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【読書感想】三谷幸喜のありふれた生活13 仕事の虫 ☆☆☆


三谷幸喜のありふれた生活13 仕事の虫

三谷幸喜のありふれた生活13 仕事の虫

内容(「BOOK」データベースより)
新選組!」から12年―。大河ドラマ真田丸」の執筆決定!月日は流れ、ついに老眼鏡も購入。いつの間にかベテランと呼ばれる年齢に。伊藤博文チェーホフらに扮した写真と書きおろしエッセイを巻末に特別収録。


 そうか、『新撰組!』から、もう12年も経つんだな……『新撰組』は、ハマった人もいれば、「なんだあれは!」と言う人もいて、話題性のある大河ドラマだったよなあ、山本耕史さんも出てたな、と。
 
 この『ありふれた生活』、11巻は離婚、12巻は愛犬「とび」との別れと、しんみりしてしまう巻が続いていたのですが、この13巻「仕事の無視」は、サブタイトルどおりの「平常運転」です。
 実はこの13巻の期間中に、三谷さんの息子さんが生まれているのですが、そのことについては、サラッと触れている程度です。
 だからこそ、「大事にしているのだな」という気もしてくるのですが、三谷さんの「父親っぷり」をちょっと教えてほしくもありますね。
 
 ということで、この13巻は、三谷さんの仕事の話がメインになります。
 まあ、どの巻も、ペットのこと以外は、仕事の話が多いんですけど。


 三谷さんは、「N・サイモン、我が師匠」という回で、自分の作風のルーツについて、こう書いておられます。

 僕が大学で演劇を学んでいた頃、周囲の演劇青年のほとんどは、つかこうへいさんの影響を受けていた。野田秀樹さん率いる夢の遊眠社が、爆発的に人気を集めていた時期である。しかし僕はそのどちらにも、もうひとつ興味を引かれなかった。
 学校の授業で観に行かされる新劇の舞台も、やはり趣味に合わなかった。清水邦夫さんや別役実さんといった劇作家の作品を、当時の僕は楽しむことが出来なかった。
 ハリウッド映画で育った人間にとって、演劇は「難解」すぎた。アクション映画よりも台詞劇が好き。緻密な脚本が書きたくて、あえて演劇学校に入ったのだけど、観るもの観るものが性に合わず、こういうものを演劇というのならば、ここに僕の居場所はないと思った。(失敗したなあ、やはり映画学科にすれば良かった、転籍届けを出そうかな)と真剣に考えていた時、たまたま観に行った舞台がむちゃくちゃ面白く、それは大好きなハリウッド映画に通じる洒落たコメディーで、こういうものなら、自分でも作ってみたいと思った。
 つまり、その舞台が、僕を演劇の世界に引き留めてくれたのだ。ニール・サイモンの「おかしな二人」。主演は杉浦直樹さんと石立鉄男さん。演出は福田陽一郎先生。場所は渋谷の西武劇場。今のパルコ劇場である。


 三谷さんは、当時の演劇の主流に対して「異端」だったからこそ、頭角をあらわしてくることができた面もあるのかな、と、これを読みながら考えていました。
 どんなに才能があっても、同じようなことをやっている人ばかりの場所では、あまり目立たない。
 本来は、テレビドラマや映画を真っ直ぐ作っていたであろう人が、演劇の知識を身につけたというのは、大きな武器になったのではないかなあ。
 「みんなと同じものが好きになれない」というのも、ひとつの才能なのかもしれません。


 また、映画美術監督種田陽平さんとの対談で、「三谷映画」のこんな特色を指摘されたそうです。

 トークショーの中で種田さんは、僕の映画の特色として「廊下」を挙げてくれた。普通の監督なら、廊下のシーンは省略することが多いが、僕はそこをあえて描く。しかも移動中に重要な会話が交わされたりする。だからどのセットも「廊下」を強調するようにしているという。
 言われて初めて気がついた。確かに僕は廊下のシーンが好きだ。A地点からB地点に行く時、移動の場面をよく挟み込む。それはたぶん、普段演劇をやっているせいだ。舞台の場合、セットとセットの間を移動するシーンはほとんどない。
 A地点からB地点に行く時、大抵の場合、A地点のセットを動かして、そこにB地点のセットを運んでくる。その間に廊下のセットを組んだりはしない。僕にとっては「廊下」はとても映画的な世界なのだ。ところが、省略という技法を使っていないので、実際に映画にしてみると、「廊下」はとても演劇的な手法となる。不思議だ。それは、舞台と映画の世界を行き来する、僕の実に本質的な部分なのかもしれない。

 そういえば、近作の『清洲会議』では、廊下の場面が多かった。
 たしかに、廊下の移動シーンって、普通の映画では、省略されることが多いですよね。
 途中で賊が乱入してくる、とかいうことでもなければ。
 次回作の『ギャラクシー街道』は、登場人物がすべて宇宙人らしいのですが、出てくるのかな、廊下。


 スティーヴン・キングの『書くことについて』という本のなかにあった「ありふれた設定を面白くするためのヒント」を、三谷さんは紹介しています。

 ある夫婦がいる。夫は妻を溺愛するがゆえに、異常に嫉妬深く、彼女を束縛する。やがて彼は妻が浮気しているのではないか、という妄想に取り憑かれ、暴力を振るうようになる。妻は耐えかねて家を出る。夫は暴力沙汰を起こし、逮捕される。妻は別の街で新しい生活を始める。やがて夫が看守を殺害し、拘置所から逃亡したという情報が入る。妻は近い将来、夫が自分のところへやって来ることを確信する。そんなある日、彼女は、自分の家で、ふと、夫が使っていたヘアトニックの匂いを感じる。夫が帰ってきたのだ! その時妻はどうするか?
 これにほんの少し手を入れるだけで、斬新で抜群に面白いプロットに変貌する。キングが教えてくれたのは、こんな簡単なこと。
「夫と妻の設定を入れ替える」
 つまり戻ってくるのは暴力妻の方なのである。面白そう。やはりキングは凄い。


 これを最初に読んだとき、「そんな感心するようなことだろうか?」と思ったんですよ。男女を入れ替えるだけのことじゃないか?と。
 でも、実際にその映像を思い浮かべてみると、たしかに、観てみたいかも。
 この「暴力妻」を誰が演じるか、にもよるけれど。
 こういうときの「暴力をふるう側」は男性という先入観は、けっこうあるのですよね、あらためて指摘されてみると。
 それが男女入れ替わるだけで、「ありそうでないもの」になってしまう。
 ゼロから生まれた斬新なアイディアなんていうのものはほとんど存在しなくて、既存のアイディアをどうアレンジしていくのが、差別化なのかもしれません。


 山本耕史さんのエピソードや、2016年の大河ドラマ真田丸』への意気込みなども書かれています。
 ちなみに三谷さんが最も好きな大河ドラマは『黄金の日々』だそうですよ。

 

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