琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
僕はいわゆる「真っ当」な生き方から逃げて楽になった――


もっと自由に、伸び伸びと。
京大卒・日本一有名な"ニート"が提唱するこれからの生き方。


 僕はまだ「社畜系」の生きかたを続けているので、phaさんに対しては、愛憎半ばというような感情を抱いています。
 ああ、僕も本来は、phaさんのように生きていけたのではないか、というのと、「いやいやいや、僕はなんのかんの言っても、他人に叩かれるようなのには耐えられないだろう」というのと。

 最近自分の周りを見ても、ニュースを見ても、生きるのがつらそうな人が多いなと思う。
 会社でうまく働けなくてつらい、薄給なのに仕事がキツくてつらい、職が見つからなくてつらい、収入が不安定で人生の先行きが見えなくてつらい、お金がなくて生活が苦しくてつらい、結婚したいけど相手が見つからなくてつらい、結婚したけどうまくいってなくてつらい、子育てで疲れ果ててつらい、親の介護の負担が大きくてつらい、家族と仲が悪くてつらい、自分が抱えている病気でつらい、など、人によってつらい理由はそれぞれ違うけれど、常にみんな何かに追われているかのように余裕がなくて疲れていて、そうして疲れきった人たちの一部が、ときどき事件を起こしてしまってニュースに上がってきたりする。
 この社会では、なんでこんなにみんなしんどそうなんだろうか?


 この本を読んでいて、子どもの頃、ずっと考えていたことを思い出したんですよね。
 小学生の頃から「良い高校」に入るために塾に通い、
 高校時代は「良い大学」に入るためにいろんなものを諦めて受験勉強をし、
 大学時代は「食べていける資格」を得るためにそこそこ真面目に学校に行って実習、試験勉強をし、
 仕事をはじめてみると「将来の自分や老後のため」にキツい仕事をこなし……
 で、この人生、いつになったら、楽しくなるんだろうか?
 気づいたら、もう身動きも取れなくなって、成人用紙おむつをはめてベッドの上、じゃないのか?


 もちろん、仕事にはそれなりの充実感はあるし、自分なりの向上心を満たしてくれることもある。
 家族がいて、子どもと一緒に成長していく喜びもある。
 ……たぶん、ある。
 でもさ、先のことばかり考えているうちに死んじゃうよ。


 僕のいちばんの疑問は、「なぜ、phaさんはこうやって『発信』を続けているのだろう?」ということなのです。
 こういう書く仕事の収入がないと、生活していけないのかもしれないけれど。
 これは、最近ブログでよく見かける「ミニマリスト」を自称する人たちをみていて感じていることでもあるのですが、なぜ彼らは、自分のライフスタイルをネットで見せびらかしたり、同好の士たちとしばしば「オフ会」を行ったりするのだろうか。


 本当にシンプルに、つつましく暮らそうというだけなら、別にブログなんか書かなくてもいい。
 他者を啓蒙しなくても、良いわけじゃないですか。
 phaさんの場合には「こういう生き方を、社会にも理解してもらいたい」というのがあるのだろうな、というのは伝わってきます。
 その一方で、phaさんのように理論武装できる人は「エリートニート」なんですよね。
 そうではない、どうしても働いたり、外に出たりできない、そして自分の行動を理論で説明できない人は「引きこもり」とか「単なる貧乏人」になってしまうのだろうな、と。

 会社や家族に属さなくても、インターネットやシェアハウスでゆるく仲間を作っていれば、孤独にならずにわりと楽しく暮らしていける。あんまりお金がなくても、毎日好きなだけ眠ってのんびりと目を覚まして、天気のいい昼間に外をぶらぶら散歩したりしていれば十分幸せな気がする。
 会社や家族やお金に頼らなくても、仲間や友達や知り合いが多ければわりと豊かに暮らしていけるんじゃないだろうか。生きていく上で大事なのは他者との繋がりを保ち続けることや社会の中に自分の居場所を確保することで、仕事や会社や家族やお金はその繋がりを持つためのツールの一つに過ぎない。いわゆる「普通」とされている生き方以外にも、世界には生き方はいくらでもある。

 

 「お金に縛られない人生」というのも理念としてはわかる。
 でも、いまの世の中でそれをやろうとすると、シェアハウスだとか、節約生活だとか、仲間とのつながりだとか、コミュニケーション能力や生活の知恵をフル稼働しなければならないのです。
 お金って、「他者に自慢するための高級外車やガジェットを買うためのもの」だけじゃないんだよね。
 僕みたいにコミュニケーションに不安を抱えている人間にとっては「他人に関わるめんどくささを最低限に緩和してくれる道具」でもあるのです。
 お金がかからないから、と他人と住居をシェアして気を遣うより、家賃が高くても、ひとりで住みたかった。

 やっぱりシェアハウスの一番のネックは「セックスする場所がない」だなー、と思う。恋愛感情や性欲というものは人間を動かす大きなモチベーションだ。恋人ができれば好きな相手と二人だけでゆっくり過ごす時間が欲しくなるし、そうすると一緒に住みたくなる。そんな風に「恋愛」「同棲」というステップを踏んで、「家族」という新しい共同生活とコミュニティが生まれるのは、自然な流れにも見える。
 だけどその自然な流れでできたものは、長期的に見ると少しズレが出てくるんじゃないか、ということも思う。何が言いたいかというと、「恋愛やセックスの相手」というのと「共に暮らす同居人」というのは長期的に見るとズレていってしまうことも多いものじゃないだろうか。セックスレスの夫婦というのは世の中に結構多いみたいだし、一人の相手と長く一緒に暮らしていると安心感や親しさは増すけれどその代わりだんだんと恋愛感情や性欲の対象から外れていってしまう、みたいな話もよく聞く。

 生々しい話ではあるけれど、「シェアハウスに住み続けるのが難しい理由」には、こういうのも確実にあるのでしょう。
 たしかに「ズレてくることは多い」だろうし。
 そこまで先のことを考えてしまうと、何もできなくなりそうではあるけれど。

 
 こうして考えていけばいくほど、結局、エリートニートミニマリストも、僕と似たような「承認欲求仲間」ではないか、と思いますし、その生きかたは尊重されるべきなのだろうな、とは感じます。


 ネットでは「老後はどうするんだ!」なんて責める声も目にするのですが、僕の現場感覚からすると、急病で働けなくなったり、難病にかかったり、交通事故を起こしたりすれば、普通の人が普通にがんばって蓄えたお金なんて、すぐに、底が抜けてしまいます。
 逆に、自分で行政機関にアピールする知識と能力があれば、「お金がないから」という理由で何も治療してもらえない、なんてこともありません。
 うまくできているといえばできているし、アリに厳しく、行動力のあるキリギリスに甘い世の中だとも言えるのかもしれない。
「他人に助けてもらうのは申し訳ない」という人ほど、ギリギリのところで苦しんでいるようにもみえる。
 「老後の保証がない」のはみんな同じで、そもそも、そこまで生きているかどうかわからないし、本人に「のたれ死にの覚悟」があれば、それをみんなが尊重する時代が、いずれやってくるのではないか、と感じます。

 何か物を持つということはその管理コストを抱えるということでもある。持っている物が増えると収納するための空間的コストだけではなくて、「○○が壊れちゃったから修理しないと」「○○買ったから置く場所を作らないと」「○○を収納する××を買おう」「そうしたらもっと広い家が欲しい」みたいに、物の管理や維持について考える心理的コストが日常の中で増えていく。実際はずっと持ち続けている物ほどあまり使わなかったりするし、自分が直感的にすぐ思い出せる以上の物を持っていてもあまり意味がないと思っている。
 また、知識や経験が増えるほど何かをやったときの新鮮味は薄れてしまう。年をとればとるほどそれまでに得た知識や経験のおかげでいろんなことを自信を持って語れるようになるけれど、その分考え方が硬直化して自由な発想がしにくくなるというのもある。

 僕はずっと、phaさんは京大を出ていて、こんなに理論武装できるほどの頭脳もあるのに、なんかもったいないなあ、と思っていました。
 でも、ようやくわかった。
 エリートニートをやっていくには、このくらいの賢さがないとダメなんだな、って。
 この本を読んでいて感じたのは、これは「哲学」というか「理念」の本なのだな、ということなんですよ。
 こういう本って、実際の生活ぶりとか、体験談みたいなものが、もっと入っているものだと思っていたのだけれど、「理論」が大部分を占めていたのです。
 だから、「楽しいニート生活!」みたいなものを期待して読むと、肩すかしを食らうかもしれません。
 この本によると、phaさんは本を出したり、ネットに文章をけっこう書いたりされているけれど、年収は100万円くらいだそうです。
 「ニート業」だけで生計を立てるのは厳しい。
 

 結局のところ、phaさんがどんなに「啓蒙」しても、エリートニートとして生きていける人って、ほんのひとにぎりだと思うのです。
 「普通のひと」は、ずっと働かずに、家でネットをしたり、寝たいだけ寝て猫にエサをあげるだけ、みたいな生活には、耐えられないようになっている。
 だからもう、「棲み分け」で良いんじゃないかな。
 たぶん、社会にとって適当なところで、バランスがとれていく。


 彼らを叩くのに使う資源があるのなら、「働きたくても仕事がない人」や、「社会に適応できなくて、引きこもってしまっている人」の支援に向けるべきではなかろうか。
 後者の場合、「それでも社会に適応させようとする」のが正しいのかどうか、僕にはよくわからないのだけれども。


 正直なところ、「phaさんはまだこれで印税もらえるから良いけど、後に続く人たちは、phaさんたちが狩り尽くしたあとの焼け野原に放り出されるだけじゃないか」とも思うのです。
 ただ、phaさんも「ずっとニートをやる」ことを薦めているわけではなくて、「一定期間働いて最低限のお金を稼ぎ、しばらくはその蓄えで仕事をしないでゆるやかに生活する、その繰り返し」というライフスタイルも推奨されています。
 そういうのも「アリ」で良いのではないか、と。
「プログラムを学ぶことで、お金を稼げるようになった」という例もあげておられます。


 phaさんに関しては、「ニート」ばかりが強調されがちです。
 実際は、こんなに世の中にいろんな価値観が出てきているのに、「仕事」「労働」に関しては、まだまだ昔の「社畜礼賛」的な風潮が強いのはおかしいのではないか、もっと多様性を認めようよ、ということが、この本の要旨なんですよね、たぶん。


 ただ、「結婚とか子どもとかは諦めている」というのを読むと、「それは個人の選択としては有りなのだろうけど、みんながそう思うような世界になったら、人類はゆるやかに滅亡していくのではないかな」なんてことも、考えてしまうんですよ。
 まあ、僕が死んだら、あとの世界のことなんて、あれこれ心配したってしょうがない、という気もするんですけどね。


ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

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