琥珀色の戯言

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【読書感想】真説・長州力 1951‐2015 ☆☆☆☆


真説・長州力 1951‐2015

真説・長州力 1951‐2015

内容紹介
プロレス・ノンフィクション史上最大級のインパクト!


本当のことを言っていいんだな?
本名・郭光雄、通名・吉田光雄――
“端っこ”の男はプロレスラー長州力となり、時代の“ど真ん中”を駆け抜けた。
今、解き明かされる“革命戦士”の虚と実。
その全歴史!


在日朝鮮人二世として生まれた幼少期の苦悩から、ミュンヘン五輪、“噛ませ犬”事件、“黒歴史”WJプロレス崩壊の真相、そして現在――
長州力がすべてを語った!
藤波辰爾佐山聡初代タイガーマスク)、坂口征二アニマル浜口キラー・カーン大仁田厚ら大物プロレスラーも登場。多数の関係者取材で迫る衝撃ノンフィクション!


 長州力は、なぜ、藤波辰爾に「オレはお前の噛ませ犬じゃない!」と言ったのか?
 僕はあの時代、新日本プロレスを毎週欠かさずに観ていたプロレスファンだったので、この本を書店で見かけて、即買いしてしまいました。
 いまや、長州小力の偽物(違うって……)とか、「滑舌の悪いおじさん」として広く知られるようになった長州さんなのですが、プロレスファンにとっては、「レジェンド」のひとりです。
 「噛ませ犬」という言葉がこれほど世に広まったのは、長州さんのおかげですよね。

 
 この本の特徴は、「プロレスや長州力に対して、ほとんど思い入れのない著者によって書かれたノンフィクション」であるということと、関係者に徹底的に直接取材し、話を聞いている、ということです。
 ちなみに「取材を何度もお願いしたけれど、引き受けてもらえなかった人の名前」も挙げられています。
 「取材拒否」というのは、それはそれで、あれこれ想像してしまうものだな、と。
 

 著者は、思い入れがないだけに、長州力という人間や、長州が活躍していたプロレス界の出来事を、よく言えばフラットかつ冷静に、悪くいえば、ちょっと距離を置いて描いています。
 『1976年のアントニオ猪木』を書かれた柳澤健さんや、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の増田俊也さんのような「格闘技のことをよく知っていて、個人的な興味を突き詰めて取材をし、ノンフィクションを書いた人」のような「熱さ」は、ここにはありません。
 でも、それだけに、「プロレス」という虚実入り混じった迷宮に迷い込んでしまった著者が困惑する様子が、ものすごく伝わってくるんですよ。
 取材した関係者には、長州力という人のことを好きだった、信頼していたという人もいれば、「長州の裏切りに幻滅して、プロレスをやめてしまった、という人(キラー・カーンさん)もいます。
 長州は銭ゲバで、自分ひとりがオイシイ思いをしていた、という人もいれば、「団体のために、泥をかぶった」という人もいる。
 「噛ませ犬」事件や、ジャパンプロレスUWFとの対抗戦、ファイティング・ワールド・オブ・ジャパン(WJ)での挫折……
 

 アマチュアレスリングで、韓国のオリンピック代表となった(ずっと日本で生活してきて、「祖国への思い入れ」がそれほど強いわけではなかったようなのですが)吉田光雄という男。
 彼は、「本当に強かった」のです。
 しかしながら、プロレスでの「強さ」というのは、「いかに観客を魅了するか」。
 アマチュアレスリングで「勝つか負けるか」に生きてきた吉田光雄は、どうも、「プロレスをそんなに好きになれなかった」というのが、本人・関係者のインタビューから伝わってくるのです。
 でも、「自分を活かせる職業」として、吉田光雄は、プロレスの世界で生きていかざるをえなかった。

 長州力の取材を始めてすぐに気がついたのは、プロレスラーとなった以降の「試合」を「仕事」と呼ぶことだった。
 プロレスの世界には、大相撲から引き継がれた隠語が数多くある。長州はしばしば「お米」という「金銭」を意味する言葉を使った。彼は「コ」の部分で舌を少し巻いて発音する。長州にとってプロレスは、お米を稼ぐための「仕事」だった。
 当初、「仕事」の話は早く終わらせようとした。一方、プロレスラーとなる前、特に大学時代について話をするときはいつも愉しそうだった。

 プロレスラーに憧れて、練習生からスタートした藤波辰爾と、アマチュアレスリングでオリンピックに出場し、スカウトされてプロレスの世界に入った長州力
 長州力はまちがいなく「本当に強かった」けれど、自分をリングの上で演出するということに、なかなか慣れず、新日本プロレス内での自分のポジションに不安と不満を持っていたのです。
 そんななかで、一挙にブレイクしたのが、あの「噛ませ犬」事件。


 著者は、そこに至るまでのプロセスについて、長州力に、突っ込んで話を聞こうとしています。
 長州も、誠実に答えている……ようにみえるのです。
 そして、ふたりのやりとりが、この本のなかで、おそらくかなり正確に再現されているのですが、読めば読むほど「真相」は、よくわからない。
 アントニオ猪木が長州に「ほのめかした」という話も出ているのですが、それも具体的に「こうやれ」というような話ではなかったのです。
 でも、この本全般に言えることなのですが、プロレスラーや関係者の「証言」というのは、誰が本当のことを言っているのか、どこまでが事実なのか、よくわからないんですよ。
 そういう「カオス」こそがプロレスの魅力なのだ、ということなのかもしれないし、「本当に覚えていないだけ」なのかもしれない。あるいは、都合の悪いことは伏せていたり、ファンのことを考えて、墓場にまで持っていこうとしているのかもしれない。
 この本が面白いのは、著者が「プロレス慣れ」していないだけに、そういう「困惑」を、自分の知識で整理して書いてしまうのではなくて、「わからないまま記録している」ことなのです。


 実はあの「噛ませ犬」という言葉も、リングの上で長州力藤波辰爾に言ったものではないらしいのです。

 この試合のもう一つの謎は、長州が「噛ませ犬」という言葉を口にしたかどうかだ。
 テレビの中継映像では古館伊知郎の実況を含めて「噛ませ犬」という言葉は一切聞こえてこない。長州と藤波がマイクを持ってやり合ったのは中継終了後で、ビデオは残っていない。ただ、当日リングサイドで撮影していたカメラマンの原悦生によると、長州は藤波にさまざまな言葉で悪態をついていたが、「噛ませ犬」だけは口にしなかったという。翌日の東京スポーツにもやはりこの言葉は見当たらない。
 新間(寿)が創作したという説もあるが、新間は「噛ませ犬なんて言葉は俺からは出てこない」と断言した。
「俺はこの発言をあとから読んで、吉田はさすが大学を出ているだけあるな、面白い言葉を知っているなと感心したんだもの」
 長州本人の記憶も曖昧だ。2012年10月、新宿FACEで行われた郄田延彦とのトークイベントで、司会の水道橋博士に質されたとき、「あれはマスコミが作ったものです」と一度は否定しておきながら、「あ、やっぱ言ったかも分かんない」と発言している。
 誌面上で噛ませ犬という言葉が現れるのは『ビッグレスラー』という月刊誌の1982年12月号である。
 これは長州へのインタビュー記事で、<藤波の”かませ犬”になるのはもうごめんだ>というタイトルがつけられている。


 僕はこれを読むまで、長州は藤波と決別したリングの上で、「オレはお前の噛ませ犬じゃない!」と言ったと記憶していたのです。
 人の記憶って、本当にいいかげんなものだよなあ。
 これを読んでいると、長州さんもその他の関係者も、「そんなにキッチリ記憶しているわけではない」ことがわかります。
 長州力という人は比較的誠実な語り手だとは思うけれど、間違った記憶を誠実に語る人だって、いるんだよね。


 長州は、「プロレスは仕事」だと割り切っていたがゆえに、坂口征二社長とともに、経営にも手腕を発揮します。

 そして、長州は「お前、ちょっと異常じゃねぇのか、この経費は」と低く擦れた声を出して、坂口を真似た。
「いつもぼくは坂口さんに”細かーい”って文句を言っていた。文句を言っていたけれど、あの人が一番まともでしたね。坂口さんはちょっと(ジャイアント)馬場さんに似ているところがあって、あのときはみんな人間関係がうまくいっていた」


 なんのかんの言っても、会社としてやっていくためには、「ちゃんと締めるところは締める」人が必要だったのです。
 ただ、「経費に細かい」なんていうのには、反発するレスラーが多かったのも事実のようです。
 プロレスラーは、豪快な私生活も芸のうち、ってところもあるのでしょうし。


 そして、新日本プロレスのなかでは、比較的「まともなコスト意識」を持っていたはずの長州さんなのですが、のちのWJでは、営業の弱さと放漫経営で苦しむことになります。


 プロレスが好きではなかったし、プロレスラーのなかでは、「ちゃんとした社会人」のはずだった。
 「自分は一般人に近い感覚を持っている」ような気がしていた。
 でも、いざ経営の矢面に立たされてみると、やはり、長州さんも「プロレスの世界に属する人」でしかなかったのです。
 それを実感したときには、WJは潰れてしまっていました。

 壁には料理名の書かれた紙がいっぱいに張られ、威勢のいい女将が切り盛りしているこの店を長州は気に入っていた。20畳ほどの店には木製テーブルが並べられており、いつも背広にネクタイをした人間たちで混んでいた。気取らない、どこにでもありそうで、実際はなかなかない居心地のいい店だ。
 長州の坐る場所はいつも同じだった。一番奥のテーブルで、入り口に背を向けて坐った。上座を勧めると、長州は首を振った。
「ぼくはいつもここです。端っこがいいんです」
 きちんと足を揃えて、ちょこんと物静かに坐る彼は、リングの中とはまったく違っていた。
「中学校ぐらいから、ぼくはいつも端っこでしたね。なるべく後ろ側の端っこ。高校時代は完全に真後ろの端っこでしたね。大学時代、よく映画館に行ったんですけど、コマ劇場の後ろ。坐る場所は決まっていました」
 彼の話は味わい深いものだった。プロレスラーたちの豪快な酒の話をひとしきり話した後、ぽつりと言ったことがある。
「親父がね、仕事が終わった後、毎日ビールを1本か2本飲むんです。あるとき、俺はこの年まで酒を一度も旨いと思って飲んだことがないと言った。学問も何もない親父ですけれど、その言葉がなんか頭から離れない。寄り合いなどに出かけて、酔っぱらって帰ってよくお袋と喧嘩するのに、旨いも不味いもないだろうとそのときは思っていた。今から考えれば親父なりの苦しさがあったのかなと」
 長州は少し間を置いた後、笑みを浮かべながら続けた。
「旨い酒でも楽しい酒でも、いつか底が見えますよ」

 そんなとき、店にアントニオ猪木が真っ赤なマフラーを垂らして、藤原喜明らを連れて姿を現した。猪木もまったく偶然に、この居酒屋を贔屓にしていたのだ。
 長州は店に入ってきた猪木の姿を認めると、立ち上がって挨拶した。それまで、長州は猪木のブラジルへの投資で新日本プロレス社内から反発が出ていた時代の話をしていた。猪木に挨拶した後、多少声を落としたものの、表情を変えず何事もなかったかのように長州は話を続けた。
 猪木は小一時間、酒を飲むと、店の客からの要望で「イチ、ニー、サン、ダーッ」と雄叫びを上げて、近くの店に移っていった。彼は見事にアントニオ猪木を演じていた。その姿を静かに眺めていた長州と対照的だった。


 このノンフィクションを読んでいると、ひたすらアントニオ猪木を演じ続けることができる、猪木さんの「狂気」に圧倒されてしまうところが、たくさんありました。
 それに比べると、長州さんは、まだ「普通の人に近い」のです。
 でも、だからこそ、長州さんは「普通」と「狂気」の狭間で、ずっと宙ぶらりんだったのかもしれないな、と僕は思いました。
 長州力ファン、プロレスファンのみならず、「良質のノンフィクションを読みたい人」にもオススメです。
 

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