
- 作者: 野村克也
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2016/02/06
- メディア: 新書
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- 作者: 野村克也
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
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内容紹介
★2016年セ・リーグ全員40代監督誕生。
いまプロ野球監督に求められる本当の資質とは?
球界の未来を危惧する前代未聞の監督論。
セ弱パ強、シーズン途中の監督解任、
オーナーの現場介入、選手兼任監督、
プレミア12準決勝敗退……。
問題や課題の多い今のプロ野球界に言えることは、
監督の人材不足である。
そもそも監督を育てるような環境が整っておらず、
負けが込むと安易に監督を変えるようでは、
いつまでたっても強いチーム作りは行えない。
このような「監督受難」の時代に
監督として必要な資質を、
南海、ヤクルト、阪神、楽天など
数々の球団で監督としての実績を築き、
勝負と人間の機微を熟知した智将・野村克也が語る。
僕は野村克也監督の「野球論」をこれまでずっと読んできたので、この『名将の条件』についても、「ああ、この話は聞いたことがあるな」と感じたところも少なからずありました。
とはいえ、それでも最後まで読ませてしまうのが、野村克也さんのすごさ、ではありますね。
プロ野球出身者で、ここまで「言葉」を持っている人は、他にはいないわけですし。
この新書の冒頭で、野村監督は、まず、『プレミア12』準決勝での小久保監督の采配について苦言を呈しています。
曰く、なぜ大谷を完投させなかったのか、なぜあのピンチの場面で、前の登板で打たれていた松井裕樹だったのか?
まあ、結果論といえば、結果論、なんですけどね。
さらに、野村克也監督は、日本代表の小久保監督の資質にまで、踏み込んで書いているんですよね。
多くのプロ野球ファンは、「監督経験のない小久保がどうして侍ジャパンの監督に選ばれたんだ?」と不思議に思われているかもしれない。何を隠そう、実は私もそのなかの一人だったのだが、侍ジャパン特別顧問の王貞治が彼を推薦したそうだ。
では、彼はソフトバンクの監督にはなれないのか。現時点では、彼の名前は候補にすら挙がっていないという。また、彼に人望があるのかと言えば、そうした声すら聞いたことがない。人前では格好つけたがりで、あまり他人から嫌われたくないという一面もあるというから、本来であれば監督には向かない性格なのだろう。
侍ジャパンに限らず、最近のプロ野球を見ていると、球団の上層部から覚えがめでたい人物が監督になっているように思えて仕方がない。つまり、能力は度外視して処世術に長けている者が監督になる。「何であの人が監督になったんだろう?」と、疑問に思うファンもいると思うが、それはこのような理由が背景にあるからなのだ。
とくに小久保と王は良好な関係を保っている。そのことは別段問題視することではないんだが、小久保は自分に批判的な人間とは徹底的に距離を置く。
うーむ、この後、野村監督は、王監督と談笑していた際、近くにいた小久保選手が、王監督がひとりになったときを見計らって、王監督にだけ挨拶をした、というエピソードを紹介しています。それは、野村監督が新聞の評論で小久保選手を批判した後だったので、「避けられた」のだろう、と。
まあでも、こういうのって、半分くらい「風評被害」みたいなものですよね。
野村監督は小久保選手と一緒にプレーしたことはないはずですし、野村監督のような立場の人に公の場で批判されたら、近づきづらいと思うのもよくわかる。
そもそも、こういうエピソードを、本に書いてしまうところが、野村監督が卓越した野球理論を持ちながらも、敵をつくってしまう理由なのではないか、という気もします。
カープファンとしては「上層部の覚えのめでたい選手が、資質にかかわらず監督になるシステムには問題があるのではないか」という部分には、意義なし、なのですけど。
まあ、こんな感じの「ノムさん節」が炸裂している新書なんですよ。
でもなあ、こういう「暴露話」みたいなのが、野村さんの著書の魅力でもある。
古田敦也さんとか、「年賀状も送ってこない」とか、いきなり本で指摘されていたし。
この本のなかで、興味深かったのは、野村克也さんが現役時代の晩年、ロッテに移籍したときの話でした。
しばらくしてから金田正一監督から連絡があった。何の肩書きもない、一選手としての採用であったが、まったく異存はなかった。私の野球人生は、もともとテスト生からのスタートである。私を評価してくれる球団の役に立ちたいと、素直に思った。
だが、入団交渉の場で金田さんと会うと、本当に欲しかったのは、南海時代のチームメイトだった江夏豊だとわかった。江夏は私が南海を離れることが決まると、自分も辞めると公言していた。肘や肩を傷めてはいたが、南海では抑えとして成功をおさめつつあった江夏に、金田さんは目をつけたのである。
私は金田さんの意向を江夏に伝えたが、彼はいい返事をしない。金田さんも江夏も一流の投手だ。一流ともなればわがままで自己顕示欲が強いものだ。お互いうまくやっていけるはずがないと、江夏は考えたのであろう。
そこで私は、広島の監督だった古葉竹識に声をかけ、江夏を推薦した。古葉は私の南海監督時代に、コーチをしていたので、勝手知ったる仲だった。古葉は南海にトレードを申し込み、江夏は広島に移籍することになった。
そうか、広島・江夏が誕生し、野球史にのこる「江夏の21球」が生まれたのは、野村さんのおかげだったのか。
もし江夏さんがロッテに行っていれば、プロ野球の、少なくともカープの歴史は、大きく変わっていたはずです。
不思議な縁というのも、あるものですね。
野村監督は、「よい指導者の条件」として、こう仰っています。
最近、若い人を教育するのに効果的な方法は褒めることだとよく言われる。ビジネスの分野で活躍している経営者は、部下を指導する際、「きつく叱ることは止めなさい」と指導しているそうだ。まずは長所を褒め、のびのびとした環境で仕事をやらせること。そのためには、いつも穏やかで優しそうな「いい人」が上司になると、部下はやる気を出すというのだ。
だが、こうした意見に、私は異を唱えたい。このような人物は、組織のトップには向かないと断言する。なぜならそれは、自分は「こうしたい」という理念や哲学を持っていないことの裏返しだからだ。
周囲の人から「いい人」と言われるような人は、その場の空気を読んで、臨機応変に自分の考え方を変えてしまう。その理由はただ一つ、「意見の衝突が避けられる」からだ。しかも上司の側は、「それが当然」と思っているのだから、タチが悪い。
しかし、組織を率いている以上は、「オレはこういうやり方でやっていく」という他人には絶対に譲れない、ゆるぎない信念があるものだ。明確に自分の指針を提示して、組織をその方向に持っていこうとすれば、必ず誰かと衝突する。
とくに野球の世界ではそれが顕著になって表れる。選手に厳しいことを言わず、褒めて、ほだてて自由奔放にプレーさせた結果、優勝するケースはなくはないが、そうしたチームが連覇することは、まずあり得ない。
ああ、たしかに「のびのび野球」のチームが、1シーズンを制することはあるけれど、連覇したり、「黄金時代」を築いたりすることって、無いよなあ、と。
僕の社会人としての実感からも、「イヤでもやるべきことを、他人にやらせることができる人」でないと、指導者としてはやっていけない、と思うのです。
ちなみに僕には無理でした。
でも、それは今振り返ってみると、「優しさ」のフリをした、「優柔不断さ」とか「確固たる指針の欠如」だったような気がします。
なるべく憎まれないにこしたことはないけれど、「憎まれないこと」が目的になってはいけない。
たしかに、最近のプロ野球では、監督に個性がなくなってしまったようにも思われるのです。
それよりなにより、とにかく勝ってほしい、優勝したい、というのが、優勝から遠ざかっているチームのファンの切なる願い、なんですけどね。