琥珀色の戯言

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【読書感想】怪獣人生〜元祖ゴジラ俳優・中島春雄〜 ☆☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
ゴジラを演じる―世界的にも類を見ない偉業を成し遂げつつ、多くを語らなかった元祖ゴジラ俳優が、映画界入りから60年を機に、80歳を越えて初めて明かした苦闘のキャリアのすべて。新書化に当って新たなコメントを追加した、ファン待望の決定版!


 2010年に出た単行本の新書化です。
 中島春雄さんは、1929年1月1日生まれの俳優で、1950年、東宝の専属となります。
「専属」とはいえ、スターではなく「大部屋俳優」として、「食べていくことが精一杯」の俳優稼業。
 体力を買われて、1954年『ゴジラ』で先輩俳優とともに、ゴジラのぬいぐるみに入ることになりました。
 それ以後、数々の東宝の特撮映画やテレビの特撮番組で怪獣を演じておられます。

 その頃の東宝の俳優は「Aホーム」というスター級と、僕やオカポンなどがいる「Bホーム」という大部屋俳優に分かれていた。さらに「Bホーム」は後に二つに分かれて、僕はエキストラも吹き替えも何でもやる「B2」の役者になる。「ケレン師」と呼ばれることもあった。
「ケレン師」というのは、危ない役を引き受ける役者のことで、『太平洋の鷲』という戦争映画では、爆撃された空母の甲板で体に火が付く飛行兵の役をやった。『佐々木小次郎』では、主役の大谷友右衛門さんの吹き替えて、橋から川に落ちる佐々木小次郎の役をやった。Bホームの役者の給料は安くて、危ない役をやって手当をもらえるのは大歓迎だった。

 
 この本は、中島さんが語る、『ゴジラ』をはじめとする特撮作品の撮影秘話や、円谷英二監督をはじめとするスタッフや役者仲間の思い出によって構成されています。
 当時の東宝では、スター級と大部屋俳優との垣根はあまりなかったそうで、中島さんも三船敏郎さんや丹波哲郎さんとの思い出話をされています。
 また、「個性派俳優」との、こんなエピソードも。

 『海底軍艦』にムウ帝国の長老の役で出ている天本英世っているでしょう。いっぺん、彼の家に行ったことがあってさ。ある日突然、家で飲もうって誘われて。すごく親しいわけでもなかったけど、まあ、なんとなくね。たまには面白いかってお邪魔したんだよ。そしたら天本の家ってすごく変わっていてさ。雑多な本がたくさんあって、もう積み重ねたり落ちていたりゴチャゴチャなんだよ。彼はスペインが好きだったんでしょ。東大出のインテリなんだよね。でも天井から下がったカゴにパンとかが入れてあって、ちょうど布団の上にくるようになっている。変わっているなあって。それで、極め付けが、飲んでいたら雨が降ってきてさ。ボロい家で、すごい雨漏りするの。どうするんだよって言ったら、大丈夫だよって言って傘を出してさ。家の中で差すの。それで飲んでいた。平気な顔しているんだよ。本当に変わっていた。面白いよね。
 あと、新宿の伊勢丹あたりを散歩しないと寝れないって言ってさ。スペイン好きだからゴチャゴチャした雑踏が好きなんだって。ずっと後になって、天本が亡くなるちょっと前かね。彼は、何かゴジラ映画に出たでしょ。そのとき試写の会場で会った。オーチャードホールか。東京国際映画祭っていうの? 僕も呼ばれていたから。「ひさしぶりだ」「元気そうだな」とか言って、それが天本に会った最後だったね。

死神博士」のプライベートは、こんな感じだったのか……
 ある意味、役柄以上に不思議な人だったんだな、と、読んでいて嬉しくなってしまいました。


 海軍出身で、体力には自信があった中島さんでさえ、『ゴジラ』の中に入って演技をするのは、ラクではなかったそうです。

「とても無理だ!! 歩けたもんじゃない!」
 テッチャンは乱れた息で声を荒げた。円谷さんと本多監督が顔を見合わせた。
「ご苦労さん。中島くん、入ってみて」とスタッフが言った。
 僕はテッチャンの体温で熱くなっているぬいぐるみの中に入った。ゴジラの足の中には下駄が入っている。鼻緒に通した足で、足を持ち上げる仕掛けだった。しかし、重くて足が上がらない。しかも全体が固い。力任せに足を前に出すしかない。体中から汗が噴き出た。鼻緒が足の指に食い込んで痛かった。
 夢中で動いていたら、「よーし、もういいよ」と声が聞こえて、僕は止まった。ぬいぐるみから出してもらうと、腕を組んで思案顔の円谷さんが言った。
「やっぱり若くないときついんだなあ」
 振り返ると、僕は10メートルくらい歩いていた。歩くだけならもっと歩けたと思うね。でも、ただ動くだけじゃなく、本当の生き物らしい芝居をしないと映画にならない。同じことをスタッフも考えていただろう。円谷さんも本多監督も、そして二人の言葉を聞いて頷く利光さんも、揃って難しい顔だったからだ。

 その後も、円谷さんは、いつも芝居は「自然に」と強調した。けっして大げさな芝居をしないようにと言った。街をメチャクチャにしたゴジラが隅田川に入って、行く手の勝鬨橋を壊して海へ出る撮影では、円谷さんは「わざと壊すんじゃないよ。邪魔だからどいてくれって感じで壊すんだ。乱暴にやらず、自然な感じでね」と指示を出した。

 中島さんは、怪獣を演じるにあたって、動物の動作を研究するために、上野動物園に通い詰めたりもしていたそうです。
 ぬいぐるみの中に入るのはきつい仕事だし、中の人の顔が見えるわけではないのだけれど、中島さんは、「お金のため」と言いながらも、全身全霊をかけて、この仕事に打ち込んでいました。

 ゴジラが土の中から出るね。特機のスタッフが手早く準備して、スタートでグワッと出るだけ。土を割って背びれが出る様子とか、体を震わせて泥をバラバラッと落とすとか、そういう見せ方は計算して芝居するのね。
 あのときは、僕の芝居にスタッフが感動して、カットがかかってから拍手が起こってね。体からも土が落ちるけど、ゴジラは背びれがあるから、溜まった土がうまく落ちるって思ってさ。滅多に褒めないオヤジさん(円谷英二監督)も、「あれはよかったねぇ」って喜んでいたよ。

 中島さんが「スーツアクター」として尊敬されているのは「はじめてゴジラの中に入った人」というだけではなく、このように、創意工夫を欠かさず、妥協せずに、ゴジラを演じていったからなのです。
 何気ないシーンにこそ、迫力を出すための気配りがされていたりして、僕もあらためて『ゴジラ』シリーズを見直してみたくなりました。


 『ゴジラ』に命を吹き込み、世界中でも怪獣ファンの間で敬愛されている中島さんでも、1972年に東宝の経営不振にともなって役者を廃業し、東宝系列のボーリング場で働いたりして後半生を過ごしておられることに、僕はちょっと驚きました。
 『ゴジラ』に入ったときのことも、「大部屋俳優なんて、まずは食べていくことが第一だから、ギャラが良い『ゴジラ』の仕事は、本当にありがたかった、おかげで所帯が持てた」なんて仰っている中島さん。
 その一方で、「怪獣を演じさせたら、自分の右に出るものはいない」という、強い自負心も持っておられるのです。
 

 たくさんの人が、ゴジラ映画を今も見てくれるのは本当に嬉しいよ。
 世界中でゴジラは知られている。演じているのは僕だ。ところが、顔を知られているのはゴジラであって、僕ではない。
 世間に顔を知られた俳優だと、人目を気にしなくちゃいけない。ところが僕は全くの自由だからね、気楽だよ。
「顔を知られてなくて幸せ者だ」。本当にそう思うよ。
 ゴジラは僕の「相棒」だね。自分自身でもあるのと同時に、最高の相棒だよ。
 僕はゴジラのおかげで生きてこられた。

 仲間は大勢亡くなったよ。でも昔の映画を見ると、皆が生きているような気がしてくるもんね。
 どんな小さな役でも役者って仕事は後に残るってのは、なんだかいいよね。


 ゴジラの「中の人」だったり、大部屋俳優として、ほとんどセリフがなかったり、危険な役ばかりでも、中島さんは、自分の「俳優人生」を愉しそうに振り返っておられます。
 それを読んでいて、「ああ、だから人は役者になろうとするんだな」と、思ったんですよね。
 売れなくて、食べていくのが大変でも、魅力がある仕事なんだなあ、って。


 すごく面白い本ですので、興味を持たれた方は、ぜひ、手にとってみてください。

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