琥珀色の戯言

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【読書感想】市川崑と『犬神家の一族』 ☆☆☆☆

市川崑と『犬神家の一族』 (新潮新書)

市川崑と『犬神家の一族』 (新潮新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
生誕百年を迎える、日本映画界の巨匠・市川崑。その作品は現在も色褪せない。『ビルマの竪琴』『黒い十人の女』『炎上』『東京オリンピック』『細雪』など、実に多彩なジャンルの名作を撮り続けたその監督人生をたどり、“情”を解体するクールな演出、襖の映り方から涙の流れ方まで徹底的にこだわり抜いた画作りなど、卓抜な映画術に迫る。『犬神家の一族』の徹底解剖、“金田一耕助石坂浩二の謎解きインタビューも収録。


 子どもの頃、テレビで『犬神家の一族』を観たことがあるのですが、記憶に残っているのは、湖にさかさまに刺さっている人の姿と、白い覆面を被った男「スケキヨ」くらいなんですよね。
 「日本映画の金字塔」と称されることもあるという、この作品なのですが、詳しいストーリーは、あまり覚えていないのです。
 この新書を読みながら、「先に『犬神家の一族』(1976年版)をもう一度観ておくべきだったか……」と、けっこう後悔してしまいました。
 あるいは、この本のなかで紹介されているシーンをDVDで確認しながら読む、とか。


 著者は、巨匠・市川崑監督の歩みと作品を振り返っていきます。
 市川監督はアニメーター出身で、かなりコンテの段階から作り込むタイプだったそうです。

 ここに、一枚の絵コンテがあります。
 これは『帰ってきた木枯らし紋次郎』(1993年)という、『木枯らし紋次郎』の続編の市川崑監督直筆の絵コンテです。これを見てもらうと、彼のこだわりが凄く分かる。
 構図を細かく決めているということと、ディテールにこわわっていることです。よく見ると、紋次郎は口に楊枝を絶えず差している。楊枝の向きとか角度とか、振り向いた時に一枚の画の中で楊枝がどこにあるかとか、それも全て指定してある。
 もう一つ特徴的なものがあります。それは、色が塗られていることです。実写映画の絵コンテに色まで塗る監督は、同じく画家志望だった黒澤明などわずかしかいません。
 この絵コンテを見てみると、たとえば背景の柱に色がついていて、その一部の色がにじんでいるのが分かります。このにじみも、実際にセットで柱を作る時に、「こういう色味でやってくれ」「ここに汚しを入れて」という指定なのです。C-9やC-17もそうです。背景に関しても、「グレーがかった色味でやろう」とか、絵コンテの段階で色を細かく決めている。


 監督というのは、ここまでのことを自分で決めているのか、この本を読んで驚かされました。
 市川崑監督の場合は、公私ともに不可欠なパートナーであった、脚本家の和田夏十さんの力も大きかったようです。
 そういえば、黒澤明監督も「作り込み伝説」をたくさん持っていた人でした。

 
 著者は、市川崑監督は「情」がつくものの全てを徹底的して客観的に解体していった、と述べています。

「泣かせの芝居」をするシーンでも、それは同じです。
 たいていの監督は、役者の芝居を正面からじっくり撮って、観客に感情移入させて泣かせようとします。でも、市川崑は違った。そういう場面でカメラを引いたり、茶化しているようなカットを挿入したり、ツッコミのようなセリフを外側から入れたり。どこまでも客観的というか、クールな目線で捉えて、観客が「ここで泣きたい」という場面で「そうはさせないよ」と言わんばかりに突き放してくる。「情に訴える感動」とさせないというのが、市川崑の美学でした。
 具体的に言いますと、「泣かせよう」とか「人物の感情をしっかり見せよう」と思ったら普通ならカメラは寄っていくわけです。寄って、その人の表情を見せる。ところが市川崑の映画は驚くぐらいに、感情が高ぶる場面で寄りのカットがない。

 代表的なのは『ビルマの竪琴』。主人公の水島上等兵は死んでいった兵士たちを弔うため、戦友たちが帰国しようとする中、自分一人だけ僧としてビルマに残る。二人(市川崑和田夏十)はこれを美談として描いていません。むしろ、水島の行動を客観的に突き放しています。そして、水島が最後に採った「現地に残る」という選択に対して疑問を呈しているのです。
 仲間から「水島、日本へ帰ろう」と言われても、水島は残ります。そしてラストで水島が家族に宛てた手紙が読まれます。そこには、現地に残る水島の想いがつづられていました。ここで終われば、感動的な美談です。しかし、この夫婦はここで終わらせない。
 和田夏十は最後にナレーションを創作し、しかも、それを水島に最も興味がなかった兵士(内藤武敏)に読ませることで、水島の行動を冷たく突き放す。
「私が考えているのは、水島の家の人があの手紙を読んでどう思うかということです」と。つまり、最後のところで「あなたがやったことって身勝手なことではないですか。あなたの帰りを待っている家族は悲しむよ」とひっくり返している。観客はそれまでのシーンでの水島の行動に泣かされるのですが、最後になって「どっちがよかったんだろう」と、あらためて問いを突きつけられてしまう。

 
 著者は、市川崑監督を「『日本的ではない技法』で『日本』を描こうとした監督だった」と述べていて、この本を読んでいると、精神的にも技術的にも、たしかに、そういう人だったのだな、ということが伝わってくるのです。
 そして、市川崑監督の成功には、和田夏十さんの力が大きかった、ということも。


 そんな市川崑監督の映画の撮りかたも、和田夏十さんを病で失い、時代が変わっていくとともに難しくなってしまいました。
 後年の『犬神家の一族』のリメイク版の撮影のことを、石坂浩二さんが、こう振り返っておられます。

石坂浩二監督は足が悪かったんですけれども、それでも「ここでこうなってな」とか言うんですけれども、俳優がその通りにできない。それで結局は監督が、「じゃあいいや」と。そういうものが随分とあったんです。


春日太一(著者):そこのところが粘り切れなかった……。


石坂:監督が粘り切れなかったのは、時間的な問題もありました。昔はもっとスケジュールが皆さん豊かだったのですが、最近はスケジュールが非常にタイトなので、「何時までにあげなあかん」というので、いちいち起こってられない。
『悪魔の手鞠唄』かな、ある俳優さんが『お昼までに終わらないといけない』ということがあったのですが、簡単に撮れちゃうようなシーンだったのでスタッフもその事情を監督には言わなかったんです。でも、ちょっと引っかかりができて、「じゃあこの後は午後」と監督が言った時に、「実は○○さんは午前中までです」と初めて監督に伝わった。すると監督がめちゃくちゃ怒り出して。「わしにここまでに撮らせると決めてんのか! おまえらが! わしゃ帰る」と帰っちゃいまして。そのくらいかつては「スケジュールは空けておく」というのが当然のことだったんです。

 
 映画監督にも、やはり、「体力」というか「集中し続ける力」みたいなものが必要なのだなあ、と。
 年齢的に体力がもたなくなってしまったというのと、役者さんたちにとって「映画がいちばん」ではなくなったこと。
 いまの時代の映画の撮り方というのは、昔とは、違ってきているのです。
 市川崑監督は、長生きして、ずっと映画を撮り続けてきただけに、その変化にも直面しなければならなかった。


「昔の日本映画はすごかった、という人がいるけれど、それって、単なる懐古主義なんじゃない? なんかピンと来ないんだけど……」
 そう思う人は、これを読んでみてください。
 「とにかくすごい!」という主観的な称賛ではなくて、技術的な解説も含め、「どこが凄いのか」をちゃんと説明してくれる本だから。

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