琥珀色の戯言

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【読書感想】必殺技の戦後史 昭和〜平成ヒーロー列伝 ☆☆☆☆


必殺技の戦後史 昭和~平成ヒーロー列伝 (双葉新書)

必殺技の戦後史 昭和~平成ヒーロー列伝 (双葉新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
力道山の空手チョップ、眠狂四郎円月殺法、忍者カムイの飯綱落とし、鮎原こずえの竜巻おとし、藤枝梅安の鍼、星飛雄馬の大リーグボール、宇宙戦艦ヤマト波動砲ケンシロウ北斗神拳…いつの時代もみんなを熱狂させた必殺技。なぜ、そんなに夢中になったのか?必殺技がわかると日本人がわかる!


 太平洋戦争後の懐かしいマンガやアニメ、時代劇・時代小説についての四方山話を、時系列に並べたエッセイ集です。
 このタイトルからは、「必殺技」の変遷を個々の作品に触れながら、論評していく、という「論文」「研究書」的なものなのかな、と思っていたのですが、読んでみると、1回完結形式で、昔の作品の思い出などを「必殺技」の話を中心に著者が語っているものなのです。
(もともと『小説推理』に連載されていたものを、新書にまとめたものだそうです)


 だから悪い、というわけではなくて、気軽に読めて、「そういえば、そんなマンガあったなあ」なんて懐かしむことができる、そんな内容。
 かなりたくさんの作品、ジャンルの話題が出てくるので、それぞれの作品については「細切れ」感が強いのですが、飽きずに読めるし。
 ちなみに、僕のなかでは、「必殺技」といえば特撮モノ(「スペシウム光線」とか「ライダーキック」とか)なのですが、著者はあまりこのジャンルについては詳しくない、ということで、この新書のなかではほとんど採り上げられていないのは、ちょっと残念でした。
 「じゃあ、スペシウム光線について蘊蓄を語ってみろ」と言われても、困るだろうな、とは思うんだけど。

 日本の物語には、必殺技の出てくるものが多いなあ。二十年以上前、ふと思った。それ以来、折に触れて必殺技について考えているうちに、これをキーワードにすれば、エンターテインメント・ジャンルを縦断できるのではないかという着想を得た。だってそうではないか。小説・映画・ドラマ・マンガ・ゲーム……。ありとあらゆるところに、必殺技が溢れているのだから。
 それから意識的に必殺技の出てくる物語をチェックしているうちに、これがよく使われるようになったのが、戦後になってからであることも分かってきた。ならば必殺技を語ることで、日本の戦後史も語れるのではないか。かくして調査と、考察を重ねていった。それを形にしたものが、本書『必殺技の戦後史』である。……なんて書くと堅苦しい内容になりそうだが、根底にあるのは必殺技の出てくる物語が好きだという、熱い想いだ。

 世界的に見て例がないほど、日本のエンターテインメントには必殺技が多い。なぜ日本人は、これほど必殺技を受容してきたのか。その理由のひとつが、日本古来の武術にあると思われる。


 「必殺技大国」日本か……
 こう言われて、あらためて考えてみると、たしかに、アメコミの主人公って、「これでフィニッシュ」っていう必殺技を持っていないのです。
 スパイダーマンも、スーパーマンも、圧倒的な力や能力、武器は持っていても、「このヒーローといえば、これで決まり!」という必殺技って、ないですよね。
 『スパイダーマン』も、日本で版権をとって制作された特撮テレビシリーズでは、最後に巨大ロボットに乗って戦っていたのを思いだします。
 日本では「必殺技」がないと、ウケないのかなあ。
 僕も世代的には「キン肉バスター」とか「オーバーヘッドキック」とか「北斗百烈拳」とかを、さんざん真似していたのです(さすがに「キン肉バスター」は無理だった)。『ゲームセンターあらし』の「炎のコマ」とかも試してみて何度も即死して、「百円返してくれ……」と嘆いていたんだよね。


 著者の「必殺技と戦後の日本」についての考察は、かなり興味深いものでした。
 眠狂四郎の必殺技「円月殺法」について。

 刀身で円を描くことにより、相手を無力化(催眠状態のようなものであろう)し、斬り倒す。また、無力化を恐れて円を描く途中で襲ってくる相手もいるが、焦りや苛立ちから実力を発揮できず、やはり狂四郎に斬り倒されることになる。実に無敵の必殺技である。そんな円月殺法のどこに、戦後的な意味があるのか。ヒントとなるのは無力化だ。
 ここであらためて振り返りたいのが、戦後日本の在り方だ。敗戦によりGHQの占領下に置かれた日本は、GHQの指導により国家の方向性を決めていった。そのひとつが1946年に発布された日本国憲法だ。先に私は、五味康祐の「喪神」に登場する護身の必殺技”夢想剣”に触れ、根底に日本国憲法第九条――いわゆる”平和憲法”があるのではないかと述べた。それをもう一度繰り返そう。相手を無力化する円月殺法の根底にも、やはり日本国憲法第九条があるのではなかろうか。ただし夢想剣が護身の必殺技であるのに対して、円月殺法は相手を無力化する必殺技である。必殺技の能力は、正反対といえよう。
 その点を踏まえて注目するべきなのが、眠狂四郎の国際児という設定だ。そもそも狂四郎の発想の源となった戦後の国際児だが、父親のほとんどはGHQの兵士である。そして武力を持つことを禁じ、戦後日本を無力化した日本国憲法は、GHQの先導により作られたではないか。ならば狂四郎の身体に流れる父親の血は、GHQを象徴しているといっていい。


 正直なところ、こういうのを読むと、「著者の考えすぎなのではないか……」とも思うんですよね。
 この新書のなかでも、さまざまな社会情勢に影響を受けたといわれているマンガの作品の作者が、のちに「自分は社会に何かをアピールしようとしていたわけではなくて、当時話題になっていたことを、エンターテインメントとして描いただけだ」と否定していた、という証言が採り上げられています。
 もちろん、こういうのは「解釈する楽しみ」もありますし、作品というのは、描かれた時代の影響を受けるのが、むしろ「当然」ではあるんですけどね。
 こういう「ちょっと読み取り過ぎなんじゃないの?」と言いたくなるような「必殺技と戦後史の関連」を(半ばツッコミを入れながらでも)愉しんで読める人には、この新書、けっこう面白いのではないかと。


 自分の記憶って、けっこう曖昧なものなんだな、と思い知らされるところもあります。

 さて、そんな波動砲が、初めて使用されるのが、第五話「浮遊大陸脱出!! 危機を呼ぶ波動砲!!」である。第四話でワープ航法を成功させ、火星にジャンプしたヤマト。しかし火星を出発したものの、エネルギー伝導管の障害により操縦不能に陥り、木星のメタンの海に突入。そこを回遊する、オーストラリア大陸ほどの大きさの浮遊大陸に不時着する。しかし浮遊大陸には、ガミラス星人の偵察基地が建設されていた。伝導管の修理を終えたヤマトは、基地からの攻撃を躱しながら、ついに波動砲を発射。だが、波動砲の威力は、あまりにも強烈であった。基地のみならず、浮遊大陸そのものまで破壊してしまったのだ。あまりの威力に真田は「浮遊大陸自体吹っ飛んでしまったじゃないか。我々は許されないことをしたのではないか。我々はガミラスの基地だけを破壊すれば、それでよかったはず」といい、それを受けて沖田は「波動砲は我々にとって、このうえない力となる。だが使用を誤ると、大変な破壊武器になってしまうことが分かった。今後、使用には細心の注意が必要だ」という。
 以後、波動砲は、第十二・十七・二十・二十四話で使用される。全部で5回である。まあ、毎回のように使っては必殺技の有難味が減ってしまうが、それにしてもかなり少ないといえる。そこには波動砲を、強力すぎるがゆえに扱いに注意しなければならないという、制作者側の認識があるようだ。

 最初のテレビアニメ版の『宇宙戦艦ヤマト』では、全二十六話で、波動砲は5回しか発射されていなかったのか……もっと「乱射」されていたイメージがあったのだけれど。映画版と混同してしまっているのかも。
 『ヤッターマン』で、ボヤッキーの「ポチッとな」は、意外と使われている回数が少ない、というのを思いだしてしまいました。
 

 なんのかんのいっても、「必殺技」の話って楽しいですよね本当に。

 このことは打法にもいえる。阪急に入団した明智球七、球八の兄弟超人をアストロ球団に引き込むため、球一が勝負を挑む場面。驚くべきことに、巨漢の球八が小柄な球七をぶん投げることで、どんなホームランボールでも球七がキャッチしてしまうのだ。この鉄壁の守備を、いかにして破るのか。罅(ひび)を入れた木製バットで球一がボールを打つと、ボールと一緒に砕けたバットの破片が飛んでいき、目くらましとなるのである。これを称してジャコビニ流星打法。ジャコビニ流星群を見たことから思いついた打法である。なお、昭和47年には、流星雨の観測が予想され日本でブームが巻き起こっている(実際は観測されず)。このブームをいち早く、取り入れたのであろう。

 そんなのありえない!
 とツッコミを入れつつも、ニヤニヤせずにはいられない、「必殺技」の世界。
アストロ球団』また読み返してみようっと。

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