琥珀色の戯言

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【読書感想】駅をデザインする ☆☆☆☆


駅をデザインする (ちくま新書)

駅をデザインする (ちくま新書)


Kindle版もあります。

駅をデザインする (ちくま新書)

駅をデザインする (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
駅の出口の案内は黄色。東京の地下鉄の案内表示は各ラインカラーの「○」―こうした日本の駅のデザインを決めてきたサイン設計の第一人者が、駅のデザインを、自身の手がけた豊富な実例をもとに語り尽くす。案内表示に求められるものとは何か、そのデザイン思想とはいかなるものか、一九七〇年代に始まった日本の空間・サイン整備の歴史をたどりつつ論じ、現在の日本と海外の駅とを比較。混迷を深める日本の公共空間を批判的に検討し、利用者本位の、交通システムのあるべき姿を展望する。


 言われてみれば、僕の子供の頃の駅って、もっとゴチャゴチャした感じで、わかりにくかったような気がします。
 それは、自分が子供で、情報を整理する能力が足りなかったからなのだと思っていたのだけれど、たしかに、駅の案内表示などのデザインはいつの間にか変わってきたし、だいぶ見やすく、わかりやすくなってきました。
 これは、そんな「駅のデザインの改革」を最前線でやってきた人による新書なのです。


 僕自身は、けっこう長い間、デザイン=見かけを飾ること、だと思い込んでいて、「そんなふうに外見でごまかしたって、中身が伴わなければダメ」だと考えていたのですけど、建築やデザインについての本を読んでいくうちに、「デザインが、その施設の内面や、そこにいる人たちの心や行動に大きな影響を与える」ということがわかってきました。
 「デザインのためのデザイン」には問題があるのだけれど、機能的なデザインには、たしかに、見た目だけではない力があるのです。


 著者は、この新書のなかで採り上げるデザインについて、このように説明しています。

 デザインというと、商品やパッケージ、広告などのデザインを思い浮かべる人が多いと思う。実はここでいうデザインは、そうしたイメージを売るデザインではなく、問題解決のためのデザインだ。「パブリックデザイン」と呼ぶ。この国で手がける人は少ないが、そんな専門もある。この本ではその領域におけるデザイン事例を紹介し、特に大都市の鉄道駅が直面する問題の改善の方向性を指摘する。
 正確さと安全で世界に知られた日本の鉄道の駅だから、駅デザインの水準も高いだろうと漠然と信じている人がいる。多少はわかりにくくとも、どこでもこんなものだろうと問題視しない人が多い。ところが海外の駅を訪ねてみると、日本よりはるかにわかりやすく、また美しいことに驚く。日本の鉄道駅のレベルは、相対的に見てかなり低いのだ。


 この新書には写真がふんだんに使われていて(その分、少し価格の高いのですが)、昔の広告だらけのゴチャゴチャした駅の案内表示と最近のスッキリとした表示をみると、「あんまり意識しないあいだに、この20〜30年くらいで、こんなに変わっていたのか」と驚かされます。
 そして、海外の駅のデザインのカッコよさ、シンプルさにも圧倒されます。

 2004年に政府系のシンクタンクがJICA(国際協力機構)の研修生110人に行ったアンケート調査では、「駅入り口の場所」(54%)、「乗車すべき路線」(47%)、「買うべききっぶの種類」(39%)、「目的地までの運賃」(42%)、「乗車ホームの場所」(39%)、「急行・各駅停車などの種別」(39%)、「乗り換えの必要の有無」(45%)、「乗り換え改札でのきっぷの扱い」(53%)、「乗り換えホームの場所」(39%)、「バスやタクシーの場所」(39%)など、これも行動の全般にわたって、わかりにくかったとの回答が寄せられた(運輸政策研究機構『鉄道整備等基礎調査』)。

 JICAの研修生ということは、それなりに「できる」人たちのはずなのに、この結果。
 まさに「何から何までわからない」のです。
 2000年に日本人で調査した結果でも、1位が「目的地までどの路線で行けばよいか」(66%)、「いくらのきっぷを買えばよいか」(61%)などで、こちらも「行動全般にわたって、駅でわからないことがよくある、ときどきある」とのことだったそうです。
 しかし、外国人の場合は「駅の入り口がわからない」が半分以上もいるのか……


 ただ、『ロケみつ』というバラエティ番組では、芸人の稲垣早紀さんがドイツの鉄道で乗り方がわからずに右往左往し、現地の人に切符を買ってもらってようやく乗っていたので、「日本の鉄道が、とりわけわかりにくく、乗りにくい」というものでは無いような気もします。
 言葉がわからない国で鉄道に乗るということ自体が、けっこう難易度が高いのかな、と。
 日本でも、都心部のターミナル駅は、ある意味「特殊」ではありますしね。
 僕も、東京に出かけるたびに圧倒されます。
 これ、僕の地元だったら、乗り換えのホームに行くくらいの距離でも、車に乗るんじゃないか?とか。


 日本語の特殊性をクリアするためにピクトグラムと呼ばれる絵文字が使用されたりしていますが(「非常口」に緑の人の形が描かれている、ああいうやつです)、あれは日本発なのだそうです。
 海外では、もっとシンプルに英語で駅名とか行き先だけが書いてあったりするんですよね。
 英語がある程度通じる、という国々は、ラクではありますよね。


 著者は、さまざまな駅や路線の「実例」を写真とともに提示して、そのデザインの意味を解説してくれています。
 いままで何気なくみていたさまざまな駅構内の表示も、そういう視点でみると、さまざまな新しい発見がありそうです。

 東急東横線渋谷駅は、東京メトロ副都心線との相互直通運転のため、2013年3月に地上二階から地下五階に移転した。2004年の横浜駅の地下化に続くものだ。
 かつての駅は頭端式で、五面のホームを覆う高い天井が、たった一列の鉄柱で支えられて、とても見通しのいい駅だった。風が抜けて外の景色もよく見えた。
 わたしはこの路線をよく利用するが、この新駅には落胆した。知り合いもみなが怒った。混雑がひどくなり、乗り換えの仕方も街への出方も見当がつかなくなった。五面から四面に減ったホームを占拠するのは、太い柱と階段、エスカレーター、エレベーター、それにベンチとサイン。人が歩き電車を待つ空間はない、と言えるほど狭い。

 新しい駅ができて、キレイになって良かったんじゃないか、と思いきや……
 僕は渋谷駅を1年に一度利用するかどうか、という感じなので、よくわからないのですが、新しい駅が、かならずしもパブリックデザインを重視しているというわけではないのですね。
 この本を読むと、駅のような公共の空間にとって、「全体を見通すことができる」とか、「自然光が取り入れられている」「広い空間がある」というのが、利用者にもたらすメリットの数々を実感することができます。
 毎日駅を利用する人にとっては、そこが少しでも快適であるにこしたことはないですよね。


 しかし、「パブリックデザイン」を実現するのは、そんなに簡単ではなかったりもするわけです。

 第2章で紹介した横浜ターミナル駅のプロジェクトで、こんなことがあった。
 六線が結節するこの駅で、誰もがすべての鉄道の情報を得ることができるコモンサインを検討していたとき、JR東日本横浜支社のしかるべき立場の人が「東急はJRにとって敵。敵の案内はしたくないからこのプロジェクトに協力しない」と言っているとの報が入った。この人の頭にあったのは場面の前提を無視した競争原理、偏狭なマーケティング理論だ。JRの客と東急の客を峻別して、自社顧客の囲い込みを主張した。
 東急の客がJRの電車に乗りに来ることは誰にでも想像がつくので、マーケティング関係者がみなこのように考えるとは思わない。しかし偏ってしか考えられないリーダーが出てくると、現場は身動きできなくなる。このため工事が何年か滞った。結果的に、パブリックに必要不可欠な情報が提供されない可能性もあったのだ。
 パブリックが利用する空間は、開かれていなければならない。それが基本だ。


 こういう、セクショナリズムみたいなのは、日本社会のなかでも、だいぶ克服されてきたのではないか、と思っていました。
 ところが、「顧客の囲い込み」みたいな「マーケティング理論」にもとづいて、こんなことをする人も、まだいるのです。


 日本では、2020年の東京オリンピックに向けて、さまざまな案内表示を海外から来た人たちにわかりやすくする、というのが、今後の大きな課題となってきます。
 身近なところでも、パブリックデザインの改良を見る機会が、増えてくるかもしれません。
 ただ、最終的には、「それを運用する人間しだい」ってところはあるんですよね。
 どんなにデザインが親切になっても、万人がそれでうまくいくとはかぎらない。
 稲垣早紀さんも、最終的には「現地の親切な人」に助けてもらって無事列車に乗れました。
 最後は、日本人お得意(らしい)の「お・も・て・な・し」が大事になってきそうです。

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