琥珀色の戯言

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【読書感想】世界でもっとも正確な長さと重さの物語 ☆☆☆☆


世界でもっとも正確な長さと重さの物語

世界でもっとも正確な長さと重さの物語


Kindle版もあります。

内容紹介
長さや重さの単位をどう決めるかの変遷で知る科学史ストーリーです。『世界でもっとも美しい10の科学実験』『世界でもっとも美しい10の物理方程式』の著者が、科学史(特に物理学)のベースとなる普遍的な単位系に対する模索について、哲学っぽいトリビア的な知識を開陳します。
長さと重さの単位となるメートルやキログラムは従来では「原器」と呼ばれる人工物を基準としていましたが、長さの伸縮や重さの増減のために、信頼性が揺らいできました。長さについては光の速度を基準とすることが決まっており、方向性の枠組みはある程度決まっていましたが、2014年11月の国際会議でキログラムを再定義することになりました。これは、原子レベルの測定をベースとするものです。本書の第12章の「さらばキログラム」は、キログラム原器との分離とキログラムの再定義を詳述しています。


 僕が物心ついたときから、「1メートル」は、1メートルでした。
 でも、僕はときどき、疑問になっていたんですよね。
「この定規の1メートルというのは、本当に正しいのか?」って。
 そもそも、定規の目盛りというのは、どうやって決められているのだろうか。
 

 この本の冒頭に、こんな寓話が紹介されています。

 遠い異国の、鄙びた海辺の村でのこと。海辺に近い、丘の上の基地の砲台で、毎日きっかり正午に号砲が鳴り、誰もがそれで時間を合わせるのが何百年もの慣わしになっていた。インターネットはおろか、テレビもラジオも登場するはるか以前のことだ。村にとって正午の号砲は、日の出や日の入りと同じく一つの自然現象で、一日を祝福し、午前と午後を区切る、規則正しい出来事だった。正午の号砲のおかげで人々の生活は安定し、一定の速さで進み、仕事の打ち合わせから浮気に至るまで、あらゆることを計測するのに使われた。
 さて、この古い伝説はこんなふうに展開する。一人の十代の少年が、ふと疑問を抱いた。「あの大砲はいったいどうやってちょうど正午だとわかって、その時刻に鳴るんだろう?」ある日、彼は丘を登り、砲兵に尋ねた。「どうやって毎日ちょうど正午に号砲を鳴らしているんですか?」砲兵はにっこり笑って、「隊長の命令で鳴らしているんだよ。一番正確な時計を見つけてそれを手に入れ、その時計の時間がいつもちゃんと合っているように管理することも、隊長の仕事なんだ」と答えた。それを聞いた少年は隊長のところへ行ってみた。隊長は、精巧に作られ、正確に時を刻むその時計を、誇らしげに見せた。「じゃあ、この時計はどうやって合わせるんですか?」「週に一度、町まで散歩するときに、いつも同じ道を行くんだ。すると必ず町の時計屋の前を通る。そのとき立ち止まって、時計屋のショーウインドウに飾ってある立派な古い大時計に、この時計を合わせるんだ。町でも大勢の人が、この大時計を使って時間を合わせているんだよ」。
 次の日、少年は時計屋を訪れ、「ショーウインドウの大時計の時間は、どうやって合わせてるんですか?」と尋ねた。時計屋はこう応じた。「そりゃあ、このあたりの誰もが使ってきた一番確かな方法だよ。正午の号砲で合わせるのさ!」


 ああ、実際に「こんなもの」だよなあ、と。
 今の僕だったら、時計の時刻合わせには、117の時報を使いますが、それが本当に正しいという証拠はありません。いや、たぶん正しい、とは思うのだけれど、その正しさの根拠がどこにあるのかはわからない。
 

 世界のほとんどの国が「メートル法」を採用している世界に生きていると、単位というのは万国共通で、普遍であるような気がするのですが(じゃないと、オリンピックとか大変ですよね)、この本によると、「メートル」が生まれたのはフランス革命がきっかけで、「革命にともなう社会政策の一環として」単位が制定されたのです。
 フランス革命前には、「地主が小作人を搾取する手段として、度量衡がとことん悪用されていた」と著者は述べています。
 なぜ、単位の統一を民衆が望んでいたかというと、地域ごとに単位が違うと取引が面倒になりますし、それまでは、「ひと升」という単位でも、権力者が税金を取るときには大きな升を使い、支払いをするときには小さな升を使う、というような不正行為も行われていたからなのだそうです。
 どちらも同じ「ひと升」なのだから、と。


 人類の歴史においては、度量衡が統一されていた時期のほうが、はるかに短い。
 しかも、世界の大国のひとつであるアメリカは、いまでもメートル法に対して、消極的な態度を示しているのです。


 世界各地に、さまざまな「ものを計測する方法」があり、それは、その土地の文化とも深く結びついていました。
 その一方で、単位が統一されることは、公正な取引をすることや、建築などの再現性を得るために、どうしても必要なことだったのです。

 その傍に箱が二つあった。宝石箱ぐらいの大きさの黒い八角形の箱と、細長い茶色い箱だ。この二つの箱のなかに、わたしが見ようと思ってわざわざここにやってきたものが入っていた。ル・ブリガンドは、二つの箱をテーブルの上に注意深く置き、ゴム手袋をはめて二つとも開いた。細長い箱のなかには、幅1インチほど、長さは1ヤードを少し超えるくらいの金属棒が入っていた。ル・ブリガンドはその棒を手に取って、裏返した。何の印もついていなかった。もう一つの箱のなかには、直径1.5センチ、高さもちょうどそのぐらいの、何の装飾もない金属の円筒が入っていた。こちらにも何も印もなかった。
 ル・ブリガンドは言った。「これが、メートルとキログラムの最初の原器です。国民公会の命令で作られました」。国民公会というのは、国民議会のあとにできた別の立法機関である。「そして、1799年に政府に提出されました。メートルは地球の北半球から赤道までの子午線の長さの1000万分の1、キログラムは1立方デシメートルの水の重さでした。変化することのない自然現象を大変した、自然を基準とする原器となるようにと定められたのです」。
 わたしは、畏敬の念に打たれてじっと見つめた。どういうものなのか特定できるような印は何もなかったが、この二つの物体が登場するまで、こんなものが作られたことは決してなかった。これらの物体は、ものすごい力を持っていた。なにしろ、全世界に広がった度量衡体系の大本という役割を、100年近くにわたって務めたのだから。二つとも、物体であると同時に制度そのものであった。正午の号砲の孕む矛盾を解決する決定的な答えを得ようとする、言い換えれば、計測単位を自然現象に結び付けて、万一原器が失われても、まったく同じ単位が再現できるようにする。世界初の試みだった――やがて、その試みは失敗に終わったことが明らかになるのだが。


 メートル法は、自然現象を基準にして決められているので、もし原器が失われても、同じものを再現できるという画期的なものでした。
 世界のどこでも、基準に照らして計算すれば、「1メートル」は同じ長さになるのです。
 とはいえ、科学の進歩にともなって、求められる「精度」も高くなってきます。

 メートル法には、さらに別の問題があることも明らかになった。子午線の長さの計算が誤っていただけでなく、そもそもメシェンとドゥランブルの測定に誤りがあったことがわかったのだ。したがって中央文書館のメートル基準器――メートル原器――は、パリ子午線の1千万分の1という定義よりもじつは数リーニュ(約0.2ミリメートル)短かったのである。おまけに、中央文書館のキログラム基準器も1立方デシメートルの水よりも少し軽いことが明らかになった――また、正確に1立方デシメートルの容器を作ることも、予想よりもはるかに難しかった。それでも科学者たちは、二つの理由から、これらの原器を使い続けることに決めた。一つには、原器を替えることは、はなはだ都合の悪いことであったし、また、原器を替えようが実際にはほとんど何の違いも生じなかったからである。


 この本によると、原器には6つの複製があって、誤差が生じないように、原器とそれらの重さをときどき比較していたそうです。
 なぜか、原器がごくわずかずつ軽くなっていったこともあったのだとか。
 原器が軽くなったとすれば、その軽くなった重さが、新しい1キログラム、ということにはならないんですね。
 この本を読んでいると、測定の基準を作り出した人々、そして、それを世界中に広めようとした人々は、ものすごく苦労したのだということがわかります。
 そして、「単位を決めるという仕事」に情熱を持ってあたってきた人が、世界の歴史のなかに、こんなにたくさんいるのだということにも、驚かされました。


 その後も「メートル法」は、何度か改正されています。

 1960年10月14日、第11回国際度量衡総会(CGPM)に出席した32か国の代表者たちは、現状のメートルは、「今日の計測学の必要を満たすに十分な精度」では定義されておらず、「自然現象に基づいた、破壊することのできない基準を採用することが望ましい」と断定し、次のような決議をおこなった。すなわち、「メートルは、クリプトン86原子の2p10と5d5の間の遷移に対応する放射の真空中での波長の1,650.763.73倍に等しい長さである」と。(このあと1983年に、メートルは「1秒の299,792,458分の1」の時間のあいだに光が真空中を進む経路の長さ」と定義しなおされた。)1889年以来、世界中で行われる長さの計測すべてを支配してきた白金=イリジウムの棒、国際メートル原器は、ここに歴史的異物となった。新しい基準は、普遍的で、特定の場所にだけあるのではなく、どこにでも存在した。この基準を発生させるのに必要な技術は特定の場所にしかなかったが、この技術もすぐに世界中で使えるようにあるはずだと考えられた。
 これは、計測学の歴史における重大な決定だった。何世紀にもわたる思想と技術の展開が到達した最高点だった。17世紀に、測定単位を自然界に由来する基準に結びつけることが望ましいという考え方が初めて表明されたときから、18世紀に行われた、その実現を目指すいくつもの試み、そして、19世紀に、当時の技術ではその夢をかなえることはできないと認識されたことを経て、20世紀になって、その夢が復活し、ついに実現されたのだ。

 現在の「メートル法」というのは、普遍的なデータに基づく単位の統一という理念と、それを実現するための技術の両方が成り立って、ようやく実現されたものなのです。


 もし、定規や秤のメーカーが、誤差の大きい製品をつくっていたとしても、あまりにも酷いものでなければ、僕は気づかないのではないかと思います。
 大部分の人には、その正しさを検証する手段はないわけで。
 でも、それなりの精度の製品が世の中には流通しているのですから、単位の統一というのは、ある種の良心に支えられている、とも言えそうです。


 著者は、この本の最後で「いまの技術では、多くのものが計測できるようになってきたけれど、それだけに、すべてを数字だけで判断してしまう風潮がみられてきている」ということに警鐘を鳴らしています。
 サイズが身体にぴったりの服だからといって、着心地が良いとは限らないし、さまざまな事象で計測できるのはその一部だけしかないのだ、と。
 こういうのは、「ぜいたくな悩み」ではあるのかもしれませんが。

 
 自分が「当たり前に存在しているもの」だと思い込んでいたものが、実際は試行錯誤の末にようやく生まれたものだというのを知ると、なんだか不思議な気分になります。
 それにしても、「1秒の299,792,458分の1」とかじゃなくて、もっとシンプルに「3億分の1」とか、「1万分の1」とかにはできなかったのかなあ。

 

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