琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ネットフリックスの時代 配信とスマホがテレビを変える ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
放送・通信の黒船がやってきた! 2015年9月に上陸したネット配信の覇者ネットフリックスと、それを迎え撃つHulu、dTV 、アマゾンなどの巨人たち。
動画配信された作品を「イッキ見」するという新しい波は、テレビのビジネスモデルを、私たちの生活をいかに変えるか、最前線からの報告。


・「レコメンド機能」など、「ネットフリックス」の世界有数のデータ解析力。
・日本型動画配信を拓いたNTTドコモとエイベックス「dTV」。
日本テレビ傘下「Hulu」のコンテンツ戦略。
・ネット配信を迎え撃つディスクの巨人「アマゾン」、「TSUTAYA」。
・民放キー局の「見逃し配信」サービス。


「テレビの前のお茶の間」という習慣が失われた時代の新しいコンテンツ消費の姿を、第一人者が描く!


 ネット配信は、テレビを「終わらせる」のか?
 2015年9月にネットフリックスが日本に上陸してきましたが、「黒船襲来!」とネットで話題にしようとしていた人が少なからずいたわりに、あまり盛り上がっていない印象があります(2015年11月はじめの時点では)。
 でも、「ネット配信の波」が日本に押し寄せてきているのは、まぎれもない事実なんですよね。
 僕自身は「無縁」だと思いこんでいたけれど、スマートフォンのdTVには入っていますしね。

 本書では、ネットフリックスに代表される、月額固定の料金による、見放題型の映像配信サービス「サブスクリプション型・ビデオ・オン・デマンド」、通称SVODを切り口に、映像の見方の変化が、我々の生活にもたらす影響を考察する。

 本書のキーワードは「イッキ見」。気になる番組をまとめて見る、というライフスタイルの登場が、まるでビリヤードのように、さまざまな影響を生み出していく。イッキ見へ球を転がすものはなんなのか。そして、その球はどこへ転がっていくのかを、日本の事情にあわせて考えていこう。


 タイトルは『ネットフリックスの時代』なのですが、内容的には「既存のテレビ(CS放送を含む)」から、ネット配信の時代への移行期について、わかりやすく説明されているのです。ネットフリックスの話だけではなくて。


 この本を読んでいてまず「そんなものなのか……」と思い知らされたのは「dビデオ」の利用率の話でした。

 一般的に、アプリをダウンロードしたのちも活発に利用するアクティブ利用率は、30パーセントから50パーセントと言われている。dビデオのアクティブ利用率は調査によって異なるものの、10パーセント台前半と見られ、多く見積もっても20パーセント程度。すなわち、解約予備軍がそれだけいる、ということでもあった。
 NTTドコモの販促費に頼り切ることなく、加入者の実利用率をあげてサービス継続率を高め、サービスとしての収益を高める。それが、dビデオに必要とされていることだった。
 そこでdビデオは、2015年4月22日にブランドとサービスの内容を刷新した。新サービスの名は「dTV」。料金などはそのままだが、サービスの見え方、使い方は大きく変わった。その名の通り、テレビを強く意識したサービスになったのだ。


 docomoユーザーの皆様、dTVって、使ってますか?(docomoじゃなくても使えるらしいですけど)
 docomoスマートフォンに機種変更すると、この「dTV」(以前はdビデオ)のサービスって、けっこう強めに薦められるんですよね。
 月に500円で、たくさんのビデオが観られますから!私(店員さん)も使ってます!って。
 いや、僕もまったく使っていないわけではないのだけれど、「そのくらいなら安いな」を思った「月500円」の元は取れていないはず。
 そもそも、映画とかドラマなどの長時間の動画をスマートフォンで観るのはつらいし、スキマ時間はKindleで消化してしまうし。
 それにしても、「よくて20%」というアクティブ利用率は驚きです。一度入ってしまったものって、案外みんなやめないものなんですね。


 その一方で、こんな話もあります。

 Hulu船越氏は「『妖怪ウォッチ』の成功を見て、テレビ局の目の色が変わったところがある」と話す。「妖怪ウォッチ」は、レベルファイブ社が展開する、家庭用ゲーム、おもちゃ、アニメにまたがるマルチメディア展開コンテンツ。2014年には子どもたちのあいだで空前のヒットを記録した。そのなかでも、テレビ東京系で放映されたアニメ作品は、人気の中核となったコンテンツである。テレビ東京がネット配信に積極的であったこともあり、Huluでは放送初期から、テレビ放送後すぐにその新作が公開されるというかたちになっていた。
 これが猛烈な回数、視聴された。人気のある作品をすぐに見られた、ということも大きかった。だがそれだけが重要なのではない。Huluでの「妖怪ウォッチ」配信を、ほんとうの意味で喜んだのは子どもたちではない。その親だ。家事をしている時、Huluで「妖怪ウォッチ」を見せておくと、子どもたちは喜んでそちらに集中してくれるので、手間が省けるからだ。1本を見終わっても、見るものはまだまだたくさんある。その時、親が彼らに与えるのはテレビとはかぎらない。むしろタブレットを渡し、自分で好きなように見せる例が多い。
 こうした行為を「テレビやタブレットに子守りをさせる」と非難するのは簡単だ。だが、そういうニーズが存在するのはごまかしようのない事実だ。1960年代から1980年代まで、夕方のテレビが子ども番組であふれていたのはそのためだった。だが子どもの数が減り、もはや、夕方に子ども番組は少なくなった。テレビ東京NHKEテレは数少ない例外だ。

 ああ、これとまったく同じことが、我が家でも起こっているのだよなあ。
 ネット配信があれば、タブレット端末を「自分が手を離せないときのための、子ども用の持ち運び可能なテレビ」として利用することができるのです。


 日本ではそんなに普及していない、とは言うけれど、こうして、すでに生活のなかで必要なものになってきている。
 そして、いまタブレット端末で「妖怪ウォッチ」を観ている子どもたちが成長してくれば「ネット配信で番組を観る」ことは、ごくあたりまえのことになるはず。


 この新書のなかでは、ネットフリックスをはじめとするネット配信企業が、オリジナルドラマなどを自社で制作することによって、顧客の獲得と囲い込みを狙っていることが紹介されています。
 『ネットフリックス』発の人気オリジナルドラマ『ハウス・オブ・カード』は、制作費が最初のシーズンだけで100億円といわれていて、その質の高さもあり、ネットフリックスの認知度を高め、大成功をおさめているのです。
 

 ただ、これらの「ネット配信」が、既存の「地上波テレビのビジネスモデル」を破壊するのかというと、そうでもなさそうなんですよね。
 最近では「見逃し配信」も一般的になってきて、テレビ局も積極的に「ドラマのリアルタイム放送を見逃した視聴者のために」配信を行っています。
 そんなことをすれば、地上波を観なくなるのではないか、と思うのだけれど、さにあらず。
 ドラマなどでは、1話分を見逃したことによって、「もう観るのをやめた」ということになるよりは、ネット配信で追いついてもらって、その後の回を視聴してもらったほうがプラスになるようです(少なくとも現時点では)。
 番組に興味を持ってもらえれば、けっこう、リアルタイムで観てくれるものなのだとか。
 スポーツ中継などはとくにそうなのですが、ネットのおかげで、「リアルタイムで、他の人と感想を共有しながら観る」ということも可能になりました。


 人々のライフスタイルがどんどん変わってきて、「テレビの放送時間に合わせてくれるわけではなくなった」現代においては、メディアのほうも、変わっていくしかない。
 これまでは「毎週1話ずつ」だったドラマも、『ネットフリックス』では、「全話一挙配信として、視聴者がそれぞれ観たいように観る」のが「原則」となっています。

 我々のなかにも、コンテンツが出る「場所」「ウインドウ」について、拭いがたい思い込みがあるのは否定できない。
 映画館という場所は上位にあり、テレビはその下、ネット配信は新興のもので、まだまだ拙い。
 そんな序列は、実際のところ意味がない。映画という産業が長いあいだに作り上げてきたものであり、尊重すべき部分もあるにはあるが、いまは変化が生まれている。
 映画館は2000年代後半以降、急速にデジタル上映に切り替わった。フィルム上映の時には、上映する設備ごとにフィルムを用意する必要があり、掛け替えにも相応の手間と時間を必要とした。だから、映画館で上映されることは「一定期間上映が続いて収益を期待できる」証でもあった。
 だがデジタル上映になると、そんな手間はなくなる。要はプロジェクターに映像を流せばいいので、映像ソースは「映画」として作られたものである必要はない。DVDやブルーレイなど、市販の映像でもいい。今は配給会社とネットワークで接続され、一時的に特別な作品の配信を受け、それを「1回だけ上映する」といったことも普通におこなわれている。昼間の客が少ない時間帯にコンサートを流したり、夜の時間帯にイベント的にファンの多い作品を上映したり、といったことは、すでに当たり前のものになった。昔ならばビデオでだけ発売されていたような作品でも、短期間、特定の映画館でだけ上映することで「劇場公開された映画版」として箔をつけることもできる。そういうやり方は、我々の脳裏にある「ウインドウの上下」に乗ったビジネス手法といえる。


 劇場公開映画として箔をつけて、DVDで商売するために「劇場公開」される映画(っぽい作品)って、TSUTAYAとかに行くと、けっこう並んでいますよね。とくに邦画では。
 そういうのは「劇場公開作品だから、映画のDVD化だから、少し『格上』なんじゃないか」というこちら側の思い込みを利用しているわけです。
 そういうのを観て、「安っぽさ」にガッカリした経験がある人は、少なくないはず。
 もちろん、低予算でも作り手の情熱で素晴らしい作品になっているものも、たくさんあるのですが。


 ネットオリジナルの番組であっても、それを制作したり、出演したりするのは、既存のテレビ制作会社だったり、タレントさんなのですから、「配信方法が変わっただけで、現場で行われていることは、そんなに大きく変わってはいない」し、「テレビ制作者の仕事がなくなった」わけでもないのです。


 ネットフリックスをみると、これだけのものが「定額」で観られるなんて、いまの世の中、いくらでも時間を潰す手段があって、「ひまだなあ」なんて考えずに済むんじゃないかな、とか考えてしまうのです。
 最低限の費用で、浴びるほどのコンテンツに接することができる。
 僕が子どもの頃には、考えられないような状況です。
 それでも、1日は24時間しかないわけで、「見放題でも、観られる時間は限られている」のですけどね。
 
 

アクセスカウンター