- 作者: 大谷ノブ彦,平野啓一郎
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2016/10/10
- メディア: 新書
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内容紹介
変えられるのは未来だけじゃない。芸人と作家が語り合う異色対談!
「自殺=悪」の決めつけが遺族を苦しめることもある。それでも自殺は「しないほうがいい」。追いつめられていても、現状から脱出して「違うかたちで生きる」という道を提示できないか。芸人と作家による異色対談。
序章 自分のことが好きですか?
第1章 分人主義とザッツ・オール・ライト!
第2章 未来は常に過去を変えている!
第3章 大谷ノブ彦が自殺しかけた日
第4章 アイデンティティ・クライシスを乗り越える方法
終章 「幸福」が人を追いつめる!
芥川賞作家・平野啓一郎さんと『ダイノジ』の大谷ノブ彦さん。
このふたりにどういう繋がりが?と思いながら読み始めたのですが、2013年5月に、大谷さんがパーソナリティをつとめている『オールナイトニッポン』に平野さんがゲスト出演されたのが「なれそめ」だったそうです。
読書家だった大谷さんと平野さんは音楽の趣味でも意気投合し、その後も付き合いが続いているのだとか。
このふたりの今回の対談本のテーマは「死なずに生き延びるには、どうすればいいのか」。
なんでいきなりそんな話に、と思ったのですが、それには、こんないきさつがあったのです。
大谷ノブ彦:あのとき平野さんをゲストとしてお呼びしたのは、番組の会議でオードリーの若林正泰くんが「平野作品に救われたことがある」と言っていたのがきっかけだったんです。彼はグルメ番組のリポートをしたくても、「おいしい」ってひと言がどうしても言えなくて、その仕事を受けられなかったと言うんです。なぜかといえば「何かを食べて実際においしいって言葉を発したことがそれまでなかったから」と言うんです。だけど、平野さんの作品を読んで、「そういうことを口にできる自分もいるはずだ」という感覚になれたというので、面白いなと思ったんです。
このあとにも詳しく語っていくことになるんですけど、若林くんが言っているのは、平野さんが考えられた”分人主義”のことなんですね。「仕事をしているときの自分」「家族といるときの自分」、「友達といるときの自分」……などというふうに「自分」を分けていく概念です。
この「分人」という考え方が。この対談のなかでは重視されているのです。
それにしても、若林さん、こじらせてるなあ。
でも、その気持ち、僕も共感できるような気がします。
本当に面白くて笑っているのか、笑うべき状況だから笑っているのか、自分でもわからないな、と思うことがあるから。
さて、この「分人」について、この概念の発案者である平野啓一郎さんは、こんなふうに説明されています。
平野啓一郎:ひと言でいえば、「対人関係ごとに分化する人格(パーソナリティ)」のことですね。「個人」という概念に対して、それを「分人」と呼びましょうということなんです。よく「本当の自分」「ニセモノの自分」という言い方がされます。そこでいうニセモノの自分とは、相手や場に応じて使い分ける仮面やキャラ、ペルソナを指すわけですが、たったひとつの本当の自分などはそもそも存在しない。対人関係ごとに見せるそれぞれの顔すべてが本当の自分だということです。
つまり、本当の自分がひとつだけあるうえで表面的にいろんな仮面を使い分けているというのではなく、対人関係ごとに変わるすべての分人が本当の自分だということです。個性というのはいろんな分人の構成によって決まるという考え方ですね。
「本当の自分」を偽っていると思うから苦しくなる。
状況によって、自分というのはいろんな顔を相手に見せるし、それで良いのだ、ということで良いんですよね、たぶん。
率直なところ、「そんなの当たり前ではないのか」という気もしなくはないのですが、そういう「相手や状況に応じて変わること」を肯定的にとらえるだけでも、だいぶ気楽になれる、ということなのでしょう。
「分人」という考え方がしっくりくるのは、いろいろ考えこみやすい、理屈っぽいタイプなのかな、とも思います。
そんなの、わざわざ難しい言葉にしなくても、普通にやってることじゃないの?っていう人も多いだろうし、そういう人には、たぶん、「分人」なんて概念は必要ないから。
でも、若林正泰さんや僕のようなタイプには、けっこう「効く」のです。
ちなみにこの「分人」については、平野さんが上梓された新書『私とは何か——「個人」から「分人」へ』に詳しく書かれています。
この本を読んでいて感じたのは、いまの「ネットで個人のつぶやきが世界中に拡散されてしまう可能性がある時代」には、これまでになかったプレッシャーみたいなものが生まれているのではないか、ということでした。
平野:先日、自傷行為や摂食障害をずっと専門にしている精神科の先生とお話をしたら、最近の自傷行為では、二つの側面のうち、内面に向けての意味合いが大きくなってきていて、外に向けてのアピールが弱くなってきているのではないかと感じることがあると言うんですね。切る箇所にしても、人には見られない太ももの内側だったりとか。それはまだ、ちゃんとデータになっていることではなく、現場で実感される傾向、経験的な見地だということでした。「助けて」という外向きのアピールをすると、「みんな苦しんでいるんだから、お前だけアピールするな!」みたいに返されてしまいそうな社会の雰囲気の中で、自分だけで痛みを処理しようとしているのではないか。
大谷:残された側は、あのことが理由だとか決めつけたがるけど、たぶん、そのひとつだけではないんですよね。
平野:家族とのあいだの葛藤は難しいですよね。いまの世の中、とにかく家族が大切であると言われがちです。家族仲がいいのはまったく否定するようなことではないし、そういう家族はいいな、と心から思います。ただ、子供の頃にはよくわかっていなくても、大人になっていろんな人から話を聞いていると、うまくいってる家族はそんなに多いわけじゃないというのもわかってくるじゃないですか。
大谷:本当にそうですよね。
平野:親同士は仲がいいけど、親戚とはちょっと諍いがあるとか。多くの人がトラブルを抱えていて、そのほうが普通だとも思えるんですよね。そう感じられると、気がラクになります。「うちもひどい部分はあるけど、誰々くんのところもそうだし、まあ、誰々さんのところもそうみたいだから」と。
そうじゃなく、家族仲がいいのが当然で、そうなってない家族は異常だ、というふうになると、やっぱりつらい人たちは増えるはずです。
以前と比べても、離婚や再婚を始めとして、複雑な事情の家庭は増えているじゃないですか。国籍やルーツも単一じゃない。LGBTのカップルもいる。
いまはもう、家族という概念を、かなりゆるい感じで、ぼやっとした共同生活の単位にしておいたほうがいい気がします。
いやほんと、これはもうその通りだな、って。
ネットの世界(あるいは、外面(そとづら)の世界)では、なんだか、どこの家庭も幸せそうです。
その一方で、ちょっと問題があるようなことが表出されている家庭については、「誰それが悪い」「こうするべきだ」という反応が四方八方から降りそそいでくるのです。
日本では、結婚した3組のうち1組が離婚しています。
残りの3分の2はものすごく仲が良い、というのも考えにくくて、うまくいっているところが3分の1、そんなにうまくいっているわけではないけれど、離婚に踏み切るほどではないのが3分の1、そして残りの3分の1が離婚、というくらいのグラデーションではないかと僕は考えています。
インターネットは普及するにつれて、「弱みを見せると、さらにダメージを受ける」世界だと認識されるようになってしまいました。
こんなに世界は広いのに「逃げ場」はどんどん狭くなってきているのです。
平野さんは、「自殺」について、こんな話をされています。
自殺を思いとどまらせる、という意味でいえば、幸せにならなければならないという思いよりも「その時々の自分の状態は一時的なものに過ぎないんだ」という考え方が大事なんじゃないかという気がします。ちょっと時間が経ってそうじゃない状態になれば、また違う考えにもなるとか、もっと他の関係性に於いては見え方が変わるとか。
追いつめられているときには、なんらかのかたちで猶予の時間をつくる。周りがつくってあげる。
一時的な考え方や気分によってその後の人生をすべてなくしてしまう決断をさせないようにしていくことが大切だと思います。
すべては「一時的なもの」に過ぎない。
もちろん、そんなふうに割り切ることができない精神状態もあるのだけれど、とも平野さんは仰っています。
読んでいて、ものすごく不謹慎ながら、「生きづらく、死ぬこともゆるされない時代だよなあ」なんてことを僕は考えてしまいました。
じゃあ、どうすればいいんだよ、っていう。
ボブ・ディランなら、「答えは風のなか」って言うのだろうか。
- 作者: 平野啓一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
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