琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】犯罪は予測できる ☆☆☆


犯罪は予測できる (新潮新書)

犯罪は予測できる (新潮新書)


Kindle版もあります。

犯罪は予測できる(新潮新書)

犯罪は予測できる(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
犯罪を未然に防ぐには、いつどこで起きるか予測できればいい。それを可能にするのが「景色解読力」―注目すべきは、いかにも怪しい「不審者」ではなく、見慣れた「景色」なのだ。犯罪科学のエキスパートが最新の知見をもとに、実践的な防犯ノウハウを伝授。意表をつく指摘を通じて犯罪のメカニズムを解明する。


 「犯罪を予測する」って、トム・クルーズ主演の映画『マイノリティ・リポート』みたいに、「この人は犯罪をやります!」と指さされて、何もやる前から逮捕されてしまう、そういう話なの?と思いながら読み始めました(この新書の冒頭にも、この映画(と原作小説)の話が出てきます)。

 要するに、科学的根拠がある場合でも、前もって知ることと、前もって測ることとでは、意味するところに大きな違いがあるのだ。
 本書が扱うのは予測である。犯罪の予知は、現在の科学水準では不可能に近い。しかし犯罪の予測は、科学的研究の積み重ねによって、その精度を高めることができる。
 本書で紹介するノウハウは、最新の犯罪科学に基づいている。それは、犯罪機会論と呼ばれている。犯罪機会論とは、犯行の機会(チャンス)の有無によって未来の犯罪を予測する考え方である。
 では、犯罪の機会とは何か。
 それは、犯罪が成功しそうな雰囲気のことである。そういう雰囲気があれば、犯罪をしたくなるかもしれない。しかし、そういう雰囲気がなければ、犯罪をあきらめるだろう。つまり、この雰囲気の有無が犯罪の発生を左右するのである。
 一般に、動機があれば犯罪は起こると考えられている。しかし、それは間違いだ。動機があっても、それだけでは犯罪は起こらない。
 犯罪の動機を抱えた人が犯罪の機会に出会ったときに、初めて犯罪は起こる。それはまるで、体にたまった静電気(動機)が金属(機会)に近づくと、火花放電(犯罪)が起こるようなものだ。このように犯罪機会論では「機会なければ犯罪なし」と考える。


 どんなに犯罪的な性衝動を抱えている人物ても、白昼に繁華街でいきなり子どもに性的ないたずらを行うことは、まずありえません。
 「抑えきれない衝動」であっても、とりあえず「見つかりにくい、目的を完遂しやすい状況」を、ほとんどの犯罪者は選ぶのです。
 著者は、犯罪が起こる要因のなかで、いちばん外部の努力によってコントロールしやすいのが、この「機会をつくらないこと」だという立場から、犯罪についての考察と、その抑止法について紹介しています。

 悲劇を予防するには、現実を直視することから始める必要がある。その現実とは、検挙されるケースは全事件の一割にも満たない」という事実である。これほどまでに多くの犯罪者が、なぜ捕まらないのか――。
 それは犯罪者が場所を選んでいるからだ。ほとんどの犯罪者は、犯罪が成功しそうな場所でしか犯罪を行わない。だからこそ捕まったりはしないのである。


 ちなみにこの「1割」というのは、犯罪に対して、被害者が通報する割合(性的な犯罪や軽微な窃盗では、警察に通報される割合が少ない)と検挙率をかけあわせての数字です。
 「捕まるような『無能な』犯罪者の行動を基準にして防犯計画を考えるのは、あまり意味がないのかもしれない」と著者は考えているのです。
 そもそも、犯罪というのは、犯人が逮捕され、刑が執行されても、被害者の状況がリセットされるわけではありません。
 「犯罪の予防」がいちばん重要ではないか、と。

 だがしかし、悲観的になる必要はない。犯罪者が場所を選んでいるのなら、そこがどこなのかあらかじめ分かれば、先手を打って犯罪を未然に防げるはずだ。
 こうした視点から犯罪機論は、犯罪者が生んだ場所(犯行現場)の共通点を探ってきた。共通点さえ抽出できれば、それを「ものさし」にして、犯罪者が選んでくる場所(未来の犯行現場)を予測できるからだ。
 こうして導き出されたのが、「入りやすい」「見えにくい」という二つのキーワードである。学術的に言えば、犯罪が発生する確率の高い場所は、「領域性が低い」場所と「監視性が低い」場所ということになる。
 この「ものさし」を使って、景色を解読することが防犯の基本である。犯罪者が景色を見ながら犯行を始めるかどうかを決めるように、私たちも景色を見ながら警戒すべきかどうかを決めればいいわけだ。

 この新書のなかでは、具体的に「どういう場所で犯罪が起こりやすいか」についても詳述されています。
 「真っ暗な、ひとの気配がない場所」などというのは、いかにも犯罪が起こりやすそうなのですが、実際には必ずしもそうではない、のだそうです。
  また、カナダのミシガン州の隣接する2つのマンションでの犯罪発生率が大きく異なる(二倍以上の差がある)理由についても、こう推測しています。

 例えば、通報件数の少ないマンションの入り口は駐車場を通り越した先にあるが、通報件数の多い方の入り口は駐車場へ行く手前にある。つまり、トラブルの多いマンションの方が入りやすいのである。また両方の公園を比べても、通報件数の少ないマンションの公園はたくさんの窓から見下ろせるが、通報件数の多い方の公園は、ほとんどの窓が面していない見えにくい公園である。


 これらの要素を考えると、建物のつくりかたや周辺施設との位置関係などで、「入りにくく」「見えやすく」することによって、犯罪のリスクを減らすことができる、とも言えるのです。
 その一方で、いまの日本ではプライバシーとの兼ね合いなどもあり、なかなか難しいところもあるみたいなのですけどね。
 監視カメラについて、欧米諸国の市民は、「撮影することは問題ないが、その撮影した映像の取り扱いを厳しく管理することを要求する」そうです。
 日本では、「監視カメラ自体が置かれているのが気持ち悪い」と言う人が多い。
 著者は指摘しています。
 「公的な場所に居たり、歩いて通り過ぎたりしていれば、他人に『自分を見るな』と強要することなんてできないのだから、そこで映像を撮影されることそのものを拒否するのは、理にかなっていないのではないか」と。
 もちろん、その撮影された映像を無制限に垂れ流すようなことが、あってはならないとしても。


 これを読んでいると、現在行われている「防犯対策」というのは、あまり実態に即していないということもわかります。

 本当の不審者(犯罪を企てている人間)は、標的(犯行対象)を必死でだまそうとするから、外見や動作から存在を突き止めるのは簡単ではない。にもかかわらず子どもたちは、見ただけで不審者を識別できると思い込んでいる。その根拠を聞くと、「サングラスをかけているから」とか「マスクをしているから」と答える。
 しかし、こうしたイメージは誤っている。例えば、岡山市の不審者情報(この情報自体、子どもの主観的判断に依存しているので信頼度は低いが)を見ても、サングラスをかけていたのが全体の3%、マスクをしていたのが全体の1%だった。誤ったイメージが植え付けられているからこそ、子どもは簡単にだまされてしまうのだ。


 実際には、そんな「いかにも不審者」なんて格好をした犯罪者はほとんどいないにもかかわらず、そういうイメージを植えつけてしまっていると、「サングラスもマスクもしていないから、この人は大丈夫」というふうに判断しかねない、ということなんですよね。
 たしかにそうだよなあ、と。
 もし自分が犯罪をやるとしても、そんな「いかにも」な服装では、やらないと思いますし(というか、犯罪そのものをやらないと思いたい)。


 「犯罪をやりそうな人を見分けるテクニック」みたいな内容かと思いきや、そうではなく、「犯罪を減らしていくために、社会や地域には何ができるのか」そして、「人を見る目というのはアバウトなものだから、それをアテにしないで、犯罪に巻き込まれないようにするためには、どうすればいいのか」が書かれている、興味深い新書でした。
 

アクセスカウンター