琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】地震と独身 ☆☆☆☆


地震と独身

地震と独身


Kindle版もあります。

地震と独身

地震と独身

内容紹介
独りだから、できたことがある。独りだから、諦めたことがある。あの震災で独身は何を考え、どう動いたのか。「家族の絆」が強調される一方でほとんど報道されなかった独身者の声を聞くため、作家は旅に出た。激務の末に転職、特技を生かして被災地に移住、震災婚に邁進、答えを求めて仏門へ――非日常下で様々な選択を迫られた彼らの経験から鮮やかに描き出す、独身と日本の「いま」。


 東日本大震災から、3年が過ぎました。
 少しは「当時」のことを、落ち着いて振り返ることもできる時期なのかもしれません。
 あくまでも「直接の大きな被害を受けていない人びと」に限るとしても。


 著者の酒井順子さんは『負け犬の遠吠え』などの「独身女性もの」のみならず、松任谷由実さんを評した新書や、「女子と鉄道」など、さまざまなジャンルで活躍されているエッセイストです。
 この本は、その酒井さんが「独身」の視点から、「東日本大震災後の日本で、独身者はどう過ごしてきたのか」を取材してまとめたもの。
 「絆」とか「家族の物語」として語られがちな東日本大震災ですが、当然のことながら、「独身で被災した人たち」もいたわけです。

 独身と言っても、パターンはいくつかあろうと思います。高校生も独身だし、既に配偶者を亡くしたお年寄りも、独身。しかし私が「地震の時に、独身の人達はどうしていたのであろうか?」と思う時の「独身」とは、若者でもお年寄りでもない独身者のことです。つまり、同世代の人は結婚していてもおかしくない、もしくは同世代の多くの人が結婚している、という状況のなかで結婚していないという独身者を指します。そういった独身者達は主に都会、特に東京に多く生活していることが知られていますが、しかし被災地には全くいなかったのか?
 テレビの前でそんなことを考えていたのは、私もまた独身者であるからです。その上、両親は既に他界していますし、子供を産んだ経験も無いため、上にも下にも係累がいません。兄とその家族がいますので、天涯孤独の身ではありませんが、かなり純正な独身者であると思います。
 自分が独身であるが故に、気になるのは同じ独身者のこと。震災によって語られた多くの家族の物語とは対照的に、独身者の姿があまり見えてこなかったからこそ、私は今、このようなエッセイを書いています。地震の影響を受けた独身者に会って、彼女・彼達の話を聞いてみたい、と。


 この本を読んでいて、西日本在住だった僕も、「仕事と家庭」について、あらためて考えさせられたんですよね。
 たとえば、こんな話があります。

 仙台に住む、病院職員のゆり子さん(37歳)のお話は、その象徴的なものでした。仙台は、場所によっては震度6強という激しい揺れに襲われた地。ゆり子さんはその時、病院内にいたのですが、医療機器などが落ちたり倒れたりする、大変な揺れに見舞われました。
 怪我人や急病人などが搬送されるケースは少なかったものの、余震の中、片付けなどをしなくてはなりません。
「でも、子供がいるお母さんなんかは、子供が心配だからと、早く帰ってしまったんですよ。その結果『独身の人は残れるよね?』っていう感じになって。で、私は残らざるを得なくなったんですね。それで系列の違う病院に行きまして、夜通しそこに詰めることになりました。
「結局、普段は仕事の上で頼りにしていた女性の主任さんなども、小さな子供がいるということで翌日から出勤してこなくなりまして。シングルの人だけが出勤していた、という状況でしたね。子供さんの面倒をみるのも大変だということはよくわかるのですけど、肝心な時に頼りにならないなぁって、ちょっと嫌な感じになりました」
 という状況に。だというのに、
「休みなく、既婚者の分も働いたのに、私のお給料は変らないんですよ。それも不満で、結局、私はその後、職場を辞めて転職してしまいました」
 ということなのでした。仕事を辞める時、ゆり子さんは女性主任から、
「頼りにならない上司でごめんね」
 と言われたのだそうです。
「その時は、『ああ、わかってたのかな』とは思いましたけど……」
 と、納得はいっていない様子です。
 震災は、既婚者に「仕事か、家族か」という問題を突きつけました。もちろん親という立場にある人にとって、非常時において守らなくてはならないのは、自分の子供です。が、そこに仕事がある限り、誰かが仕事をしなくてはならないわけで、そのツケが独身者にまわったということは、見落とされがちなのではないか。
 非常時に仕事をとったか家族をとったかは、人それぞれです。夫が仕事を優先させたことによって不信感を抱いた妻もいたはずですが、仕事を置いて家族を優先した既婚者に対して、不信感を抱いた独身者がいたことは事実。

 
 震災時に限ったことではなく、独身者のほうが「酷使」されやすい、というのは、たしかにあるんですよね。
 あの震災のときも、職種によっては、仕事がかなり増えてしまいました。
 しかしながら、家庭持ちは「子供のために」「家族のために」という目的があれば、仕事から離れたり、休んだりすることも「許されなくてはならない」のです。
 そのしわ寄せは「君は家族がいないから、大丈夫だよね」と、独身者に降りかかる。
 うーむ、誰かがやらなければならないこと、があるとすれば、「家族がいない人」にばかり負担をかけるのが、正しいのかどうか。
 ……とか言いながら、僕もけっこう「家庭の事情」で、周囲に負担をかけることもあるんですよね。
 ただ、平時であれば、内心はともかく、「まあ、子どもの具合が悪いんだったら、しょうがない」と、独身者たちも表立って苛立ってみせたりはしません。
 それが、震災下という、より生命のリスクが高い状況で、「独身だから」という理由で過剰な労働を強いられるのは、嫌ですよね、やっぱり。
 僕が「独身側」だったら、嫌だと思うもの。
 なんのかんの言っても、そこに仕事があって、自分しかやる人がいなかったら、しょうがない、というのが実感なのでしょうけど。
 そもそも、独身なのも結婚しているのも、それぞれ「選択の違い」だけであって、優劣があるようなものじゃないはずです。
 「結婚している」「子どもがいる」というのは、「働かなくてもいい理由」になるのかどうか?
 そういう理屈を並べながらも、僕自身はやっぱり「そういう状況では、自分が先頭に立って仕事をやりたくはないなあ」と思ってしまいます。


 酒井さんは、被災地で活動した独身者たちにもインタビューしています。


 東京在住の会社員・蓉子さん(41歳)は、ボランティアについて、こんな話をされています。

 若いボランティア達をまとめる作業も、大変だったようです。
「精神的に不安定という子がいたりして、ボランティアでの仕事の上でも生活面でも、うまくいかないことがありましたねぇ。『これが仕事の仲間同士だったら、ずいぶんスムーズにできるだろうに』と、何度思ったことか。何せ初対面の人達なので、あまりにも人によって常識が違うということに、神経をすり減らしました、ボランティアにのめりこむ若者達の中には、色々な事情を抱えていたりする”青年弱者”的な子もかなりいるんですよね。そういう子達が世の中にはすごくたくさんいるということに、初めて気づかされました」
 ボランティアの内容についても、難しい問題がありました。
「無料で物を配るということに対しての非難は、かなり受けましたね。他のボランティア団体の人から『うちは常駐して地道な活動をしているのに、あなた達は突然やってきて物を配るんですね』みたいなことを言われたり。あと行政からも、被災者全員に配れるならいいけど、そうじゃないとクレームがくる、って言われたことも」


 もちろん、困ったことやつらいことだけではなくて、大きなやりがいも感じておられたそうです。
 その一方で、「ボランティアの危うさ」も痛感したのだとか。

 活動を続けるうちに、蓉子さん達のグループは、どんどん大きくなっていきました。有能がキャリアウーマンである蓉子さんは、グループの中でも中心的な役割を担うように。被災地とのパイプ、そして物資等を提供してくれる人達とのパイプも太くなり、様々な橋渡し役も引き受けるようになっていきます。
「でもある時ふと、『これは支援ではなく文化祭ではないか、このままやっていたら、終らない文化祭になるのでは』と思う瞬間があったんですよ。わーっと集まって、本業ではないことをイベント感覚で懸命に行っていたのが、次第に冷静になったというか。
 ボランティアって、一種の中毒性があって、働いて感謝されて、『他者に求められる』っていうことの気持ち良さに身を任せているという人も結構いまして。ほとんど災害ジャンキー、と言うか。でもその気持ちは私にもよくわかって、半分自分もそうなりかかっていた。最初のストレスフルな状況を乗り越えたら、その後の数ヶ月は、面白いことも充実感も、かなり味わいましたから。
 でも次第に、その『ずっと文化祭状態でいいのか』という気持ちが募ってきたのと、物資を配るという意味では活動も一段落してきたのとで、私は最初の団体から少しずつ、距離を置くようになったんですよね」


 「終らない文化祭」か……
 そんなふうに「盛り上がってしまった人たち」の気持ちはわかるし、ボランティアの大変さを考えると、そのくらいの見返りがあっても良いと思うんですよ。
 でも、そこから「日常」に帰るのが、難しくなってしまう人がいる。
蓉子さんは、ストレスから、十二指腸潰瘍になってしまったこともあるそうです。


 被災地の現状について、こんな話も出てきます。

 南相馬市街地は、福島第一原発まで24キロ。JR常磐線が通っていますが、津波原発事故の影響で、広野〜原ノ町間、そして相馬〜浜吉田間は運休中。原ノ町〜相馬間の四駅分の区間を、往復運転しています(2014年1月現在)。
 私は仙台からバスで原ノ町駅へと向かったのですが、南相馬に近づくにつれ、水が張られていない田んぼが増えてきました。運転本数が少なくなった駅は、しんとした雰囲気です。
 原ノ町駅周辺には市役所などもあり、南相馬市の中心部となっています。駅前には、相馬野馬追の像。駅名標にも野馬追の絵が描かれてあって、ここはあの野馬追の地でもあるのでした。
 隆さんが勤める施設に入ると、子供達が元気に遊んでいました。室内に大きな滑り台やブランコ、マットに砂場まであります。
「この辺りの子供って、二歳くらいだと砂場での遊び方を知らないんですよね。外の砂場で遊んだことがないから」
 と、案内して下さった隆さんの言葉に、まず衝撃を受けましたが、それはまぎれもない事実です。この砂場の底には傾斜がついていて排水もできるため、水を使うこともできるのだそう。震災前後にこの地で生まれた子供達は、砂場といえば室内を思い浮かべることになるのでしょうか。
 この辺りの子供達は、原発事故の後、外遊びを制限されてきました。ボランティアによって除染された公園もあるけれど、
「やっぱり、遊ばせたがる親御さんばかりではないですよね」
 ということ。だからこそ、このような室内の遊び場が必要になってくるのです。


 「砂場での遊び方を知らない」子供たち。
 東日本大震災原発事故についての報道も、すっかり「落ち着いてしまった」感じではあるのですが、被災地では、こういう「異常な日常」が続いているのです。
 砂場遊びと子供の成長に、有意な相関があるのかどうか、ちょっとネットで調べてみた程度ではわからなかったのですけど(というか「砂場で遊べない子供群」なんていう対照群をつくるべきではないでしょうし、子供の何を基準に「有効」「無効」を決めるのかも困難です)、うちの子供にとって「ごくあたりまえの遊び」を経験できない子供が、同じ日本に少なからずいるということが、なんだかすごくせつなくなりました。
 まあ、結局のところ、僕もこの本を「既婚者目線、親目線」で読んだ、ということでもあるんですけどね、ここにいちばん「引っかかってしまった」ということは。


 家庭持ちにとっては、正直、ちょっとした気まずさを感じる本ではあります。
 僕たちが「家庭があるから」とセーブした仕事は、代わりに誰かの肩に乗せられているというのが、震災という特殊な状況では、くっきりと浮き彫りにされているから。


 ただ、「独身者が損」だと感じたかというのも、人それぞれではあったのです。
 漁村で牡蠣やワカメの養殖をしていたという由香さん(33歳)は、こう仰っています。

「震災後は、独身でよかったなぁって思ったんですよね。家族を持っていたら家族を優先するだろうけど、独身だと、誰に対しても平等に、偏らずに何かをしてあげられるじゃないですか。誰でも、助けることができる。子供がいないから、身動きも軽いですしね」


 「独身」「既婚」「家庭持ち」というのは、ひとつの「切り口」ではあるけれど、それだけで「分類」できるようなものじゃない。
あらためて、そんなことを考えさせられる本でした。

アクセスカウンター