琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】怒り ☆☆☆☆

怒り(上) (中公文庫)

怒り(上) (中公文庫)

怒り(下) (中公文庫)

怒り(下) (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
殺人事件から1年後の夏。房総の漁港で暮らす洋平・愛子親子の前に田代が現われ、大手企業に勤めるゲイの優馬は新宿のサウナで直人と出会い、母と沖縄の離島へ引っ越した女子高生・泉は田中と知り合う。それぞれに前歴不詳の3人の男…。惨殺現場に残された「怒」の血文字。整形をして逃亡を続ける犯人・山神一也はどこにいるのか?『悪人』から7年、吉田修一の新たなる代表作!


 「2015年ひとり本屋大賞」8作品め。
 作者の吉田修一さんが、この小説を書くきっかけになったのは、外国人講師を殺害し、整形をして逃亡していた市橋達也事件だったそうです。
 事件そのものだけでなく、市橋容疑者の捜索中に、警察にはたくさんの「自分の身近なところにいるあの人が、市橋容疑者なのではないか?」という通報が寄せられ、その多くが別人のものであった、というのが、とても印象に残ったのだとか。


 山神一也は、どこにいる?
 この作品の冒頭に出てくる「事件」は、凄惨で、かつ、外部からは動機がまったくわからないものでした。この犯人は、なぜ、こんなことをしたのか?


 この小説、率直に言うと、読んでいてすごく気が滅入ります。
 中盤くらいまで、同性愛者、母子家庭、発達障害など、今の世の中で「生きづらい者」たちの生活の様子が、けっこう淡々と描かれていくんですよね。
 で、劇的な展開で、彼らが救われるかというと、そうでもない。
 周囲の人々が、冷淡かというと、けっしてそんなこともない。
 にもかかわらず、彼らを覆っている薄い膜のような「自分たちは幸せにはなれないことを運命づけられているのではないか」という予感が、深々と伝わってくるのです。

「田代みたいな男だったら、なんだ?」
 そう問いかけた洋平の声に力はなかった。愛子が何を言おうとしているのか、愛子が自分自身をどう見ているのか、考えるだけで悲しかった。
「……田代くんみたいな人なら、私のそばにずっといてくれるかもしれないって。だって、田代くんには行く所がないんだよ。田代くんにはここしかないんだよ」


 世の中は、「自分も他人も信じられない人」で、溢れている。
 ああ、僕もそうだ。


 で、山神一也は、どうなったの?
 もちろんそれは、ここには書きませんけどね。


 僕はずっと、「この世界に存在している、理由のない、純粋な悪意」のことを考えてきました。
 「なんとなく、そうしたかったから」「それが快感だったから」他人を傷つける人が、世の中には存在する。
 それがどんなに理不尽なものであろうと、その悪意の対象となった人間は、決定的に損なわれてしまう。
 世間の目は、被害者にも向かってきます。
「あんなことをされたのだから、何か落ち度があったのではないか?」って。
 そう思わないと、自分たちも怖くてしょうがないから。
 でも、現実に、そういう「悪意」は存在している。
 法とか常識とか善意は、あまりにも、そういう「悪意」に対して、無力なのです。


 それに対して、人は、どう立ち向かっていけばいいのか。
 犯人が書いた「怒」という文字は、何に対しての「怒り」だったのか。
 この犯人にような「他人を平気で傷つける人」への「怒り」や「不安」が人々を浸食して、またそこに新しい「怒り」が生まれているのではないのか。
 いや、僕にも「キレそうになるとき」があるのです。
 あちら側とこちら側の境界は、それほど確かなものではないのかもしれない。
 

 あの川崎市の事件に対して、松本人志さんがテレビ番組で、「ネットとかで犯人(とされる少年)の名前を書き込んだり、家に突撃したりする連中の気持ちはわからなくもない。マスコミは金や部数のために「実名報道」をやっているけれど、ネットで『晒し』をする人たちは、何の得もしないのに、やっている分マシなのかもしれない。本当は、被害者の情報ばかりが堂々と表に出ているのが問題で、被害者保護を優先すべきだと思うけれど」と仰っていました。


 「怒り」が「怒り」を呼び、疑心暗鬼は、どんどん広がっていく。
 「悪意」と戦っているつもりが、自分も「悪意」に取り込まれてしまう。
 

 いや、まったく救いようのない小説ではないんです。
 でも、これを救いだと思えるほど、僕は楽観的にはなれなくて。


 ところでこの小説、映画化されるそうなのですが(2016年公開予定)、前歴不詳の3人の男を、どういう形で演じさせるのか(同じ役者さんがやるのか、それとも、それぞれ別の人がやるのか)、興味があります。



アクセスカウンター