- 作者: 黒木登志夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/04/19
- メディア: 新書
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内容(「BOOK」データベースより)
科学のすぐれた成果を照らす光は、時として「研究不正」という暗い影を生み落とす。研究費ほしさに、名誉欲にとりつかれ、短期的な成果を求める社会の圧力に屈し…科学者たちが不正に手を染めた背景には、様々なドラマが隠されている。研究不正はなぜ起こり、彼らはいかなる結末を迎えたか。本書は欧米や日本、中韓などを揺るがした不正事例を豊富にとりあげながら、科学のあるべき未来を具体的に提言する。
「STAP細胞事件」は、世の中に大きなインパクトを与えたのですが、「研究不正」というのは、あの事例だけではないのです。
というか、あれはまさに「氷山の一角」というか、マスメディアで話題になった研究、そして注目された研究者の不正だったがために、「その後」も大きく採りあげられることになっただけなんですよね。
自らも高名な研究者である著者は、古今東西の「研究不正」の事例をたくさん集めて例示し、どんなときに、どんな人が不正を行ってきたのか、そして、それはどんな理由によるものだったのかを丹念に説明しています。
わが国では、2000年まではほとんど目立った研究不正はなかったが、21世紀に入ってから急速に増えてきた。第七章で述べるように、撤回論文数のワースト10には、日本人が1位と7位に、ワースト30には5人も入っている。
どうして急に増えてきたのであろうか。一つには、国立大学の法人化(2004年)の前あたりから、大学の財政が苦しくなり、競争的資金がないと研究ができないようになったことがあるのではなかろうか。論文発表、評価、研究資金獲得などの圧力のなかで、選択と集中が進み、競争が激しくなった。研究者たちは、圧力とストレスにさらされ、不正に走る人が増えてきたのであろう。加えて、わが国は、研究不正に関して初心(うぶ)であり、あまりにも無関心であったことがある。
いやほんと、この本で紹介されている「21の事例」のなかには、「なんでこんなに論文を大量生産している人が怪しまれなかったのだろう?」と疑問になるようなものも含まれています。
論文撤回ワースト1位になったという日本の麻酔科医YF氏の事例は、こんなふうに紹介されています。
1987年東海大医学部卒、東京医科歯科大学、筑波大学の麻酔教室を経て、東邦大学医学部の麻酔科准教授になった。2000年、ドイツの麻酔科医師が、麻酔科の国際誌に、「YFの論文は信じられないくらい素晴らしい!」という皮肉なタイトルで、YFの論文への疑問を投稿した。1994年から1999年までに発表された47の論文について、こんな素晴らしい結果が出るのは、統計学的に信じられないというのだ。しかし、YFは反省するどころか、指摘に対して反論をしている。もし、このとき、YFの教授であったHTや周囲の人たちが気がついていれば、ワーストランキングのトップという汚名は免れたはずである(それでもワースト5位には入るが)。
このYF氏の捏造っぷりは、本当にすごいのです。
よくここまでやるなあ、としか言いようがない。
・原著論文216報(うち英文論文205報)のうちねつ造論文172、ねつ造の根拠不足の論文37を数えた。ねつ造のない論文は3報のみであった。ねつ造は、1993年から2011年までの19年間にわたり行われた。報告書には、「あたかも小説を書くごとく、研究アイデアを机上で論文として作成した」と記されている。
・ランダム化二重盲検による臨床研究126報はすべてねつ造であった。二重盲検臨床研究は、多数の患者を多施設から集め、ランダム化した上で、医師にも患者にも治療の内容を教えない(二重盲検)という大がかりな研究である。研究をデザインするだけでも大変なのに、それを126報もねつ造するなど、感心するばかりである。
・倫理審査委員会の審査を受けたことは一度もない。患者からの同意もとっていない。
・生データがほとんど残っていない。
・これらの論文を教授選考、学会賞などの応募に使用した。最終的に東邦大学准教授に採用された。
ここまで多くの論文を「創作」するなんて、よくやるよなあ、と。
むしろ、「ねつ造ではないとされた3報」って、どんな論文だったのだろうかと、気になります。
研究というものをかじったことがある僕からすると、研究不正というのは発覚すれば研究者生命を断たれることが確実ですし、注目を集めるような有名な雑誌に載る論文ほど、追試されたり、引用されたりする機会が多くなるので、バレる可能性が高くなるんですよね。
その一方で、研究の世界というのは、学会発表、そして何と言っても論文の質と量が実績となるので、なんとかして認められたい、という誘惑に抗えない人がいるのも、わかるような気がします。
論文を書けなければ、職を失ってしまうリスクもありますし。
だからといって、不正は許されません。
「研究者が不正をしないこと」は科学論文の大前提で、嘘をついているかどうか、データが正しい、実在するものかどうかを全部検証していては、論文の査読(論文が雑誌に掲載するに値するかどうか判断すること)には膨大な時間がかかってしまいます。
また、ノバルティス社の「ディオバン」をめぐる研究不正についても、詳しく説明されています。
慈恵医大の研究者は、「自分たちにはデータ解析の知識も能力もない」と語っている。これは驚くべき証言である。「知識も能力もない」研究者はノバルティス社に丸投げするほかなく、ノバルティス社は研究者の無知につけこんで、自由に都合のよいデータを作ったことになる。その意味で、ノバルティス事件は、わが国の臨床研究の抱える構造的な問題を反映していると言える。現状を考えると、第二、第三のノバルティス事件が起こらないとは限らない。その意味で、ノバルティス事件は、STAP細胞事件よりも、はるかに根が深いと言わざるをえない。
最近の研究では、ものすごい数のデータを統計学的に処理することが多いのです。
そうなると、臨床医の付け焼き刃の統計学の知識では、太刀打ちできなくなってしまいます。
研究機関のなかにも、臨床医がデータを集めて、統計の専門家がそれを解析する、というシステムをとっているところが少なからずあるのです。
もちろん、それが正しく運用されていれば、悪いことではないんですけどね。
ちなみに、世界の国々が重大な研究不正として認定しているのは、
「ねつ造」「改ざん」「盗用」の三つの不正だそうです。
どの不正が多いかについて、アメリカ研究公正局(ORI)の調査では、生命科学系の事例133件のうち、重大不正の分布は、以下の通りでした。
・ねつ造 22パーセント
・改ざん 40パーセント
・盗用 6パーセント
・ねつ造+改ざん 27パーセント
・改ざん+盗用 4パーセント
・その他 1パーセント
ねつ造、改ざんが多くて、盗用は割合としては低めのようです。
創作はよくても、盗用はプライドが許さない、ということなのでしょうか……
世の中には、信じられないような不正をする人もいて、この本のなかで紹介されている事例のなかには、苦笑してしまうようなものもあるのです。
・マウスの背中をフェルトペンで塗ったサマリン
・他人の論文を盗んでは、自分の名前に変えて投稿したアルサブチ
・自分で埋めた石器を自分で発掘したSF
最後の「石器ねつ造事件」なんて、発覚したときには驚いたというより、呆れてしまいました。
でも、新聞社が証拠の映像を撮影して告発するまでは、SF氏は「神の手」なんて呼ばれていたんですよね。
ひとりのねつ造者のおかげで、日本の古代史が変わってしまうところだったのに、みんな、なかなか気づくことができなかった。
研究不正の世界も、なかなか奥が深いものだな、と思いながら読みました。
最近では、ネットで有志による論文のチェックが行われることもあり、不正はどんどん困難になってきています。
いやほんと、研究不正とか、やるもんじゃない。
ただ、「論文にならないものは無価値である」という研究の世界のプレッシャーを考えると、壊れてしまう人がいるのも、わかるような気がするんですよね……
- 作者: 村松秀
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/07/11
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