- 作者: 奥田透
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2014/10/06
- メディア: 単行本
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内容(「BOOK」データベースより)
気鋭の三つ星料理人が、リスクを顧みずパリに魚屋をオープンする理由とは?日本料理を通じて真の日本文化を世界に広める信念を波乱の半生とともに描く。本物の日本料理を世界へ!
2007年秋に、レストランガイド『ミシュラン』で3つ星に輝いた『銀座小十』の店主である著者の、「パリに本物の日本料理店をつくる」という挑戦の記録。
2007年秋、日本の外食業会はザワザワと心落ち着かない日々を迎えていました。
というのも、フランスで百年の歴史を誇るレストランガイド『ミシュランガイドブック』の東京版が、11月に創刊されることが決まっていたからです。
「ミシュランの東京版が出るらしい」という話は、2006年には業界内に流れていました。そして2007年2月、創刊を発表するプレスパーティーの招待状が関係者のもとに届き、これが単なる噂でないことがわかりました。
招待状はなぜか、私のところにも届きましたが、「欠席」として返事を出しました。興味はあったものの、店の営業もありますし、何より14人も入ればいっぱいになってしまうような、うちのような小さな店には「関係のない話」と思っていたのです。
ところが予想に反し、私の店<銀座小十>はこの年、栄誉ある三つ星をいただくことになりました。
静岡から一念発起して、銀座八丁目に店を開いたのは、2003年7月のことでしたから、わずか4年しか経っておらず、私はまだ37歳でした。
それが、<ジョエル・ロブション><ロオジエ><玄治店 濱田家><すきやばし次郎>といった名だたる名店と肩を並べることになったのです。
僕は『銀座小十』という店のことは全く知らなかったのですが、地元・静岡の人気店から、一念発起して銀座に出店し、試行錯誤の末に、世界に認められたという著者の立志伝は、なかなか興味深いものでした。
三つ星、をもらうようになる料理人の店でも、必ずしも順風満帆、というわけではないのだなあ、とか。
『ミシュラン』の調査員について、著者は、こんな話をしています。
三つ星候補に挙がった店には、覆面調査員が7、8回は訪れるという噂も聞きます。季節ごとの料理のチェックはもちろん、常に安定したクオリティの料理を提供できているのか、ありとあらゆる場面で査定されているのです。
たとえば、初めて日本を訪れた外国人が夜6時に来店したら、どんなふうに対応するのか。ラストオーダー30分前の9時に訪れたらどうか。その状況でも、6時に来店した客と変わりなく、対応できるのか。
日本版では、調査員も日本人が多いので、こちらとしては他のお客様と見分けることはできません。
マスコミに取り上げられることも多いミシュラン総責任者だけは、気付く店は気付いてしまいますが、そこで特別扱いなどしようものなら大変です。赤の他人のふりをして別のテーブルについている調査員が対応や料理の違いなどをしっかりとチェックしているという話も聞きます。
「高いクオリティの料理を、いつでも、どんな客に対しても安定して提供できる店」が、ミシュランが評価する店なのです。
通常は、取材も審査期間の終盤になって行われるので、そこまでは調査員が来ているかどうかすら定かではありません。パリで開店早々に取材が行われたのは、単にこちらの開店が遅れに遅れ、9月になってしまったからだと思います。
そうして後日、取材にやってきた調査員がこんなことを言いました。
「ミシュランとしては、外国人の好みに合わせたような日本料理は評価しません。評価するのは、あくまでも日本の正統なスタイルに則った日本料理です。先日いただいた料理は、審査の対象に入れるべきものと判断しました」
加えて、
「パリのフランス料理店と比べて、優劣をつけるようなことはしません。日本料理店である<OKUDA>の基準は、あくまでも日本にある日本料理店です。
実際に調査員と話したこともあるという著者による、「ミシュランの調査の実態」。
「覆面調査員のさまざまな噂」というのは、僕もネット上などで見かけるのですが、実際にこんなふうにして調査をしているんですね。
総責任者が出てきて「おとり調査」みたいなことまでやっているのか……
「ミシュラン」って言っても、フランスの人たちが、自分たちの好みでやっているんじゃないの?
そう思い込んでいたのですが、日本の店の場合、調査員の多くは日本人で、他の客との見分けはなかなかつかないそうです。
そして、もしわかったとしても、「特別扱い」すると、かえって評価は下がってしまう。
味の評価は、「フランス人の舌に合うか」ではなくて、「日本料理として、他の店と比較してどうか」に統一されてもいるのです。
これなら、ミシュランがグルメガイドの「権威」として君臨するのも理解できます。
日本の「グルメ記事」の場合、そのお店の宣伝込み、というのが多いですしね。
著者は、「世界に対して、本物の日本料理をアピールしたい」という意欲から、料理の世界の「本場」であるパリはの出店を決意するのです。
ところが、地元の工事業者が、日本のように期日を守って動いてくれなかったり、地元の魚を使おうにも、魚の「新鮮さ」の概念が、日本とフランスとでは違いすぎ、良い魚を手に入れるため、料理人だけではなく「魚屋」として、自ら新鮮な魚の輸送システムの構築に乗り出さなければならなくなったり……
日本でやっていれば、「予約の取れない、『ミシュランの三つ星レストラン』として、悠々と経営していけるはずなのに、著者は、それを良しとせず、挑戦を続けているのです。
そして、その意欲は、日本政府をも動かそうとしています。
「新鮮な魚を手に入れるシステムをつくる」というのは、フランスにとっても新しい産業や雇用を生み出すチャンス、でもあるのです。
それにしても、海外で店をやるというのは、一筋縄ではいかないことも多いようです。
それが、『ミシュラン』に載るような「名店」であっても。
問題点を強いて挙げるとすれば、外国人、主にフランス人のお客様でしょうか。
外国人のお客様は<銀座小十>でも迎えていましたし、そう違いはないだろうと思っていたのですが、彼らにとっても日本はアウェー。それなりに日本のルールに従ってくれていたのでしょう。
ホームであるパリでは、伸び伸びといろんなことをしてくれるのです。
一番問題なのは、キャンセルが多いことです。予約日時にいらっしゃらないのは日常茶飯事。もちろん、連絡もありません。
極端なときは、予約の半分くらいが来店しない……という日もあります。こちらから連絡すると、悪びれた様子もなく、「ちょっと都合が悪くなっちゃって」と言う程度。連絡すらつかないお客様も多いのです。
不思議なことに、そういうときはふらりと「入れる?」というお客さんがいらしてくれるので、食材を無駄にするようなことはなく済んでいますが……。
お国柄、とでもいうのでしょうか。聞けば、どこの店も同じ状況のようです。
日本から旅行に行く場合、予約がとれないような人気店には当日に連絡してみると、意外と入れるかもしれません。どこの店でも、当日キャンセルが多いようですから、
もし、海外で有名レストランに入ってみたいが予約を取れなかった、という場合には、これを思いだしてみると良いかもしれません。
「ドタキャン」が多いから、案外、入れるチャンスがあるそうです。
店側としては、高級店ほど、大変だろうな、と。
違約金をもらうというような習慣は、なさそうですし。
これだけの成功を収めた著者も、銀座に進出した直後は、店にお客さんが来てくれず、経営に行き詰まって死を考えたこともあったそうです。
その日も、お客様が来ないまま店を終え、自宅マンションの九階の階段踊り場からぼんやり下を眺めていました。
「飛び降りてしまおう」
そう覚悟を決めたとき、「最後にもう一度だけ、経営者として何が足りなかったのか、今回の失敗を冷静に分析してみよう」という思いが頭をもたげました。
失敗の原因がわからなければ、死んでも死にきれない。
私は何度か深呼吸をして、心を落ち着けると、その場に腰を下ろし、考え始めました。最初に思いついたのは、「みんな、まだうちの店のことを知らないんじゃないか」という、とてもシンプルなことでした。
もっと多くの人に知ってもらって、食べてもらって、それでダメならあきらめもつく。でもまだほんの少しの人にしか店に来てもらってないじゃないか。
翌日、私は自分の経歴や店の特徴などを細かく書き込んだ手紙を十通書くと、料理雑誌や情報誌に送りました。
思えば、そんなこともそれまでやっていなかったのです。
「うまくいかない」「もうダメなんじゃないか」と思い詰め、暴発してしまう前に、ふと立ち止まって考えてみるというのは、大事なことなのかもしれません。
人間って、ネガティブ思考に陥ってしまうと、「最もやるべきこと」が、頭から抜け落ちてしまったりしがちだから。
あるいは、ちょっとしたプライドを捨ててみることによって、開ける道もある。
このとき、手紙を受け取った情報誌に採り上げられたことで、店は、息を吹き返したのです。
同じ場所で、同じ料理を出していたにもかかわらず、「知ってもらえた」から、人気店になることができた。
著者の「やる気」に圧倒されてしまって、真似するのは難しいな、とは思うのですが、読んでいて、「こんな人もいるんだな」と、勇気づけられるような冒険談であることは確かです。
でも、「思えば、そんなこともそれまでやっていなかった」っていうのは、案外、多くの「うまくいかないと自分を追いつめている人」にあるんじゃないかな。