琥珀色の戯言

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【読書感想】「絶筆」で人間を読む―画家は最後に何を描いたか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
あの有名な画家――
その最後の作品を知っていますか?


ルネサンスバロック印象派……もう、そんな西洋絵画の解説は聞き飽きた。知りたいのは「画家は、何を描いてきたか」、そして「最後に何を描いたか」。彼らにとって、絵を描くことは目的だったのか、それとも手段だったのか―。ボッティチェリからゴヤゴッホまで、15人の画家の「絶筆」の謎に迫る。


 僕はけっこう美術館や展覧会好きで、絵画にも「詳しいとはいえないが、興味はある」のです。
 有名な画家なら、代表作くらいは挙げられます。
 でも、「じゃあ、彼らが最後に描いたのは、どんな絵?」と問われると、答えに詰まってしまう。
 ピカソゴッホでさえも。


 「人の将に死なんとする其の言や善し(人のまさに死なんとするその言やよし)」という言葉が伝わっています。
 「人が死の間際に言うことには、真実がこもっている」というような意味なのですが、この本を読んでいると、それぞれの画家の最後の作品(=絶筆)は、必ずしも名作ばかりではない、ということがわかります。
 というか、全盛期の作品に比べると、ちょっと……とか、どうしてこうなってしまったんだ……という作品も、少なからずあるのです。
 素人目線でみても、活気みたいなものが失われていることもある。
 「絵を描く」というのは、そんなに力も要らず、年を重ねれば上達しそうなものなのだけれど、体力や創造力などの「総合的な人間力」みたいなものが問われる作業であり、その力は、ピークを迎えたあとは落ちていくのです。
 早熟型、晩成型というのはあるし、絶筆のつもりで描いたつもりではなかったのに、画家が急病で突然亡くなってしまったため、「結果としての絶筆」になってしまった場合もあって、「絶筆」=「集大成」というわけでもない。


 漫画『ブラック・ジャック』で、難病におかされた画家が、最後の大作を描きあげた直後に亡くなる話があるのですが、そういうケースは、まず考えにくい。
 それはある意味「絵を描く」というのが、いかにハードなことであるかの証拠なのです。


 そして、これを読んでいて痛感するのは、「芸術家が自分の好きな作品をつくれる時代」というのは、人間の歴史のなかで、ごくごくわずかな期間でしかなかった」ことです。

 画家は何を描いてきたか、そして最後に何を描いたか。これはある意味、何を描かざるを得なかったか、ということに通じます。つまり近代以前の画家は、必ずしも自由に好きなものを描けたわけではありません。注文を受けてから描くのがほとんどなので、いわば客の体型に合わせたオーダーメイドの仕立てが必要でした。


 『春』『ビーナスの誕生』で、当時としては瑞々しく、艶かしい女性の絵を描いたボッティチェリ
 僕もフィレンツェの美術館で作品をみて「教科書でみた絵だ!」と感動した記憶があるのですが、ボッティチェリの晩年は、スポンサーだったメディチ家の没落と修道僧サヴォナローラ神権政治、そしてサヴォナローラの失脚に翻弄されました。

 サヴォナローラの時代は短かった。極端な禁欲はフィレンツェ人の性に合わず、言動が極端だとしてローマ教皇からも破門されたこの狂信家は、「虚飾の焚刑」の翌年には処刑されてしまう。
 ところがボッティチェリへ及ぼした影響は長く深刻だった。彼はサヴォナローラの言う「肉欲の美を煽った画家や文学者は悪魔の手先」という言葉を忘れなかった。このドミニコ会修道僧の教えと接して以降のボッティチェリ作品からは、みごとに優美と抒情が抜け落ちる。彼はもはや見る人の目を楽しませようとはせず、教化を目的に絵を描いた。人物の身体は生硬となり、色彩の艶は褪せ、官能は雲散霧消し、あれほど美しかった衣装の繊細な襞(ひだ)は省略される。ボッティチェリではなくなってしまったのだ。

 徹底した禁欲を説いたサヴォナローラの思想に心酔したボッティチェリは、サヴォナローラの処刑後も、その思想的影響から逃れることができなかったのです。
 ここで、ボッティチェリの絶筆として紹介されている『誹謗』という作品の女性のあまりの「素っ気なさ」「硬質さ」には、思わずため息が出ました。
 晩年のボッティチェリは、ボッティチェリではなくなってしまったのです。
 彼自身は、それが「正しいこと」だと思っていたのだろうけど。


 この本では、採りあげられている画家たちの生涯や当時の評判なども紹介されています。
 これが、なかなか面白い。
 ルーベンスという画家については、こんな話が。

 画家で外交官で経営者、どれも大成功――この空前絶後ともいうべき存在に、驚嘆しない者はいないだろう。おまけに作品の評価も売買値も人気も、生前から現代に至るまで全く変わらない。もちろん陰口はある。「肉屋のルーベンス』だの「芝居がかった絵」だのと……。
 前者は、彼の描く女性ヌードに「お肉」がたっぷり付いているとの揶揄である。メタボに見えてしまうが、ルーベンスの好みだから仕方あるまい(逆に彼が現代日本の若い女性を見れば、栄養失調と誤解するだろう)。とはいえ当時の異国人にとってもルーベンスの美女はやはり少し肥えすぎだったらしく、それを揶揄された彼がこう言い返している、「フランドルの女は餌が違う」。
 後者に関しては、そもそも殊更にドラマティックな場面を作品化したからだ。たとえば愛と死が主たるテーマのオペラに対し、もっと自然に、と言ってみたところではじまらないのと同じだ。全てを歌で表現するオペラは、人工の極みの芸術であって、「こんにちは」「さようなら」までメロディが付き、自然らしさを拒否したところで成り立っている。ルーベンスの、いかにも大仰で芝居がかった表現もまた、オペラの絵画化と思えば納得がゆく。時代が要求したのだ。貴族的趣味がこれだった。だからこそ彼は「王の画家」、正確には「王侯たちの画家」なのだ。


 ルーベンスは、亡くなるまで、順風満帆な人生をおくった、数少ない画家だったそうです。
 しかし、あの『フランダースの犬』を思い出すと、「こんな生臭い画家の絵を見たいとネロは願いつづけ、その絵の前でパトラッシュと死んでいったのか……」とか、感慨深いものもありますね。
 その絵『キリスト昇架』もこの新書に収録されています。
(ちなみに、『フランダースの犬』は、フィクションです)


 また、ミレーについての、こんなエピソードも。

 アカデミック絵画を好む人々からの攻撃も強かった。彼らの考える美の概念に、土を耕したり鳥に餌をやる農民、じゃがいも畑で祈る夫婦や貧民の食卓風景は含まれていない。
 ミレーの代表作『落穂拾い』は、「貧困の三女神」と揶揄された。


 それはひどい……
 同時代の人の感覚というのは、そういうものだったのです。
 だからこそ、ミレーの題材への衝撃や違和感は、いま、僕が『落穂拾い』を見たときよりも、はるかに大きかったはず。


 こんなふうに「偉人としての画家」だけでなく、当時の人からどう見られていたのか、とか、作品の年齢に伴う変遷もまとめられている、なかなか興味深い新書でした。

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