- 作者: 曽根悟
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/04/18
- メディア: 新書
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新幹線50年の技術史 高速鉄道の歩みと未来 (ブルーバックス)
- 作者: 曽根悟
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/05/23
- メディア: Kindle版
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内容紹介
1964年に世界初の高速鉄道として日本に誕生した新幹線は、2014年で50年を迎えた。新幹線の技術的ルーツが初めて世間に向けて発表されたのは「超特急列車 東京-大阪3時間への可能性」という1957年に開かれた講演会のことである。そこを起点とすれば57年になる。
当時、急速に劣化が進んでいた日本国有鉄道という組織の中で、新幹線は営業面でも技術面でも唯一の明るい部門であった。国鉄末期には停滞した時期もあったが、1987年に国鉄の分割・民営化が断行されて、新生JRによって再び活気を取り戻した。
極東の小国が自力で世界一の高速鉄道を造り、営業的にも大成功を収めたことに、鉄道先進国を自負していたヨーロッパ諸国は急追の動きを見せた。1981年にはフランスが新幹線を参考にして、また他山の石としてTGVというシステムを作り上げ,明確に世界一の座に就いた。
さらにその後、鉄道技術では後進国とのイメージが強かったスペインや中国によって、世界の高速鉄道の地図は大きく塗り替えられた。そのかげで、元祖新幹線には時代遅れや色あせたイメージさえつきまとうようになってきた。
一方で、災害大国でもある日本で、新幹線は奇跡ともいえるような安全実績を更新中であり、なお日本の新幹線には世界に貢献できる優れた技術も少なくない。日本の優れた技術と諸外国に見られる積極的な発想とを組み合わせれば、国の内外で鉄道の社会的役割が一層高められるであろう。
このように、新幹線が歩んできた50年の歴史を技術の視点で振り返りながら、リニア中央新幹線の建設も見据えて将来像を考えていく。新幹線ともに鉄道技術人生を歩んできた筆者による渾身作。
新幹線開業から、2014年で、もう50年になるんですね。
その間、事故による死者はひとりもなく、日本の技術の象徴ともなっている新幹線。
この本は、鉄道技術者として活躍してきた著者による、新幹線50年の「技術史」です。
ただし、内容的にはかなり硬派で、「技術の話」がかなり多くを占めているんですよね。
鉄道ファン、鉄道技術ファンにはちょうど良いのかもしれませんが、僕にような「鉄道は好きだけど、技術的なことにはあんまり興味ないんだよなあ……」という人間には、読んでいてちょっと辛いところもありました。
これを読んでいると、「日本の鉄道技術、とくに新幹線」は、誇るべきものであるのと同時に、あまり「世界に冠たる、特別なもの」だと思い込まないほうが良いのだな、ということがわかります。
敗戦国日本、というイメージが残っていた極東の小国が自力で世界一の高速鉄道を造り、営業的にも大成功を収めたことに、鉄道先進国を自負していたヨーロッパ諸国は急追の動きを見せた。1981年にはフランスが新幹線を参考にして、また他山の石としてTGVというシステムを作り上げ、明確に世界一の座に着いた。
さらにその後、鉄道技術では後進国とのイメージが強かったスペインや中国によって、世界の高速鉄道の地図は全く塗り替えられることになり、今では、スペインはヨーロッパ最大の高速鉄道網を持ち、中国は世界最大の高速鉄道保有国になった。そのかげで、元祖新幹線には時代遅れや色あせたイメージさえつきまとうようになってきた。
運行時間の正確さと安全性には定評がある新幹線も、1964年の開業からしばらくは、かなり試行錯誤があったようです。
建設される際には「これからは車による輸送や飛行機が主役となって、鉄道は時代遅れなのではないか」という反対意見も、かなり多かったのです。
結果的には、社会に与えた影響とともに収益性においても、新幹線は大成功、だったんですけどね。
今から考えると信じられないような話なのですが、開業から10年近くが経過したときには、新幹線は「限界」を迎えていたのです。
万博輸送が終わった後、1972年3月には山陽新幹線が岡山まで開業した。同時に、「ひかり」にも自由席が設置された。しかし、この頃から、線路と車両の酷使によって東海道新幹線の劣化は放置できないレベルに達していた。1974年から1975年にかけては、新幹線が一日無事に走れば新聞ネタになる、といわれたほどダイヤ乱れが日常化していた。
線路は軸重16tで設計されていたから、重量超過で運転しているうちに劣化がみるみる進んで、盛り土の変形が進んで徐行を余儀なくされたり、橋梁に亀裂が入ったりした。これらの結果ダイヤが乱れると、運行管理のまずさも手伝って新横浜までは何とかたどり着いても、東京駅に入線できずに終着を目前にして長時間ストップ、等という状態が連日のように発生してしまった。そこで、今の品川駅とは違って、上り線にだけ下車専用の臨時プラットホームを品川辺りに作ってそこで下車してもらう、などという案がこっそりと、しかし真剣に議論されるほどになった。
ここまでくると、さすがに放置しておくわけにいかず、1974年から昼間の列車すべてを半日運休にして「新幹線臨時総点検」を4回実施し、それに基づいて1976年から「体質改善工事(新幹線若返り工事)」と称する線路等の作り直しを余儀なくされた。実質的に軸重19tの列車でも安全に走れるように、橋や分岐路の取り替えなども含む大工事をしたのである。乗客の比較的少ない火曜日の夜から水曜日の午前中一杯、全ての列車を運休して線路の作り直しを1976年2月から1982年1月にかけて6年にわたって44回も繰り返した。こうして、新幹線はよみがえったのである。
1982年までやっていたということですから、僕の記憶に残っていてもおかしくないのですが、これは覚えていないなあ……
まあ、東海道新幹線の沿線に住んでいたわけではなく、新幹線にも家族旅行でたまに乗るくらいだったので、影響を受けていないから、なのかもしれませんが。
その後、さまざまな改良を経て、現在は緻密なダイヤ通りに運行されるようになっているのですが、「日本の鉄道は時間に正確」というのは「昔から」ではないのです。
著者は、リニア中央新幹線についても、技術的なメリット、デメリットも含め、かなり詳細に解説しています。
この本を読むと、車両や線路の改良によって、リニアにしなくても最高時速400km近くを出せる高速鉄道が開発されており、正直、「完成するのが十数年先だとしたら、完成する頃にはもう、『時代遅れの技術』になってしまっているのでは……」とも思えてくるのです。
航空機との競争関係では、レールが敷けない大陸間や高空で空気の薄い場所を飛ぶ時間が長くなると航空機が有利になる。現在、鉄輪式の高速鉄道でも距離で1000km程度が航空機との競争関係になってきたため、超高速磁気浮上式鉄道が有利な速度や距離はおおよそ1000km〜1500kmと限定的になってきた。
ということみたいです。
東京から名古屋までは、現在の新幹線のルートでは342km、リニア中央新幹線では286kmに短くなるそうなのですが(東京から新大阪までは、500kmくらい)、本当にリニアにする必要があるのかどうか、疑問ということになります。
ただし、著者は、現在の東海道新幹線の運行密度を考えると、別ルートをつくることには意義がある、とも考えておられるようです。
ただ、新しい交通機関の「必要性」というのは、なかなか予測できない面もあるみたいなんですよ。
前述した、「新幹線臨時総点検」の際に、こんな調査がなされたそうです。
ところで、新幹線のような重要な輸送機関を半日休ませるような大規模な社会実験は前例がなく、運休期間の乗客はどこに流れたのか、高速道路、在来線、時期をずらして前後の日や前後の週の同曜日、など手を尽くして調べた結果は拍子抜けする結論だった。日・時間・手段を変えてほかに流れたのではなく、大部分は単純に消えてしまっていた。便利な乗り物があるから利用するのであって、なければ顕在需要にはならないとの結論を得たのである。
リニアができたら、それによって「需要」がまた生まれてくる、ということもあるのでしょう。
旅行のためにリニアに乗るのではなく、リニアに乗るために、行く場所を探す。
乗り物で移動するのが好きな人は、けっこう多いのかもしれません。
満員電車じゃなければ、ね。