琥珀色の戯言

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【読書感想】新・リーダー論 大格差時代のインテリジェンス ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
累計50万部突破、『新・戦争論』『大世界史』に続くシリーズ第3弾!新自由主義と格差の拡大、トランプ現象と英国EU離脱をもたらしたポピュリズム…歴史の転換期を迎える今、必要なリーダーとは?


 池上彰さんと佐藤優さんの対談本。シリーズ第3弾です。
 今回のテーマは「リーダー論」。
 11月8日にアメリカ大統領選挙が行なわれるということもあり、「いま、世界はどんなリーダーを必要としているのか?」が、あらためて問われています。

 お二人は、「一般市民がエリートを信頼しなくなったこと」と「エリートも自信を失っていること」を指摘しています。
 その一例として、裁判員制度に苦言を呈しておられるのです。

佐藤優現在、エリートは、自分自身に対する自信を喪失する一方で、社会に対する責任も放棄しています。日本の裁判員制度がその典型です。
 日本の司法試験は難しい試験で、検察官や裁判官になるエリートを選び出し、起訴されたら99.9%が有罪になる。いわば完璧に近い制度で、この司法制度には何の問題もないはずです。要するに、裁判員制度など必要ありません。
 にもかかわらず、なぜ裁判員制度を導入したのか。私に言わせれば、死刑判決を言い渡すのが怖いからです。一般の市民にその責任を押し付けようとしている。しかし、裁判官はかなりの高給取りですから、彼らの職務怠慢としか思えません。


池上彰裁判員制度が導入されて7年が経ちましたが、現在、どうなっているかと言えば、裁判員の専任手続きへの出席率が年々低下しています。裁判員候補に選ばれても約4割の人が手続きに応じていません。これでは、制度がきちんと機能しているとは言えない。


佐藤:国民には裁判を受ける権利はあっても、裁判員になる義務はない。さらに言えば、本来、憲法を改正しなければ、裁判員制度など導入できないはずです。徴兵令と同じで、罰則まであるからです。
 民主主義は、エリートの責任感と国民のエリートへの信頼感によって支えられるものなのに、民主主義の基盤が崩れかけています。


 エリートへの信頼感は失われているのだけれど、自分たちではどうしていいのかわからない。
 誰がやってもどうせロクなことにならないのなら、あの偉そうにしているエリートたちの既得権益をぶち壊してやろう。
いまは「壊す人」に票が集まって、結局何もつくれないまま、問題が先送りにされてしまうのです。
 もしくは、とにかく決められる人を選ぶ、ということで、独裁的な政治家が支持を集めていく。
 これは、日本だけではなくて、世界的な傾向のようです。
 お二人は、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領を例に挙げて、「民主主義のゆらぎ」を説明しています。


 佐藤優さんは、「SEALDs(シールズ:自由と民主主義のための学生緊急行動)」について、こう仰っています。

佐藤:「シールズは新しい運動だ」として持てはやす向きもありますが、むしろ新自由主義のマーケットメカニズムに似た組織だと思います。
 はっきりとした組織をつくらないから責任主体が不明確です。率直に言って、偏差値がそれほど高くない大学の学生たちの運動で、集会に行くことで、普段は出会えることのない有識者と知り合いになれる。マスメディアに自分の名前が出る。それによって、通常の入学試験を経ては合格できないような大学院へのパスポートも手にできる。指導部の何人かは、一橋や早稲田の大学院に入れるようになる。そういうことが一応決まったところで運動を解散するわけでしょう。
 これでは、FX取引に参加して、儲けた分だけ取って逃げていく新自由主義的なビジネスモデルとそっくりです。

 まあ、この見方に対しては、活動していた人たちが「プロ市民化」して、時代に合わない「活動のための活動」で先鋭化していくことに比べたらマシな気もするし、現状では有名大学の大学院には、そんなに魅力がないような気もするんですけどね。
 結果的に、一部の「指導者」たちだけが、美味しいところを持っていった、というところはあるのだとしても。


 いまの政治では「わかりやすい敵をつくるという手法」が蔓延しています。

池上:トランプと橋下徹は、似ている部分がある。
 橋下は、大坂の子供たちの学力が低いのは学校の先生のせいだ、教育委員会のせいだと言ってバッシングする。そうやって、わかりやすい敵をつくる。実はその背後には貧困の問題があるのに、そこには目を向けず、「先生が悪いんだ」と非難する。言われた以上、先生たちも必死になり、多少は学力が上がったりもするのでしょうが、明らかに本質ではないところに敵をつくり出してバッシングすることで人気を得る、という形を取っている。
「トランプがアメリカ大統領になるのがいいことか悪いことか」とゲストに訊ねるテレビの番組で、「日本にとってはとんでもないことだ」と皆が答えているのに、ただ一人橋下徹だけが「日本にとっていいことだ」と答えていました。「日本の独立について改めて議論するきっけかになるから」「駐日米軍がいなくなったらどうするのかということを私たちが真剣に考えるきっかけになるから」というのです。トランプの発想と大変似ています。


佐藤:「米軍駐留をやめる」などと発言するトランプが、真面目に考えていないのは明らかです。注目を浴びさえすれば、何でもありなのです。
 橋下徹も、トランプも、先ほど述べた「サルコジ現象」の典型的症例です。「思考の一貫性の欠如」「知的凡庸さ」「攻撃性」「金銭の魅惑への屈服」「愛情関係の不安定」というサルコジの特徴のすべてが見事に当てはまります。


 それでも、「どうせ今より悪くなることなんてないんだから、何かを変えてくれそうな人」に期待してしまう。
 橋下徹さんをみていて疑問なのは、あんなに賢い人が、本気でそう思ってああいうことを言っているのか、それとも、「人気を得るための手段」だと割り切っているのか、ということなんですよ。
 結局、僕にはよくわかりませんでした。
 安保闘争のときにも、有名大学の優秀な学生たちが運動の頭脳として指導的役割を果たしていたのに、ああいう手法になっていたことを考えると、頭が良過ぎる人というのは、「突き抜けて」しまうのかな、とも思うのです。

池上彰四年前の大統領選の際に、アイオワ州に取材に行った時のことが印象に残っています。
 公立高校で、共和党の候補者たちが演説をする催しがありました。高校生に政治を生で見てもらおう、というわけです。そこである女性の議員が「アメリカは可能性の国です。君たちにもいろんな可能性があって、君たちのなかからスティーブ・ジョブズが出てくる!」と熱弁をふるいました。それを聞いて高校生のほうは、「おーっ!」と盛り上がるのかと思ったら、逆にシラーッとしてしまった。この高校生の反応には、その女性議員も驚いたようでしたが、それほど従来のアメリカと違って、みんな冷めています。


 この高校生たちは、正直だよなあ。
 こういう「希望」や「可能性」を若者さえ信じられなくなった時代というのは、リーダーたちにとってもやりにくいのだろうな、と思うのです。
 それでも、誰かがやらなければならない仕事ではあるのだけれど。

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