琥珀色の戯言

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【読書感想】石井ぜんじを右に! ☆☆☆☆☆


石井ぜんじを右に! ~元ゲーメスト編集長コラム集~

石井ぜんじを右に! ~元ゲーメスト編集長コラム集~

内容(「BOOK」データベースより)
衝撃の「ゲーメスト」廃刊劇から15年…名物編集長「石井ぜんじ」が今語る、熱き魂の軌跡!今明かされるアーケード黄金時代の伝説と真実…!


 この「内容」を読むと、「元『ゲーメスト』編集長が語る、ゲーメストの思い出」がまとめられた本だと思われるかもしれませんが(僕もそのつもりで買いました)、実際は、元ゲーメスト編集長の石井ぜんじさんが、ゲーメスト時代のことを思い出しながら、ゲームのことについて書いたコラム(『ゲームジャパン』に2009年5月号から、2011年9月号に掲載+『CONTINUE』に2001年3月から、2008年2月号に掲載分)と、当時の読者・関係者との対談、「高井商会」訪問のレポート、そして、「20世紀アーケードゲーム総覧」から成っている本です。


 コアなアーケードゲーマーではなく、対戦格闘ゲームにはほとんどノータッチだった僕にとっては、『ストリートファイター2』時代の『ゲーメスト』の盛り上がりというのは、「対岸の祭り」みたいな気分ではあったのですが(大学の同級生で「スト2留年」したヤツもいたな、そういえば)、僕より少し上の世代で、高校生くらいから「世間に白眼視されながら」ゲームセンターに通っていたという石井さんのコラムは、すごく懐かしいのと同時に「ゲームを語るには、こんな切り口もあるんだな」と感心してしまいました。
 あの時代、『ゼビウス』とか『マッピー』が全盛だった時代は「アーケードゲームが好き」っていうだけで、なんとなく仲間意識が生まれてきて、僕も中学校時代に某ゲームセンターで「警察が来る!」って知らない高校生くらいの人に言われて、同級生と一緒にトイレの窓から脱出した記憶があります。
 脱出後に振り返ったら、店の前に赤い回転灯がチラチラしていて、「助かった……」と。
 昔は「テレビゲームが好き」というだけで「仲間」だったけれど、いまは「テレビゲームなんて当たり前の趣味」になってしまって、「どのジャンル、どのメーカー、どのゲームが好きか?」というところまで一致しないと「仲間」にはならなくなったよなあ。


 ちなみに、この本のコラム、どれも石井さんの「熱さ」が伝わってくるのですが、けっこう濃厚で、読むのは大変です。
 『ゲーメスト』や、当時のゲーム業界、ゲーム雑誌の世界に興味がある人にとっては、この上ない読み物だと思うのですが、基礎知識がない人は、あまり面白がれないかもしれません。
 オールドゲーマーである僕にとっても、『CONTINUE』に掲載されていた分のコラムは、具体的なゲームの話というよりは、石井さんの「ゲーム哲学」「ゲームと人間についての考察」がメインで、続けて読んでいると、哲学書を読んでいるようで、ちょっとつらかった。


 僕には、「1980年代アーケードゲームの話」がいちばんの読みどころでした。
 石井さんのすごいところは、このコラムが2010年前後に書かれたものであるにもかかわらず、「現在からの視点」ではなくて、「当時の衝撃」に基づいていることなんですよ。

ゼビウス』が当時のプレイヤーに与えたインパクトは、カラーの画面がどんどん流れてくる、ということである。そんなの当たり前のこと、と思われるかもしれないが、当時はそんなことはなかった。一般的なビデオゲームの背景は黒い画面が多く、固定画面のゲームも多かった。極めて小さな箱庭で遊ばされている、という感覚がぬぐいきれなかったのである。
 そんな中に出現した『ゼビウス』は、カラーで描かれたフィールドが果てしなくスクロールして進んでくる、という画期的なシューティングであった・それまでのゲームなら、少し進めばすぐに地形のパターンが尽きてしまっただろう。しかし『ゼビウス』では、十分以上プレイしても同じパターンの地形は出現しない。それどころか進めば進むほど新たな土地が目の前に現れ、さらに海を越えていくとナスカの地上絵までが出現するのである。

 個人的に深い思い入れのある『魔界村』だが、客観的にはどこが素晴らしかったのだろうか。まず目を引くのが前述したホラー的な世界観であり、その表現を可能にしたグラフィックの力である。当時マニア人気の高かったナムコの作品は、パステルカラーでベタ塗りのグラフィックが多い。いっぽうで『魔界村』は絵の塗り方も均一でなく、陰影の濃いザラザラとした感触だ。しかしナムコとはまったく別のタッチでありながら、勝るとも劣らないクオリティとなっている。
 またゲームスタート時のマップ表示が素晴らしかった。これから進むステージが、最終面でつながった一枚の絵として描かれているのである。これによって、次にどんなステージが出てくるのだろうか、とドキドキされられるのだ。
 ではなぜ、『魔界村』以前はそのようなマップが少なかったのだろうか。それは面ごとの見た目の違いがあまりなかったため、過程の表示が必要とされなかったからだ。ここにはハードの性能が関係している。1985年にプレイヤーを熱狂させた『魔界村』と『グラディウス』は、どちらもステージの印象が面ごとに大きく異なっている。それによって、先に進むと新しい展開が待ち受けている、という気分にさせられるわけだ。だがそれ以前は容量の関係などで、ステージごとに新しい展開を作ることは困難だった。ハードの進化が、ゲームの進化を引き出したベースとなっていたのである。


 当時は、「これ、なんかすごいな!」とあまり深く考えずにゲーム画面を眺めていたのですが、あれから30年経って、「そうか、こういうところがすごかったのか!」と再確認させられたような気がします。
 いま、『ゼビウス』をはじめてみる子どもたちは、「古くさい」だけかもしれないけれど、僕たちのとっては、あれは「未来」が詰まった作品だったんだ。


 『魔界村』の攻略記事がきっかけになって、ゲームライターの世界に足を踏み入れ、妥協を許さない責任感の強さもあって、『ゲーメスト』の若き編集長として、「テレビゲームの時代」を駆け抜けた石井さん(でも、いまでもほとんど毎日、ゲームセンターに通っておられるそうです。筋金入り、とはまさにこのことか)。
 『ゲーメスト』は一時は『ファミ通』の次くらいに売れたゲーム雑誌となり、新声社はかなり儲かっていたのだとか。
 その後、経営者たちの無謀な拡大路線で、経営がうまくいかなくなり、結局、本丸である『ゲーメスト』も1999年に廃刊となってしまうのですが……

 少し脱線してしまったが、不夜城と化した編集部の活気が雑誌のクオリティ維持に貢献していたのは確かである。よい記事を作るという名目で暴走し続けるライターと、それを現実的な仕事に結び付けようとする編集者。そのせめぎ合いの密度は凄まじいものがあった。後に筆者がほかの出版社で仕事をしたときに、いちばん違和感を覚えたのは会話の少なさである。出社から退社まで自分の作業に没頭して、あまり編集者どうしが会話をしない編集部もある。しかしそれでは、複数の人間の意見がぶつかり合うこともなく、ベストの方法が模索できないはずだ。良くも悪くも、当時のゲーメスト編集部は24時間戦場であった。


 学生時代、「大学生になったら、東京へ行って、ゲーム雑誌でアルバイトをするんだ!」と友人と話していたことを思い出します。
 当時のゲーム雑誌の編集部の話を読むと、そこには「実現できなかった。もうひとりの自分」がいるような気がするのです。
 「テレビゲームをつくる仕事」なんて、親も世間も認めてくれないだろうな……という時代にゲームに出会った僕が、今こうして、「エンターテインメント産業の花形」として、一流大学を出た人たちが、内定を競っている時代をみると、まさに「隔世の感」がある。
 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった時代を経験している人には、今でも「仲間意識」を感じてしまうのですよね。


 そして、『ゲーメスト』といえば、「伝説の誤植」の数々!

 このコラムの「石井ぜんじを右に!」という名称は、「ゲーメスト」の有名な誤植「インド人を右に」というところからきている。これはもともと「ハンドルを右に」と表記すべきところが、なぜか「インド人を右に」となってしまった。

 ほんとこれ、知ってるのに、やっぱり笑ってしまいました。
 石井さんは「ミスを売りにするのは不本意なんだけど、まあ、それで記憶に残るのなら、エンターテインメントとしてはアリなのかな」と振り返っておられます。
 当時は本当に締切ギリギリで(というか、デッドラインをはるかにオーバーしながらも)、新しい記事を入れていたそうです。
 とはいえ、「インド人を右に」は、あまりにもすごすぎる。
 字の形をみてみると、間違えるのもわからなくはない……ような気がするけれど、ゲーム雑誌の記事なんだし、文脈的におかしいだろそれ……
 今となっては、これもまた良い思い出、なんですけどね。
 

 この本には、石井ぜんじさんと、『ハイスコアガール』の押切蓮介さんとの対談が収録されています。
 『ゲーメスト』の愛読者だったという押切さんが、こう仰っていたのが、なんだかすごく印象的でした。

押切:僕もまだまだ、ゲームを楽しませてもらおうと思っています。ゲームはもう生活の一部になっていますよ。この前、経済的に今後の人生プランを考える、みたいな機会があったんですよ。でもその時に「あなたは今後の人生で何がしたいですか?」ってプランナー的な人に言われた時に「ただ……ゲームをしたいです」って(笑)。


石井:(笑)。


押切:改めて、そうか、俺はゲームがしたいだけなんだって思ったんですよね。ゲームをするために生きているんだなって実感したんですよ。


 僕はここまで「筋金入り」のゲーマーではありませんが、人生にテレビゲームがあって、本当によかったと思っています。
 いろいろあるけどさ、好きなゲームを買えるくらいのお金と、それで時々は遊べるくらいの時間があれば、人生、それで合格点なのかもしれないな。


 おそらく、これを読んでいる人の97%くらいには、「まったく興味のない本」ではないかと思われますが、残りの3%にとっては、「自分のための一冊」になりうると思います。
 好きな人は「何を今さら」って感じなのかもしれないけどさ。

 

1989年のファミコン通信 (ファミ通BOOKS)

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