琥珀色の戯言

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【読書感想】イスラム化するヨーロッパ ☆☆☆☆


イスラム化するヨーロッパ (新潮新書)

イスラム化するヨーロッパ (新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
多発するテロ、移民二世・三世の増加、押し寄せる難民―欧州は今まさに「イスラム化」の危機に瀕している。西欧育ちの若者が、なぜ過激派に共鳴するのか。自由の国フランスで、なぜベールの着用が禁止されるのか。戦後復興の担い手は、いかにして厄介者となったのか。そして、欧州の「自由」と「寛容」は、いかに失われつつあるのか―。長年の現地取材に基づき、欧州を覆う苦悩から、世界の明日を読み解く!


 2015年、フランスでは、1月に「シャルリー・エブド襲撃事件」、11月に「パリ同時多発テロ事件」と大きなテロ事件が2つも発生しました。
 著者は、2011年から4年間にわたって、新聞社の特派員としてパリに駐在し、「シャルリー・エブド襲撃事件」を現地で、「同時多発テロ」は帰国後に東京でデスクとして取材したそうです。
 
 著者は、「イスラム国」に参加した、モロッコからの移民二世の女子高生・ノラの事例を紹介しています。

 ノラがシリアに渡ったのは、2014年1月だった。「恵まれない子を救いたい」が口癖で、成績がよく医師志望だった。ある日、いつものように学校に行くふりをして、そのまま突然姿を消した。
 家に電話をかけてきたのは、その二日後だった。「事件にでも巻き込まれたのか」と家族が大騒ぎして、警察や病院を駆け回っていたさなかのことだ。フアドは電話をとって安堵する一方、怒りがわきあがってきた。「どこにいるんだ」と強い口調で問い詰めると、ノラは口ごもった後、「シリアよ」と答えた。 
 シリア? 縁もゆかりもない紛争地に行ったのか。フアドは困惑した。「何を言っているんだ。そこで何している」と興奮して怒鳴った。ノラも興奮して、「お兄ちゃんは私のことを分かってなかった」と怒鳴り返した。
「ノラは、『私が何を言っても、お兄ちゃんは学校へ行けと言うだけじゃない』と叫びました。なんだこれは、と頭がクラクラしましたよ。私が家出の原因なんでしょうか」とフアドは腹立たしそうに語った。
 子供のようにわめく妹と、彼女が内戦のまっただなかにいるという現実の落差に、めまいがした。電話の向こうでだれかがささやいているのが聞こえた。監視されているらしい、と察しがついた。
 続いて、男の声で電話がかかってきた。フランス語で「娘さんと結婚したい。電話で許可してくれれば、すぐできる」と言う。妹はイスラム過激派に搦め捕られ、民兵の結婚相手にさせられそうになっている。ショックで気が遠くなりそうだった。「絶対許さないぞ」と受話器に怒鳴るしかなかった。「妹を取り返すには、シリアに行くしかない」と決意を固めたのは、警察が全く相手にしてくれなかったからだ。


 兄のフアドさんは「妹はシリア内戦で傷ついた子供と助けたい、と思いつめるような一途な少女でした。そこに過激派がつけこみ、家族の知らない間にインターネットやSNSで接近して、『イスラム国』に勧誘したのだ」と言っていたそうです。

 過激派研究を行なう英国の民間調査機関「戦略対話研究所」が2015年5月に発表した報告書によると、「イスラム国」に加わった西欧人は約4000人で、女性このうち約550人と推計される。女性の数は2014年以降、急増した。目立つのはノラのような十代の中高生。狙いは、外国人戦闘員と結婚させることにある。


 ヨーロッパに住んでいる、イスラム教圏からの移民の二世、三世の若い、真面目な女性たちが、「ヨーロッパのキリスト教世界に受け入れられない」という不満や「シリアの子供たちを救いたい」という善意から、「イスラム国」に参加してしまう。
 でも、そこで待っているのは、「テロリストの子供を生むための機械」のような扱いなのです。
 本当にひどい話だ……
 「イスラム国」からすれば、戦闘員には「若い妻」が必要で、そのためには手段を選ばない、ということなのでしょうが……
 男性戦闘員は、移民の二世・三世のなかの仕事のない失業者や日本で言うところの「ちょっとグレた若者」が多いそうです。
 彼らは概して中流で貧しくはなく、イスラム移民でも宗教的な戒律に厳しくない家庭で育っているのだとか。
 

イスラム国」の支配地域では、女性は黒いベール着用を義務付けられ、違反すれば鞭打ちだ。男性に従属し、一人で外出することもままならない。西欧で自由を謳歌してきた少女たちはなぜ、そんな場所に身を投じようとするのか。しかも、生活に不自由のない家庭に育ったまじめな学生ばかりだ。
 イスラム女性を研究するスイス・フリブール大の助手ジェラルディーヌ・カシュトに疑問をぶつけてみた。すると、「女性の多くは抑圧された人たちへの共感が強い。矛盾に満ちた社会に嫌悪感を抱き、正義の社会を作りたいと思っている。それで、『別のすばらしい世界がある』という過激派の訴えに引き寄せられてしまうのです」という答えが返ってきた。
 西欧社会でイスラム教徒の少女たちは「生きにくさ」を感じているのかもしれない。彼女たちは西欧で育ったのに、キリスト教白人社会には溶け込めない。両親の母国であるアルジェリアバングラデシュは異国の地でしかない。生まれた国で少数派のイスラム教徒として生きるしかない。


 これは、実際に行ってしまった女性の多くは、後悔しているんじゃないかな……
「まじめで正義感が強い」人たちなのだろうし。

 生まれた国では疎外され、両親の母国は自分にとっては「行ったこともない国」でしかありません。
 いまの僕からみると、「なんでイスラム国に……」と考えてしまうのですが、彼らの立場だと、そういう選択をしてしまう気持ちも、わからなくはない。
 そういう「若者らしい動機」でも、「イスラム国」に渡ってしまえば、そう簡単に脱出するわけにはいかない。

 渡航歴にかかわらず、欧米社会に生まれ、そこで過激思想に傾倒し、祖国を標的とするテロリストたちは、「ホームグロウン・テロリスト(自国生まれのテロリスト)」と呼ばれる。欧米各国がいま、もっとも恐れるテロリストたちだ。


 疎外感がテロリストを育て、彼らがテロを行なうことによって、イスラム教徒への差別感情がさらに高まっていく。
 イスラム教徒のなかで、過激派はごく一部なのに、憎しみはどんどん増幅されていく。
 

 「シャルリー・エブド襲撃事件」のあと、フランス全土で「表現の自由」を守るための大規模なデモが行なわれました。

 デモ行進では、イスラム教徒と風刺画を擁護するキリスト教徒が、「表現の自由」をめぐって議論する場面も見られた。「こうやって、キリスト教徒とイスラム教徒が論議することが大事なんだ」と興奮して叫ぶ白人男性もいた。
 だが、私が話を聞いたイスラム教徒の中で、「風刺画掲載は認めてもよい」と言う人はいなかった。デモ行進の人並みの中に、ベールをかぶった女性の姿を見ることもなかった。


 イスラム教は偶像崇拝を固く禁じており、ムハンマドを「風刺画」にするなど、ありえないことなのです。
 イスラム教徒側からすれば「なんでわざわざ風刺画でこちらを挑発(あるいは侮辱)するのか」と思うでしょうし、あのデモにしても、「表現の自由」を盾に、マジョリティが自分たちに圧力をかけていると感じたのではなかろうか。
 大勢の味方に囲まれながら、少数派に「論議することが大事」と叫ぶのは、本当に「正しい」のか?


 日本で生活していると、とくに地方では、イスラム教徒と直に接する機会って、あまり無いのです。

 イスラム教徒の習慣は、日本の職場環境からみると、突飛なものもある。
 会議中に「お祈りの時間」だと言って中座する。女子生徒が「男女一緒はだめ」と体育の授業を欠席する。豚肉が入っていると言って、給食を食べない。こうしたことは、西欧人たちが日常的に経験していることである。自宅の隣に突然モスクができれば、だれでも「どんな人が出入りするのだろう」と少々心配になるだろう。

 外国のこととしてみていると、「なんでお互いに理解しあって、うまく共存していけないのか」と思うんですよ。
 でも、日本人どうしでさえ、ちょっとした「違い」が気になってしまうことを考えれば、日本でこういう軋轢が目立たないのは、単に「まだイスラム教徒の割合が少ない」だけなのかもしれません。

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