琥珀色の戯言

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【読書感想】ねにもつタイプ ☆☆☆☆☆


ねにもつタイプ (ちくま文庫)

ねにもつタイプ (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
コアラの鼻の材質。郵便局での決闘。ちょんまげの起源。新たなるオリンピック競技の提案。「ホッホグルグル」の謎。パン屋さんとの文通。矢吹ジョーの口から出るものの正体。「猫マッサージ屋」開業の野望。バンドエイドとの正しい闘い方―。奇想、妄想たくましく、リズミカルな名文で綴るエッセイ集。読んでも一ミクロンの役にも立たず、教養もいっさい増えないこと請け合いです。


某大型書店(というか、博多駅の『丸善』)で、「在庫僅少本フェア」というのをやっていて、そこでみかけて購入。
岸本佐知子さんの名前はよく耳にしていたのですが、これまで著書は読んだことがなくて。
岸本さんは、これで2007年の講談社エッセイ賞を受賞されているのですが、読んでみると、なんだかとても不思議な手触りのエッセイ集なんですよ。

 だが小学校に上がってからも、地獄は形を変え、いたるところに口をあけて私たちを待ち構えていた。
 たとえば、横断歩道の白黒の「黒」の部分。マンホールのふた。(「上水道」と書かれてあるものは大丈夫だったが、「下水道」は踏んではならなかった。四角はすべてセーフ。)学校の下駄箱の前の、すのこの敷かれていない部分。歩道を歩くときは、四角いブロックのひびの入っているものや汚れているもの、ゴミが落ちているものは踏んではならないため、きれいなブロックを選んで歩くのが大変で、わざわざ遠回りして歩道のない道を通ったりした。
 だが、地獄は平面だけとは限らなかった。通りを走っている車のタイヤのアルミホイルの中心、そこから目には見えない車軸が長く伸びていて、それを正確に飛び越えなければ、脚を斬られてしまうのだ。私たちは遠くからこちらに向かってくる車をドキドキしながら待ち構え、すれちがいざまに見えない車軸を前輪・後輪と飛び越えた。車が何台も続くとたてつづけに跳ばねばならず、忙しかった。

 以前、ある有名女性作家が「小説家になるための才能というのは、子どもの頃に感じていたことを、どのくらいはっきりと覚えているか」だと仰っていました。
 このエッセイ集を読んでいると「ああ、こういうことなんだなあ」と、すごく腑に落ちる感じがするのです。
 子どもの頃の記憶って、大人になっていくにつれて、上書きされ、美化されたり、「あの頃は子どもだったから」と、無かったことにされたりしがちです。
 そして、そうやって上書きされてしまったことすら、自分でも気付かない。
 自分の子どもに「お父さんは、子どもの気持ちなんて、ぜんっぜんわかってない!」なんて怒られたりもする。
 それが「普通」だと思うんです。
 にもかかわらず、岸本さんは、なぜこんなに、子どもの頃のことを覚えているのだろう。
 読んでいると、僕自身も、自分が子どもだったころの「生々しい記憶」みたいなものが少しずつ解放されてくるような気がしました。


 岸本さんは、子ども時代のことだけではなく、「日常生活で、なんとなく感じていること」を言葉にするのが、すごく上手なんですよね。

 たとえば、こんな経験はないだろうか。
 友人から食事に誘われる。友人のカップルとあなた、計三人だ。カップルは、これから本格的に付き合いはじめようとしているか、さもなければそろそろ沈滞ムードが漂っているかの、どちらかだ。いずれにせよ、あなたは座持ちがするタイプなので、会食は楽しく進行する。
 やがて食事が終わり、場所を移そうという話になる。友人カップルがいい店を知っていると言うので、三人で歩き出す。ところがどういうわけか、あなたは途中で二人とはぐれてしまう。戻って探すが、まるで宇宙人にさらわれたかのように、二人の姿は忽然と消えている。
 あなたは不思議に思い、そのことを別の友人に話す。するとその友人は、「そんなこともわからないの?」と呆れたように言う。
 もしもその手のことがあなたの人生においてたびたび起こるようなら、そしてそのためにあなたがなんとなく人生というものにしっくりこない感じを抱いているとすれば、それはおそらくあなたが「気がつかない星人」だからなのだ。
「気がつかない星人」は、一言でいえば”ものごとの隠された意味”が読めない。だから、仲間うちで「法則当てゲーム」をやったりすれば(”ママ”は唇が合うが”ハハ”は合わない、のたぐい)、きっと最後の最後まで負け残る。
「気がつかない星人」は、”言外のニュアンス”に対して鈍感である。


 ああ、僕はこの「気がつかない星人」だ……
 いや、この話にしても「気がつかない人」じゃなくて、「星人」っていうのが、言い得て妙、なんだよなあ……なんというか、「どうがんばっても、周囲と噛み合わない感じ」というか……
 「星人」なんて、『GANTZ』の敵役みたいだな、などとも思いつつ。 


 エッセイというのは、「本当のこと」を書かなければならないのか?
 「嘘」が混じっていてもいいのか?
 実際に読んでいただければわかると思うのですが、このエッセイ集、虚々実々というか、「たぶん、ほんとうのこと」を語っていくうちに、岸本さんの妄想が暴走していき、「なんじゃこれは……」という幻想的(というか妄想的)な世界に突入していく話があるのです。
 実話のつもりで読み始めていると(前述した「鮮明な記憶」に基づいて書かれているので、ものすごく「リアル」なんですよ)、いつのまにか「なんだこれは」というオチにたどり着いてしまうのです。
 そういう話もあれば、ノスタルジックな気分のまま終わってしまう話もあり。

 それから、「汚れの通販」。
 テレビの通販のコマーシャルで、いつも目が吸い寄せられるのは掃除関連の商品だ。クリーム状のクレンザーや蒸気の噴射器などを使って、ものすごく汚い洗面台や鍋などが見違えるほどピカピカになる。思わず欲しくなる。でも、その”欲しい”の気持ちをよくよく分析してみると、「うちの洗面台の汚れを落とすあの商品が欲しい」よりは、むしろ「あんな風に気持ちよく落ちる汚れが欲しい」であることに気がつく。たしかにコマーシャルに出てくるあの洗面台の汚れは、何か特殊なものでできているような気がする。ならば、それをチューブに入れて洗ったらよくはないか。クレンザーのおまけにつけてもいいかもしれない。みんな汚れ欲しさにクレンザーを買うかもしれない。私なら買う。

 エッセイ集というのは、世に出てから時間が経つほど「時代遅れな感じがする」ことが多いのですが、この本、時事問題などが書かれているわけではないこともあり、2007年に最初に上梓されたにもかかわらず、 2015年にもまったく色あせていないように感じました。
 こういうのもまた、「すばらしいエッセイの特徴」なのだろうな、と。


 何か面白いエッセイないかな、とお探しの皆様、これはオススメですよ。
 むしろ、ああ、こういうのが「エッセイ」なんだよな、と再確認してしまう一冊です。

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