電子書籍の開発に関しては長老のような役目を果たすこととなり、後輩にキンドルプロジェクトの初期の頃の話を聞かせたり、チームの内情を教えたりもした。この本ではそういった電子書籍開発の知られざる裏側を明らかにするが、キンドルだけでなく、電子書籍全体を視野に入れて話を進めていきたい。電子書籍のこれまでの軌跡を見返したうえで、読書やコミュニケーション、そして人間の文化のこれからについても考察する。


著者はまず「本の歴史」から語り始めます。
6000年前、粘土版に彫られた「楔形文字」から。


活版印刷をつくりあげたグーテンベルクの興味深いエピソードが紹介されています。

 グーテンベルクはアップルのスティーブ・ジョブズやアマゾンのジェフ・ベゾスと同じくらい仕事熱心だった。1ページに何行の文章を印刷すれば見た目の美しさとコストのバランスを取れるのか。行数を増やせば印刷ページ数は減らせるが、その分、読みにくくなってしまう。そのようなことで数ヶ月も頭を悩ませ続けていたという。
 興味深いのは、アマゾンの会議室でも連日、同じ問題が話し合われていたことだ。私がジェフと副社長たちを交えたそのミーティングに参加したとき、ジェフはキンドルの画面上にいったい何行の文章を表示すべきかについてずっと頭を悩ませていた(ミーティングが終った後にジェフから届いた午前3時のメールにも、行数についての悩みが書かれていたほどだ)。電子書籍革命を起こすには印刷技術にも変革が必要なのかもしれない。その意味でジェフやジョブズ、あるいはグーグルのエリック・シュミットといったIT業界の巨人たちは、数百年の時を隔てたグーテンベルクの生まれ変わりとも言える。


いつの時代も「本」をつくろうとしてきた人たちが悩んできたポイントというのは、同じだったのだな、と。
電子書籍の場合は、読む人が自分で「ちょうどいい字の大きさ」を調整することが可能となっており、これは革命的なことではあります。
その一方で、紙の本に慣れていると、「自分で設定するのではなく、『誰か』にベストなレイアウトを決めておいてもらいたい」とも思うのですけど。
「自由」って、けっこうめんどくさいところがあるから。


電子書籍の普及は、本の内容の変化にもつながっていくと予想されています。
これまでの本は、著者が書いたものを、読者が読み、受け取っていく、という一方通行のものでした。
もちろん、長い目でみれば、読者の感想が著者にフィードバックされ、改訂やその後の著作の参考にされることがあるのですが、それが反映されるには、長い時間を必要としていたのです。

 だがやがて状況は変わっていくだろう。特にノンフィクションものの本の場合は、作者と読者が共同でテーマを絞り込み、読者が本当に知りたい事柄を炙り出すことができるので効果的だ。両者が相互に関わり合う時間が増え、本の品質も上がる。
 このようにして読者が書籍製作に関わっていくことで、いずれ「原作者」という考え方も消失していくのではないだろうか。ある種のジャンルでは、作者は少し強い権限を持った読者の一人になることも考えられる。原稿を書くのは作者だが、事実確認や重要ポイントの具体化、見落としの補完などの面では読者との意見交換に頼ることになるからだ。
 今後は作者と読者がオンライン上で一体となり、一度出来上がった本に共同で何度も推敲を重ねていくような時代がやってくるだろう。その過程で結末や展開が変わったり、新たな登場人物が生まれたりする場合もあるかもしれない。そしてこうした編集工程は、紙の本より電子書籍の方が効果的に進められる。紙の本に付録や新しい章を追加して新編集版を発行するような場合でも、その過程で従来とは違い、オンライン・ミーティングのような新しい形での意見交換が行われるケースも増えるだろう。
 いずれ電子書籍は、それ自体がコミュニティのメンバーが集まるチャット・ルームのようになっていくかもしれない。あるいはオンライン・ゲームのように、世界中の読者がヘッドフォンを装着してオンライン上で議論を重ねながら、さまざまな試みを打ち出していく。作者はオーケストラの指揮者のような役割をこなし、読者が演奏家となる。読者がさまざまな言葉を紡いでいく一方で、作者はそれを拾いながら舞台を設定し、物語を形作っていく。無数のプレイヤーが集まって冒険を進めていくためのフィールドと背景グラフィックを用意するゲーム・デザイナーのような役割を担うようになるだろう。


まだインターネットが普及する以前、筒井康隆さんが『朝のガスパール』という、パソコン通信経由の読者の反応をフィードバックしながら書き進める小説を朝日新聞で連載したことがありました。
あれはまさに、インターネット時代の新しい作品のありかたを先取りしたものだと言えるでしょう。
しかしながら、創作の世界ではとくに「みんなで話しあって、多数決をとったら良い作品ができる」とも限らないんですよね。


また、こんな「新しい小説」の話も。

ゴッホの手紙』のように、手紙のやり取りをまとめた本も昔から人気が高いが、現代の手紙、すなわちメールを書く感覚で小説を作り上げる動きも出てきている。その代表例が2000年頃に日本で生まれた「ケータイ小説」である。作者が携帯電話のメール作成機能などを使って書いた文章を、携帯電話用のサイトで配信するという形で普及したもので、いわば「ケータイ」で書き「ケータイ」で読む小説と言える。若年層を中心に絶大な人気を博し、多くの作品が後に書籍化、漫画化され、テレビドラマや映画にもなった。その後ケータイ小説はアメリカや中国など世界各国に広がり、南アフリカにも携帯電話のメール形式で小説を書いたり受信したりするためのアプリが普及している。


僕は「ケータイ小説」って、日本独自の作品形態というか、ある意味「時代の徒花」みたいなものだと思っていたのです。最近はすっかり下火にもなっていますし。
ところが、「ケータイ小説的なもの」は、いまや、世界中に広まっているのです。
内容が日本と同じようなものなのかどうかは、書かれていませんでしたが。


この本を読んでいて驚いたのは、現代アメリカの「読書事情」でした。

 アメリカでは、ビデオゲームや映画、テレビ番組に押され、娯楽としての本の地位は大きく揺らいでいる。平均的なアメリカ人がテレビを視聴する時間は1日2時間だが、本を読む時間はその20分の1程度に留まっているという。だが読書という文化が消えることはけっしてない。

 普及レベルが初期多数派の層に達したときが、新技術が最も高い収益を見込める時期となる。私が調べた限りでは、少なくともアメリカは電子書籍リーダーの普及率が2013年にこのレベルに達している。出版業界の市場調査を専門としているSimba Information社が2012年にまとめた報告書から、同年にはすでにアメリカの成人の24.5%が日常的に電子書籍を読んでいたことがわかっている。また、アメリカの研究機関ピュー研究所が2012年に実施した調査からも、同年にアメリカの消費者の33パーセントが電子書籍リーダーまたはタブレッット端末を所有していた事実が判明している。

 そして私たちがもっと本を読まなければならないという使命感に駆られるのも、ある意味で当然と言えば当然と言える。アメリカの教育研究機関・全米教育協会が複数の出版社と共同で実施した調査からは、アメリカ人の半分は本を読むが、残りの半分はまったく読まないことがわかっている。また、この調査からは、最終学歴が高卒のアメリカ人の33パーセントは卒業後一冊も本を読まず、大卒の場合はそれが42パーセントに達することもわかっている。非常に悲しいことだが、アメリカの一般家庭の80パーセントは、1年間で本を一冊も購入していない、あるいは読んでいないことも明らかになっている。出版社にとっては目を覆いたくなるような数字だろう。


「アメリカの一般家庭の80パーセントは、1年間で本を一冊も購入していない、あるいは読んでいないことも明らかになっている」
 Kindleの普及によって、さらに本を読むようになっている人がいる一方で、本を買ったり読んだりするという選択肢そのものが失われている家庭が、多くを占めるようになってきているのです。
 しかしこれ、「本当なの?」って思ってしまいますよね……
 インターネット時代ではありますし、本だけが情報源というわけではないのでしょうけど。


 僕は本好きとして、「紙の本から、電子書籍へ」という過渡期を、興味深く、あるいは少しせつない気持ちで見ています。
 でも、これを読んでいて、「紙と電子書籍で争っている場合ではなくて、『本』そのものが時代に淘汰されるかどうかの分岐点にさしかかっているのではないか?」と感じました。
 むしろ、電子書籍というのは、本にとっての「明るい未来」というよりも、「生き残るための道」なのかもしれません。
 紙の本を持ち歩くのは煩わしくても、スマートフォンタブレット端末は、みんな「生活必需品」として常に携帯しているのだから。

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