- 作者: 益田ミリ
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2015/04/23
- メディア: 単行本
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内容紹介
わたしの中の
「あの子」が騒ぐ。
「夕焼けだんだん」「週末の自動販売機」「お母さん、心配?」「ひみつのお手伝い」「おかしなパンツ」「門限のない国で」「夜のドラえもん」「ノージェスチャー ノーライフ」「そう書いてあった」……珠玉の49編。
大人の国で生きることのもどかしさ、切なさ、
美しさを綴った、魅惑のエッセイ集。
「朝日新聞」好評連載「オトナになった女子たちへ」収録。
益田ミリさんが書いたものを、無性に読みたくなることがあるのです。
益田さんって、世代的には僕より少し下、くらいなのですが、どちらかというと「女子的」で、ずっと、ふわふわ、ゆらゆらしているような感じ。
でも、そんなふうに油断しながら読んでいると、ところどころに、心に突き刺さってくるような言葉があって。
僕のなかでは、「女性コミックエッセイスト」として、益田さんと、たかぎなおこさんが「双璧」です(この「そう書いてあった」は、絵のないエッセイなのですが)、たかぎさんが「地に足がついていて、真面目でしっかり者」なのに比べて、益田さんは、放っておくと、どこへ飛んでいくかわからない」ようにみえます。
その一方で、益田さんは、自分の感情というものを、恐ろしいほど突き放してみているところがある。
そんな父が、夕食の席で、ふいに気弱なことをぼろり。
オリンピックの話題になり、日本で開催されるのかな、なんて話していたら、
「もし開催されたとしても、ワシは生きとるやろか」
わたしはとっさに、
「そんなに元気なんやから、大丈夫やろ」
笑いとばしたものの、急にざらりとした気持ちになる。後になって、あれは父にではなく、わたし自身に言ったのではないかと思った。そして、笑いとばしたりせず、聞くべき大切なことがあったような、そんな気がしたのである。
この文章、最初に読んだときは、「わたし自身に言った」言葉がどれなのか、ちょっと迷ってしまったのです。
少し考えて、「そんなに元気なんやから、大丈夫やろ」のことなのだな、と。
こういうやりとりって、ありますよね。
親としては「大丈夫」と言って安心させてほしいのだろう、と子どものほうは思いこんでいるけれど、親の側としては、「もしものときのために、言っておきたいことがある」というサインを出していることもある。
でも、子どもとしては、「親が重い病気にかかって苦しんでいたり、親がいなくなったりすることを想像したくない」から、「大丈夫」で考えるのをやめてしまいがち。
こういうのって、本当は「こちら側の都合」で言っていたのではないか?
僕も、この年齢になって、そういうことを感じるようになりました。
とはいえ、あらたまって、「何か言い残しておくべきことがある人生」っていうのも、そんなに無いのかもしれないし、自分が生きてきた姿を見てもらうだけで、十分なのかもしれないけれど。
レストランで和風定食を食べつつ、ふたりでおしゃべり。互いの失敗談などでお腹を抱えて笑いあう。ふいに、話が途切れたとき、わたしは、いつか聞こうと思っていたことを母に尋ねてみた。
「お母さん、わたし、子供もおらんし、わたしがおばあさんになったとき、心配?」
母は、一瞬、間を置いて「心配」と言った。
作家、夏石鈴子さんの短編集『家内安全』の中に、若い母親が、生まれたばかりの我が子を見て、涙を流すという物語がある。その若い母親は、目の前にいる赤ちゃんが、成長し、老人になることを想像する。すると、不安になってきて、老いた我が子がやがて死を迎える時、こわくないよう、苦しくないよう、痛くないようにと祈るのである。「そして、どうかどうか、その時この子が一人ぼっちではありませんように」。そう思っておいおいと泣くのである。
子供を産んだことのないわたしは驚いた。生まれたばかりの子を前に、もう遠い未来を案じているのだ。
僕にも2人の子供がいて、親として、子供の成長を喜ばしく感じたり、どんどん生意気な口をきくようになってくるのを「鬱陶しいなあ!」なんて嘆いたりしています。
長男の幼稚園の卒園式に出席したとき、僕はなんだか、急にせつなくなってしまって。
ここまで大きくなったのか、という感慨とともに、「ああ、この子は、もう人生で『幼稚園』に戻ることはできないのだな」と思うと、なんだか、ね。
『TIME/タイム』という映画があります。
そのなかでは、時間(=寿命)が売り買いされていて、人は自分の余命を、デジタルで見ることができる。
その時間に長短はあるのだけれど、有史以来、死んでいない人間はいないので、時間が有限であることは、みんな平等なのです。
カウントダウンは、進んでいく。
子供をみていると、「死んでしまう運命を背負ったものを、生んでしまった」ことに対して、なんだかちょっと、申し訳なく感じることが、僕にもあるのです。
自分のことは、棚に上げまくって。
だから何ができる、というわけでもないし、人間の歴史というのはその繰り返し、ではあるのだけれど、そういう妄念みたいなものに、とらわれてしまうこともある。
「お母さん、わたし、自分が思うように生きてきて幸せやし、もし一人ぼっちで死ぬようなことがあっても大丈夫やで」
母は、
「そうか、そうやな」
と言い、ふたりでデザートのバニラアイスを食べ終えた。
結局、生まれてきてしまったからには、自分の人生の「決着」みたいなものは、自分でつけるしかない、のですけどね。
1時間で読み終えてしまえるくらいのボリュームではあるのですが、ときどき思い出して読み返したくなる、そんなエッセイ集です。