琥珀色の戯言

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【読書感想】もういちどつくりたい テレビドキュメンタリスト・木村栄文 ☆☆☆☆

内容紹介

水俣、炭鉱、そして愛娘。「美しく哀しい」作品を撮り続けた名ディレクターの「業」に、ただただ圧倒された。――重松清(作家)》


《「昔、男ありけり」。男の名は、木村栄文。九州博多より出て、賞獲り男の異名を取り、テレビ業界に勇名を馳せた伝説の男。これはNHKディレクターからの熱烈ラブレターである。――原一男(映画監督)》


《ライバル局NHKの鋭敏なディレクターによって評伝を上梓されるなんてね、エイブンさん、あの世でアッカンベーして歓喜しているに違いない。――金平茂紀(TBS「報道特集」キャスター)》


あなたは、キムラエイブンを知っていますか?
福岡RKB毎日放送のディレクターとして、「苦海浄土」「あいラブ優ちゃん」など多数の話題作を三〇年にわたり送り出し続けた「テレビ界の革命児」。突然の難病で身体が動かず、声も出せなくなった。そのとき――。


「ドキュメンタリーは創作である!」と宣言した伝説のドキュメンタリスト、キムラエイブン。パーキンソン病と闘いながら撮った最後の一本とは? 同業者である著者が「共犯者」となって人生を追った感動ノンフィクション。

 地元のテレビ局のディレクターの評伝ということもあり、この本、博多の大型書店で平積みにされていました。

 福岡の民間放送RKB毎日放送の名物ディレクター木村栄文。通常エイブンさん。1970年代初頭から2000年代の初頭まで足かけ30年にわたり、福岡の地から日本のテレビ・ドキュメンタリーの第一線を牽引し続けた巨星である。
 彼のスタイルは決してオーソドックスではなかった。むしろ反逆的異端児といっても差し支えないだろう。「事実を描写する」はずのドキュメンタリストでありながら常日頃、「ドキュメンタリーは創作である」と言い切っていたのだから。


 木村栄文というテレビディレクター、僕はこの本を読むまで知らなかったのですが、独自のドキュメンタリーの手法で、次々と「問題作」を送り出した名物ディレクターだったそうです。
 この本のなかで、その「代表作」は、こんなふうに紹介されています。

 番組は、筑豊ボタ山の航空撮影で始まった。その山頂にポツリと座っているひとりの男が映し出される。ヘルメットにツルハシ。閉山によって職を失った炭鉱夫のようにも見える。いとも不思議な映像だった。 
 そこにヘリコプターで仰々しく乗りこんできたテレビレポーターが歩み寄る。
「ちょっとお伺いいたします。RKB毎日放送のものでございます。このあたりずっと取材してまわっているんですけど」
 どうやら、筑豊炭田の落日の様を取材しているようだ。レポーターは男に対して問いを投げかける。
「炭鉱の古い話を、ちょっと、お伺いしたいと思っているわけですけれども」
 男のリアクションがふるっていた。質問にまともに答えるどころか、なんと持病である自らの痔の話を延々としだしたのだ! 期待していた答えが得られず、すっかりうなだれたレポーターは、「当たり障りのない応答としてその場を立ち去ろうとしていた。
「あのー。ちょっと急ぎますんで……、また来ます」
 また来ます――話を体よく切り上げようとするときに使用する我々取材者の常套句である。その場にまた来るつもりがないことは、明白だった。ヘリコプターに乗り込んだレポーターは、もはや炭鉱夫に一瞥もくれることなく猛然とその場から飛び去り、ひとり残された男はローターが巻き起こした風をまともに受け、ヘルメットを飛ばされないように頭を抱えながらうずくまるのだった。
 さらに衝撃は続く。遠賀川の支流沿いの小道でさきほどのレポーターが再登場し、今度は炭鉱で働いているとおぼしき女性に近づき、マイクを突きつけ、閉山問題について質問を試みる。


(中略)


 眼鏡をかけた痩せぎすのレポーターの風貌には見覚えがあった。それもそのはず、木村栄文そのひとだったのである。こんな形でディレクターがテレビに登場するのは、後にも先にもこの番組くらいだろう。
 エイブンさんはエネルギー政策の転換により閉山を余儀なくされた筑豊地方の炭鉱の現状をドキュメントしようとしていた。
 テーマそのものは、当時の時代背景を考えれば決して目新しいものではない。しかし、エイブンさんのとった手法は世間をアッと驚かせた。ドキュメンタリーというのに、出演するひとたいの大半が玄人、つまり俳優だったのだ――。
 冒頭の炭鉱夫は、常田富士男である。落盤事故で死亡したが、成仏できずに筑豊の炭鉱の跡地を彷徨い歩く亡霊という設定のようである。やはり夫に先立たれ、女ひとり炭鉱で生きる筑豊の女性の役は女優の白石加代子が演じている。エイブンさんを突き落したのは彼女だった。
 エイブンさんは、紋切り型の質問を繰り返し、ステレオタイプの筑豊像を高みから描こうとする典型的な「テレビレポーター」を滑稽さをもって演じた。自らを戯画化し、パロディーにして提示することで、筑豊に生きる地元の人々の側の目線から、メディアを痛烈に皮肉ろうとしたのだ。


 これは、1973年制作の『まっくら』という「ドキュメンタリー」なのだそうですが、これを読んで、僕は面食らってしまいました。
 これを「ドキュメンタリー」と呼んでも良いのでしょうか?
 演じているのは、役者さんたちだし……
 ドキュメンタリーって、もっとこう、集めてきた素材をそのまま生かすような番組であって、これはあまりにも、木村さんが加工しすぎているのでは……
 これは「ドラマ」ですよね、むしろ。
 

 著者は、この『まっくら』について、こう評しています。

 ドキュメンタリー制作では、時として、事実を羅列するだけでは、その深層を描ききれないというジレンマがある。そこで、エイブンさんはあえてドラマ的要素を入れることで、人々の心の懊悩をもしっかりと見つめようとしたのだ。エイブンさんの映像世界では、現実と虚構が入りまじり、各人が各様にふるまいながらも、人間模様が細やかに織りなされていく。
 独自の映像表現は他の追随を許さず、唯一無二のドキュメンタリーが確立されていた。
 九州にキムラエイブンあり――。


 木村さんは、こういった「作品」で、芸術祭のドキュメンタリー部門の大賞二回など、さまざまな賞も受け、「賞取り男」ともいわれていたそうです。
 九州の地方局にありながら、非常に高く評価されていたのです。


「こういうのは、ドキュメンタリーを逸脱しているのではないだろうか……」というのが、僕の率直な印象ではあるのですが、木村さんは、確固たる信念をもって、こういうドキュメンタリーを撮っていたようです。
 人の手でつくられる以上、「完全に客観的なもの」にはならない、と木村さんは考えていたのです。
 ありえない「客観性」に縛られて曖昧なものをつくるよりは、自覚して「演出」を加え、伝わるように努力するべきではないのか、と。


 たぶん、現在、2016年の視聴者にとっては、これって「やりすぎ」「やらせ」だと思われる可能性が高いと思います。
 僕も「これはちょっと」と感じました。
 ただ、木村さんが活躍されていた1970年代では、このくらいの「表現者たちの自己主張」は、前衛的だと評価されていたんですね。


 木村さんは、知的障害をもって生まれた自分の娘を題材に『あいラブ優ちゃん』というドキュメンタリーを撮り、自らのパーキンソン病との闘病もドキュメンタリーにしています。
 僕はこれを読んでいて、「いくらなんでも、そこまでやるのか……」と圧倒されてしまいました。
 木村さんにとっては、自分や家族も「撮影対象」であったのです。
 それと同時に「記録することが、感謝すること」でもありました。
 愛するドキュメンタリーというものに「殉教」した人のようにさえ、思えるのです。

「昔からドキュメンタリーは『作りもの』だと思い、ひとにも言ってました。だからドキュメンタリーとドラマをどこで区切るかというのは自分でもおぼろなんです。意識の中ではまるで違和感がない。役者を使わないドキュメンタリーがリアルかというと、そうでもないと思っています」
 1994年にNHK衛星放送で五夜連続でエイブンさんの特集が組まれた際に、彼はこんなことを言っている。
「自分の気持ちを描いているのであり事実を描こうと思っていない。編集自体が創作で、加工している。だから、絶対に事実というものの表現ではない。客観性の神話なんてあり得ない」
 私がNHKで諸先輩から教わったこととずいぶん違うエイブンさんのドキュメンタリー論だった。
 ドキュメンタリーとは創作である――これが、エイブンさんの一貫した考え方だった。


 頷けるところもあり、そこまでやらなくても……と思うところもあり。
 ただ、これほど「正直」なドキュメンタリストが、日本に、九州にいたのです。


記者たちの日米戦争

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