琥珀色の戯言

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【読書感想】赤ヘル1975 ☆☆☆☆☆

赤ヘル1975 (講談社文庫)

赤ヘル1975 (講談社文庫)


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赤ヘル1975 (講談社文庫)

赤ヘル1975 (講談社文庫)

内容紹介
一九七五年――昭和五十年。広島カープの帽子が紺から赤に変わり、原爆投下から三十年が経った年、一人の少年が東京から引っ越してきた。
やんちゃな野球少年・ヤス、新聞記者志望のユキオ、そして頼りない父親に連れられてきた東京の少年・マナブ。カープは開幕十試合を終えて四勝六敗。まだ誰も奇跡のはじまりに気づいていない頃、子供たちの物語は幕を開ける。


 文庫だと600ページをこえる、かなり分厚い本なのですが、一日で読み切ってしまいました。
 「一気読み必至の、のめり込む小説!」というわけでもないんですけどね。
 むしろ、一章ずつ、寝る前に読んで、1975年の広島カープが優勝に近づいていく様子をじっくり追っかけていったほうが良かったのかもしれません。
 基本的には、中学生の友情物語なのですが、中学生たちの「物語」そのものは、そんなに目新しいものではありません。ありきたりの「転校生と地元の子どもたちの友情物語」でしかない、とも言えるのです。
 しかしながら、この『赤ヘル1975』の主役は、当時のカープであり、カープの予想外の躍進に戸惑いながら熱狂していくカープファン。
 初優勝した1975年の広島の街の様子や人々とカープとの関係、ペナントレースでのカープの試合ぶりなどが、丁寧に描かれていて、そのディテールを追体験していくのが楽しくて引き込まれていきます。
 1975年の初優勝には間に合わなかったものの、物心ついた1970年代の後半に広島に住んでいて(とはいえ、僕が住んでいたのは、原爆の被害を直接受けたわけではない福山市だったんですよね。福山の話も作中に少し出てきます)、「カープ初優勝後」の雰囲気を体験してきた僕には、とても懐かしい空気をまとった小説でした。
 1975年って、まだ原爆投下から30年しか経っていなかったのだな、とあらためて思いつつ。
 僕が広島(福山)に住んでいたときも、毎年8月6日に全校集会が行われ、被爆者の体験談を体育館で聞いていたのを覚えています。
 ただ、この小説を読んでいると、広島市内と原爆の被害を直接は受けなかった福山では、同じ時期でも、原爆に対する向き合い方が、けっこう違っていたように感じました。
 それとも、引っ越してきた「よそ者」だった僕には、みんな心を開いて話してくれなかったのだろうか。
 「ふるさとの街やかれ身よりの骨うめし焼土(やけつち)に」という歌を8月6日に歌いながら、原爆に対する怒りというよりは、「ああ、なんか気が滅入るなあ、これ……」と限りなく憂鬱になっていた記憶だけが残っています。
 この物語のなかでは、「原爆」だけが特別なのか?という問いもなされているんですけどね。
 原爆は「特別」であるがゆえに、戦後、医療などの補償の対象になりました。
 ところが、他の空襲などの犠牲者の多くは、そうならなかった。

 広島カープは弱かった。
 1949年の設立から1974年までの25年間で、リーグ3位以内のAクラス入りを果たしたのは、1968年の1回のみ。最下位に沈んだのは8回を数え、しかも、1972年から1974年——昨年のシーズンまでは3年連続最下位という体たらくだった。
 弱いだけでなく、貧乏でもあった。

 選手の給料の遅配はしばしばだった。遠征に出ても旅館に泊まるお金もない時代もあった。選手たちは親戚や知り合いの家に泊まって、球場に向かっていた。遠征の夜行列車の中の雑魚寝はあたりまえだったし、甲子園球場の中に泊まったこともある。
 なんとか宿泊費が捻出できるようになっても、もちろん贅沢はできない。あるとき、たまたま別の球団と同じ旅館に泊まったカープの選手は、仲居さんが運ぶ夕食のお膳を見て色めき立った。皿にはトンカツが載っていたのだ。だが、そのおかずは別の球団の選手のもので、カープの選手の皿には、いつものようにニシンの塩焼きが一尾載っているだけだった、という。


 この小説は、「反戦小説」というよりは、読んでいて、その思い入れが伝わってきて息苦しくなるくらいの熱さで、広島カープという球団に愛着を抱き続けてきた広島市民と、1975年に起こった「奇跡」を描いているんですよ。
 僕は、このペナントレースの「結末」を知っているはずなのに、読みながら、何度も「カープがんばれ!」「外木場、なんとか踏ん張ってくれ!」と心の中で呟いていました。
 外木場さん、ノーヒットノーランをやった直後に、記者に「なんだったらもういっぺんやってみせましょうか」って言ったというエピソードもあるそうです。
当時のピッチャーは、中2日、3日で先発したり、先発の翌日にリリーフしたり(この年の外木場さんは、基本的には先発だったようですが)、今ではありえない「酷使」をされていました。
 外木場さんがもし巨人とか阪神にいたら、もっと全国区の「伝説」になっていたのではなかろうか。
 1975年にカープが優勝したときには、ローカル球団の優勝ということで、全国的にはあまり大きく採りあげられなかったそうです。
 今年の優勝も、もうちょっとスポーツニュースで長く扱ってほしいくらいだったのですけど、それでも、当時よりはだいぶマシにはなっているんでしょうね。
 今回のリーグ優勝の瞬間も、もともと中継予定だった試合とはいえ、NHKで全国放送でしたし。


 本拠地のマツダスタジアムは毎試合超満員で、全国に「カープ女子」がいて、黒田投手には6億円の年俸が払われている(黒田さんは、それにふさわしいプレイヤーであることを、見事に証明してくれました)、今の広島カープは、昔の「カープ」とは、別物になってしまったような気もしますし、だからこそ、25年ぶりの優勝を成し遂げられたのだと思います。
 でも、やっぱり、カープは、広島の人たちの歴史そのもの、なのです。

 赤字続きの球団存続のために、有力選手の獲得や引き抜きのために、市民は何度も募金活動をした。カープの後援会ができたばかりの昭和20年代には、郵便物に封をする糊すら買えずに、郵便局の備品を拝借していた。若手が寝泊まりしていた寮では、球団から支給される食費のあまりの乏しさに、大家さんが庭の石灯籠や広間のオルガン、さらには家具や着物まで売り払って、選手に肉を食べさせた。雨天中止でノーゲームになっても入場券の払い戻しはなく、ウグイス嬢が「皆さまの貴重な入場料は、カープの強化資金にさせていただきます。ありがとうございました」と場内アナウンスをして終わり。そういうことには苦情を言わない太っ腹なファンなのに、試合中に相手チームの7回の攻撃を「ラッキーセブンの攻撃は……」とアナウンスすると、「おんどりゃあ、敵の応援するんか!」と鬼の形相でウグイス嬢に詰め寄るのである。


 優勝が決まる前には、惜敗に逆上した観客がなだれこんできて相手チームの選手が怪我をし、翌日の試合が中止になってもいるのです。
 僕が生まれたあとでさえ、そんな観客総フーリガンみたいなチームだったのか、カープ……


 綺麗事だけじゃない、当時の雰囲気が、ものすごく鮮明な記憶で描かれているんですよ、この作品。
 重松清さんの小説、僕は「あまりにも上手すぎて、ちょっと苦手」なところがあるのですが、この『赤ヘル1975』は、重松さんの取材力と描写力の凄さを思い知らされます。


 優勝パレードに集まった多くの人々が「遺影」を掲げていた、なんていうチームは、たぶん、今後も出てくることは無いでしょう。
 カープファンなら、野球ファンなら、ぜひ読んでみていただきたい小説です。
 なんで野球ファンというのは、あんなに贔屓のチームにのめり込むのか理解できない、という人にも。

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