琥珀色の戯言

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【読書感想】米国人一家、おいしい東京を食べ尽くす ☆☆☆☆


米国人一家、おいしい東京を食べ尽くす

米国人一家、おいしい東京を食べ尽くす

内容紹介
トーキョー・フードパラダイス!


中野のアパートで家族と共にひと夏を過ごすことになった
アメリカ人フードライターが、立ち食いうどんや居酒屋、
コンビニ、チェーン店に至るまで、
ごく普通の日本の「食」と日常をユーモアたっぷりに、
しかし日本文化への鋭い視点を交えてつづる。


スーパーで買い物し、ゴミ分別に悪戦苦闘する、
単なる「観光旅行」ではない東京の日々。
8歳の愛娘アイリスへの子煩悩っぷりも楽しい、
最新・異国人食紀行!


「東京はどこか非現実的な都市だ。映画や小説に登場するような、
ネオンサインがあふれる仮想現実都市(サイバーシティ)。
商店街を歩けば、焼き鳥のにおいが鼻をくすぐる。
子供は安心して外で遊べるし、親が付き添わなくても
子供ひとりで電車に乗って遠出ができる。
アメリカのおおかたの高級レストランよりも
丁寧な接客態度で接してくれるドーナツチェーン店もある。
犯罪や薄汚れた風景、味気ない食事とは無縁の巨大都市(メガシティー)」
(―本文より)


この本を図書館で見つけたときには、心の中で「うわー、『英国一家、日本を食べる』の二番煎じ本キター!」と苦笑してしまいました。
実際は、この本は『英国一家』が売れたので書かれた、というわけではなく、それぞれ独立した企画みたいなんですけどね。
もちろん、このタイミングで翻訳され、日本で出版されたことには、出版社の思惑はあったと思われますが。


で、「二番煎じのお手並み拝見」という、いささか意地悪な目線で読み始めたのですが、この本、けっこう楽しく読めました。
英国一家、日本を食べる』のほうは、「日本食」そのものを突き詰めたレポート、という感じで、有名店への取材や有名人との交流も出てくるのですが、この『米国人一家』のほうは、「日本食に、そして、東京という場所に魅入られた著者が、1ヵ月間、東京で『普通の生活』をしてみた」レポートなのです。
有名な店の話も出てはくるのですが、基本的には、「家族三人で借りた中野のアパート近辺で起こったこと」が書かれています。

 東京へようこそ!
 東京はどことなく非現実的な都市だ。映画や小説にでも出てくるような、ネオンサインがあふれる仮想現実都市。商店街を歩けば、焼き鳥のにおいが鼻をくすぐる。子供は安心して外で遊べるし、親が付き添わなくても子供ひとりで電車に乗って遠出ができる。アメリカのおおかたの高級レストランよりも丁寧に接客してくれるドーナツチェーン店もある。犯罪や薄汚れた風景、味気ない食事とは無縁の巨大都市。こんなふうに書くと、地球上に実在する都市というより、ユートピア小説に登場する空想都市のように聞こえるかもしれない。

 東京でおいしい食べ物を見つけるのはとても簡単だ。東京自体がまるでひとつの巨大なレストランのようなのだ。東京でひと月ほど暮らしているあいだに、何かを食べてがっかりした経験は、たった一度しかない。しかもそれは、実際にはまずいというほどではなくて、味が薄かったにすぎない。西洋人の目には少し奇妙にも映る、近所の安食堂でも食事を楽しんだ。食べ物はどれもおいしく、その味を思い出すだけで、いてもたってもいられない気持ちになる。東京について考えるといつも感傷的な気分になり、ホームシックにかかってしまう。今まで東京以外の土地にそんな思いを抱いたことはない。考えるたびに、東京に行きたくてうずうずしてしまう。


 この本を読んでいると、東京の「普通」は、アメリカ人にとっての「普通」ではないのだ、ということがよくわかります。
 そして、日本人が意識しているよりも、はるかに日本は「特別」であり、優れているところがたくさんある、ということも。
 ただし、この本を読んでいると、日本人は「子供がいる家族」に対しては、とくに優しく接するところがあるのかな、という気もします。
 それと、地方在住の僕にとっては、「日本」=「東京」なのかと問われると、必ずしもそうじゃないかもな、とも思うのです。
 地方都市には、そもそも「外国人が来店すること」を想定していない店が多いだろうし。


 日本の接客について、著者はこう書いています。

 ミスタードーナツは、東京におけるカスタマーサービスがこの世のものとは思えない魅力を持っていることをどこよりも強く感じた場所だった。ミスタードーナツの中野店は、中野ブロードウェイへの入口に向かう途中の角にあり、そこでは僕たちのことを、いつでもビヨンセとジェイ・Zの夫婦が娘のブルー・アイビーを連れてきたかのように扱ってくれる。手振りや表情の変化や商品の買い方など、すべてに通じることだが、店員たちは客大好きで、こんな祖末なドーナツ店に来てくれて本当に自分たちは運がいい、と思っているのである。サービスに対するこのような倫理観は、ミスタードーナツに限ったことではなく、また僕たちが見るからに外国人であるということもまったく関係ないようだった。これと同じようなサービスは、デパート、パン屋、ファストフード店、本屋、郵便局など、どこへ行っても経験できる。うわべだけのものでもなければ、こびへつらっているわけでもない。もし東京で働いている人たちが、うわべだけのサービスをしているのだったら、本人たちでさえ勘違いしてしまうくらい上手だ。東京でサービスの悪い店に出くわすことは、本当に珍しい。どんな店に入っても人間らしい扱いを受けたおかげで、こんな扱いを受けられないときに、どれほど苦痛を感ずるかということに気付かされた。


2020年の東京オリンピックをめぐる喧噪のなかで、「おもてなし」という言葉がもてはやされていました。
僕は「日本のサービス、とくに接客って『やりすぎ』で、従業員の負担が大きすぎるのではないか?」と思っていたので、「おもてなし」フィーバーには、ちょっとうんざりしていたんですよね。
でも、こういうふうに外国人の意見をきくと、「やっぱり、日本の接客というのは、『セールスポイント』なのかな……」という気がします。
それにしても、そんなにすごいのか? 中野のミスタードーナツって……


著者は、さまざまな食べ物や、日本での日常生活について、この本のなかで、かなり好意的に書いています。
読んでいると、「ああ、日本って良い国なんだな、僕も行ってみたい!」と思えてくるくらいです。
ただし、そんな著者を悩ませた食べ物がありました。
それは、ジュンサイ

 ジュンサイは特徴的な植物だ。小さな葉や、芽のひとつひとつが鼻水のようなぬめりに覆われている。ぬめりさえ突破できれば、枝のような部分は歯ごたえがあって決して悪くない。
 でも、目の前の皿には大量のジュンサイが入っていた。僕はまず目当ての豆腐に箸をつけた。滑らかで柔らかく、新鮮な豆乳の香りが口いっぱいに広がる。これまで食べたなかで最高の豆腐だった。ところが、その豆腐の思い出はジュンサイで台無しになる寸前だった。すばらしい結婚式の最後に、チェーンソーを持った殺人鬼が多数乱入してきたようなものだ。僕は顔をしかめながら、ジュンサイを1つずつ食べた。「ここは最高の食事を出す最高の料亭だ。まさか僕にいたずらをしているわけではないだろう。皆、高い料金を払って心のこもったジュンサイを食べているのだ」そう考えて、なんとか自分の心を操ろうとしたがダメだった。池から採ってきた鼻水を食べているとしか思えない。一度、本当に吐き出しそうになり、この場から追い出されるのではないかと思った。
 聞いてほしい。僕はジュンサイをひとつ残らず平らげた。皿を下げにきた店員に、微笑んで「おいしかった」と言った。その声がかすかに震えていたのは、怖れではなく敗北感のせいだろう。


日本人にも、けっこう苦手な人はいるんじゃないかな、とは思うのですが、人というのは、美味しいものに出会ったときと同じくらい、あるいは、それ以上に、「嫌いな食べ物」に直面すると、饒舌になるものなんですよね。
「チェーンソーを持った殺人鬼」か……
残せばいいのに!でも、残せない気持ちもわかる!


『英国一家』ほど、「日本料理の深淵に迫る」という内容ではないのですが、それだけに、気楽に読める「異文化グルメ本」ではあります。
これは「良い二番煎じ本」だと思います。
ところで、『美味しんぼ』って、英語版も出ているんですね。



英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

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