
- 作者: 北野新太
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2015/05/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
今の私にとって、 将棋以上に魂の震える対象はない―
将棋とは無縁の人生を歩んできた著者が出会った、ひとりの棋士。その出会いをきっかけにのめりこんだ将棋には、静かに燃える数々のドラマがあった。 羽生善治、渡辺明、森内俊之、里見香奈...... 報知新聞社の熱き記者が描く、今までにない将棋の世界!
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将棋の「棋士」とは、どんな人々なのか?
著者は、「勝負の世界について自分の手で書いてみたい」という動機で報知新聞社に入社したそうなのですが、入社したときには、将棋の世界を意識したことはなかったし、興味もなかったそうです。
ところが、である。今の私にとって将棋は不可欠な存在となっている。毎日移動中に携帯電話で対局中継を観戦し、ネット対局を指し、NHKのテレビ中継を毎収録画し、専門紙『週刊将棋』と専門誌『将棋世界』を欠かさず読んでいる。
なぜか。今の私にとって将棋以上に魂の震える対象はないからだ。棋士以上に興味を惹かれる存在などいないからだ。
将棋と巡り合う発端となったのは、ある人物との出会いだった。より具体的に言えば、彼が発したひとつの言葉が私を将棋へと駆り立てる出発点となった。
その「ある人物」というのが、瀬川晶司さんでした。
瀬川さんは、プロ棋士になるための登竜門である奨励会に所属していたもののプロになることができず、サラリーマンとなりました。
その瀬川さんは、一度将棋から離れてはみたものの、アマチュア棋士として数々の実績を積み重ね、異例の「プロ編入試験」を受けてのプロ入りを目指しました。
著者は、その瀬川さんに、サラリーマンとして、そして、棋士としての人生のそれぞれのステージで問いかけます。
「何のために生まれて来たのか、と問われたら何て答えますか?」
プロ棋士というのは「将棋さえ指していればいい」と、羨ましくみえる世界なのですが、実際にその場に身を置いてみると、「将棋での勝ち負けだけですべてが決ってしまう、厳しい世界」でもあるんですよね。
著者は、その「究極の勝負の世界」で生きている人々の姿を、身近なところから活写していきます。
彼らの「勝負に、良い棋譜を遺すことへのこだわり」と、人間としての「純粋さ」が、読んでいると僕にも伝わってくるのです。
一年ほど前、羽生と都内某ホテルのラウンジで待ち合わせたことがある。ところが、約束の時間に主役が現れない。どうしたのかな……と心配になって七分ほど経過した後、羽生がロビーに姿を見せた。彼はキョロキョロと辺りを見回し、私の姿を見つけるとタタタッと駆けて来た。
「いや〜、遅くなりまして申し訳ありません」
おそらく前のアポイントが長引いたのだろう。よく見ると肩で息をしている。会っても何の得もない私のために街の中を走ってくれたのだ。胸がいっぱいになったことは、これまた言うまでもない。
棋士は美しい心を持った人々の集団である。羽生や中村には浮世を離れた無垢さえ感じる。そんな二人が鬼神のような顔で、殺すか、殺されるかの激闘を繰り広げたのが第61期王座戦五番勝負だったのだ。
里見香奈女流名人の就位式に突然出席した羽生善治さんの「動機」について書かれた回があるのですが、これを読んで、僕は自分の「不純さ」が、ちょっと恥ずかしくなったんですよね。
病気で休養する、という後輩の就位式に出席する、ということに、なんらかの「複雑な理由」を想像していたことに。
将棋の世界には「番外戦」というのもあって、駒の並べ方へのこだわりや、食事の時間にステーキを頬張って相手にプレッシャーをかけようとした大ベテランの話などを読むと、「おとなげないなあ」と思うところもあるのです。
でも、その「おとなげなさ」と、将棋以外では、まるで中高生のような他者への優しさや気配りが同居しているのも「棋士」なんですよね。
第2回の「電王戦」で、『GPS将棋』に敗れた三浦弘行さんは、あの勝負のあと、スランプに陥っていたそうです。
ようやくそこから抜け出したとき、三浦さんは著者にこう語っています。
「いろいろと心配してくださる方がたくさんいました。声を掛けてくださる方もいたし、目に見えない形で支えてくれた方もいた。自分一人だったら、もっと思いつめていたかもしれない。だから、皆さんの支えがもしかしたら今日の将棋につながったのかなと思います。そのことを忘れてはいけないと思っています。勝つことは最良の薬。生かすかどうかは今後の私次第です」
「GPSは、プロに備わっている序盤の大局観を計算と読みによってカバーしています。私は人間ですからコンピュータと同じように考えてはダメだとは思うんですけど、最近では序盤の大局観さえも計算と読みによってつくり出せるんじゃないかと考えるようになりました。先入観を持ってはいけないですね」
ずっと私は、三浦が敗戦で失ったもののことばかり考えていた。しかしそれは違った。敗戦によって得られたものも、確かにあったのだ。
コンピュータに負けて、大きなダメージを受けた三浦さんなのですが、そのコンピュータからも学んで、自分の将棋を高め、立ち上がろうとしている。
将棋を高める、という目的においては、プロ棋士にとっては、コンピュータは「敵」というより「ライバル」だったり、「師」だったりするのかもしれませんね。
コンピュータからも学ぶことによって、人間は、もっと強くなれる。
1000円+税で、110ページという薄い本で、コストパフォーマンス的にどうかな、と思いながら読み始めたのですが、将棋ファン、棋士の生きざまに興味がある人にとっては、濃密な読書体験ができる一冊だと思います。