- 作者: 阿古真理
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/05/16
- メディア: 新書
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- 作者: 阿古真理
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/11/13
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内容(「BOOK」データベースより)
テレビや雑誌などでレシピを紹介し、家庭の食卓をリードしてきた料理研究家たち。彼女・彼らの歴史は、そのまま日本人の暮らしの現代史である。その革命的時短料理で「働く女性の味方」となった小林カツ代、多彩なレシピで「主婦のカリスマ」となった栗原はるみ、さらに土井勝、辰巳芳子、高山なおみ…。百花繚乱の料理研究家を分析すれば、家庭料理や女性の生き方の変遷が見えてくる。本邦初の料理研究家論。
食べるのは好きだけれど、作るということにかなり敷居が高い僕にとっては、「料理本」や「料理研究家」は、「よく見かけるけれど、あまり興味がない存在」だったのです。
でも、この新書を読むと、「料理研究家」というのは、単なる「料理が上手い人」ではなく、その時代をうつす鏡のような存在で、「女性と家事・家族との関係」を反映しつづけているのだな、ということが伝わってきました。
続く働く女性の時代に支持を集めたのは、それまでの料理の常識をくつがえすような時短料理を考え出した小林カツ代である。外食が日常化し、家庭料理にも変化を求める人がふえた平成の時代になると、数千レシピを提供する栗原はるみがカリスマ的な支持を集める。小林や栗原の人気の背景には、女性の生き方や価値観の大きな変化がある。
料理研究家たちが教えるのは、家庭料理である。彼女・彼たちが必要とされるのは、私たちの暮らしや食べたいものがどんどん変わり続けているからだ。人気となる料理研究家にはその時代に登場する必然がある。
また、彼女・彼たちの背後に人々は幸せな食卓を夢みる。しかし、現実はそう単純ではない。人気者の彼女・彼たちそれぞれの個人史を知ることは、その人自身を知るだけにとどまらず、背後にいる同時代の女性たちが何に悩み、何を喜びとし、何を守ってきたのかをうかがい知ることでもある。女性たちが中心になって支えてきた料理の世界に、21世紀に入ると男性の台頭が目立つようになる。中心にいるのは母が料理研究家だった二世である。彼らの登場は何を意味するのか。その事実も時代を象徴している。
このジャンルに詳しくない僕は、料理評論家の「時代による変遷」とか「個性」って、あまり考えたことがありませんでした。
とりあえず、美味しそうなものを、なるべく簡単でわかりやすいレシピで作ってみせる人だろう、というくらいのものです。
著者は、料理教室のルーツとして、明治時代、1882年に赤坂割烹教場(現赤堀料理学園)が誕生したことから語り始めます。
当初は「男が家庭でしっかり食べて、外で働けるように、家庭での料理を女性に教える」というコンセプトだったそうです。
明治時代になって、洋食が急速に普及したけれど、作る側は、洋食をどう料理して良いのかわからない。
そこで、若い主婦たちにそのやりかたを教えてくれるのが「料理評論家」だったのです。
太平洋戦争を挟んで、食材は増え、新しい料理も一般化し、人々の好みも多様化してきた。
経済的にも豊かになった日本人は「ちょっと手間がかかる家庭料理」を好むようになりました。
まだ専業主婦が多い時代で、「家族のために料理をつくるのが主婦の仕事」だと考えられるようになったのです。
その結果、かなり手の込んだ洋食を教えてくれる、ちょっと貴族的な料理評論家の時代がやってきます。
著者は、それぞれの時代の代表的な料理評論家の「ビーフシチュー」のレシピを比較しています。
黎明期の料理評論家は、すべての食材やソースを手作りする、時間のかかるレシピを紹介しており、顧客もまた、「特別なもの」を求めていたのです。
ところが、高度成長期が終わり、共働きがあたりまえになって、女性が家事をやるのが当たり前、という風潮に疑問が生じてくると、「手のこんだ料理」をつくることが難しくなってきます。
1968年、22万部のベストセラーとなった、評論家の犬養智子さんの『家事秘訣衆 じょうずにサボる法・400』(光文社)の「まえがき」には、こう書かれているそうです。
「これまでの家事の本には、あなたを働かせることばかり書いてありました。けれども、これはあなたの仕事を減らし、家事の近道を見つけるための本です」
「だんなさまは、オフィスで技術革新の波にさらされ、子どもたちも、あなたの知らなかった新しい知識を学んでいます。なぜ、あなただけ、おばあさん、おかあさんの時代からの家事の亡霊に悩まされなければならないのでしょうか」
「家事は、あなたと家族が快適に暮らしていくための手段であって、けっしてあなたの生涯の目的ではないのです」
著者は、「これは女性による女性のための『人権宣言』である」と述べています。
家事をやるのが当たり前、から、「家事というのは負担である」という考え方へ。
この新書を読んでいると、小林カツ代さんという人の影響力が、どんなに大きかったか、というのを思い知らされるんですよ。
NHKが2014年2月9日に放送した『ありがとう、ごちそうさま〜追悼・小林カツ代さん』では、アナウンサーらが時短料理が多かったと振り返る。
紹介するのは、『きょうの料理』からのピックアップで、野菜をちぎってフライパンに重ね、チーズをたっぷりかけてつくる「蒸し焼き野菜のイタリアン」、巻いた豚の薄切り肉を野菜と煮て「重ね豚肉ロール」と「春野菜のポトフ」と同時につくるといった、今や定番になったスピード料理を1980年代から次々に生み出している。
「家庭料理って臨機応変よ」と笑顔で言うなど、完璧でなくていい、というメッセージをいかに送り続けていたのかが改めてわかる。
番組に寄せられた投稿は、働く母だった人が「多忙を乗り切れたのは小林カツ代さんのおかげ」と伝える内容が目立つ。気負いが抜けた、基礎を教わったといった声が続く。彼女の後ろについて「今を乗り越えた」たくさんの女性がいたのだろう。
小林の考えが集約された本の一つが、『働く女性のキッチンライフ』である。
まえがきで「とにかく仕事を持ち続けていきたいというのであれば、少しでも良い方向に、らくな方向に持っていく方法論が、もっと論じられてしかるべきです。現実からかけ離れた理想を語るのでなく、働く女にとって、夫にとって、家族にとって、毎日の生活を少しずつでも良い方向へ持っていくための地に足のついた方法論を……」と実感に基づいて書き、「女一人がきりきりするのではなく、家族すべてが食を大切にする方向に持っていくことです」と続ける。
これを読んで、僕自身、家庭における「妻」とか「母親」の仕事の苛酷さに、ほとんど目を向けてこなかったのではないか、と考え込んでしまいました。
家事を「あたりまえ」のことだと思っているのは、「こちら側」だけなんだよね……
そして、小林カツ代という人が、「ひとりの料理評論家」であることを超えた「カリスマ」となった理由もわかったような気がします。
小林さんは、確かに、たくさんの人を救ってきたのだな、と。
小林さんのビーフシチューのレシピには、「缶詰のデミグラスソースを加える」という一節があるそうです。
多くの料理評論家は加工食品を使いません。というか、そんなの使うくらいなら、わざわざ料理本とか読まないのでは、と僕も思っていました。
しかし、小林カツ代は、手を抜きたい主婦の現実を見越したかのように、特に洋風の料理は、あっさりと市販品に手を出す。カレールウを使うカレーライスのレシピもある。トマトケチャップやトマトジュースは、小林のトマト味料理の定番材料である。
むしろ、「缶詰」であることが、小林さんのメッセージだとも言えるのです。
いやなんというか、すごい人だったんだな、と。
この本のタイトルにもなっている、もうひとりのカリスマ、栗原はるみさんの、こんなエピソードが紹介されています。
凝り性だから生まれるレシピ群。しかしそこには別の理由もある。先のNHKの番組で栗原は次のように語る。
「一番最初に私の料理をやって失敗しちゃったら、私のこと嫌いにならない? やっぱり料理って難しいと思わない? 裏切らないようにしたいなっていうことだけですね。あなたのレシピは信頼できる、それで料理が好きになったと言われたら、最高の私へのプレゼントですね」
強い自意識とも取れる発言は、熱狂的なファンをたくさん持つタレントとしての自覚に通じる。あたかもそれは皆に愛されるアイドルのようで、愛されるための努力を栗原は惜しまない。
栗原さんは、料理をするということを含めての、ライフスタイルを見せているところがあるのです。
料理そのものはもちろん、「料理をしている私」も、憧れの対象になっている。
「なるべく効率的にこなす、時短料理」だった小林カツ代さんと、「自分をアピールするための武器としての料理」の栗原さん。
ネットなどで「キャラ弁」を公開する人が増えているように、やり方によっては、家庭料理は「家族だけのもの」ではなくなってもいます。
それは、人によって、「やりがい」にもつながるでしょうし、「他のすごい人と比べられるのはつらい」と感じる人もいるのでしょうけど。
僕の知らなかった「料理研究家の世界」を教えてくれた新書でした。
これまで、彼女ら、彼らの著作を熱心に読んできた人よりも、僕のように「料理は食べるもの」だと思いこんでいる人たちにこそ最適な「入門書」だと思います。