- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 岸見一郎,古賀史健
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内容紹介
3年ぶりに哲人を訪ねた青年が語る衝撃の告白。それは「アドラーを捨てるべきか否か」という苦悩だった。アドラー心理学は机上の空論だとする彼に「貴方はアドラーを誤解している」と哲人は答える。アドラーの言う、誰もが幸せに生きるためにすべき「人生最大の選択」とは何か? 貴方の人生を一変させる哲学問答、再び!
前作・『嫌われる勇気』から、もう3年も経ったのか……と思ったのですが、前作が出たのは2013年の12月なので、正確には2年4ヶ月ぶりの続編、ということになります。
『嫌われる勇気』はベストセラー&ロングセラーとなり、僕も読みました。
「アドラー心理学」に興味を持たれた方は、まずこの『嫌われる勇気』のほうから読んでみることをおすすめします。
僕の『嫌われる勇気』への感想は「主張していることは正しいのかもしれないが、これをいまの世の中の人間関係のなかで実践するのは難しいのではないか」というものだったんですよね。
この本を読んで刺激を受けた人は少なからずいるけれど、本当にそれで「人生が変わった!」という人の話を聞いたことがありません。
アドラーは、「アドラー心理学(と本人は言わなかったかもしれませんが)を習得するには、その人がこれまで生きてきた時間と同じくらいの時間がかかる」と言っていたそうなので、まだ結果云々を語るべき時期ではないのかな。
前作、「哲人」におおいに感化された「青年」なのですが、あれから3年。
図書館勤めをやめて教師になった彼は、「アドラーを捨てるか否か」を決断するために、ふたたび哲人のもとを訪れるのです。
哲人:なぜでしょう?
青年:はっ、そんなものご自分の胸に手をあてて聞いてみることですね! アドラーの思想は、現実社会ではなんの役にも立たない。机上の空論でしかないのですよ! 特に、そこに掲げられた「ほめてはいけない、叱るってもいけない」という教育方針。断っておきますがね、わたしは律儀に守りましたよ。ほめることもしなかったし、叱ることもしなかった。試験で満点をとってもほめず、きれいに掃除をしてもほめない。宿題を忘れても叱らないし、授業中に騒いでも叱らない。その結果、なにが起こったと思いますか?
哲人:……教室が荒れてしまったわけですね?
たしかに、アドラーの思想を律儀に実践しようとすると、「そういうこと」になってしまうんですよね。
「人の心が分からない人」「空気が読めない人」にしか、周囲には見えない。
周りもみんなアドラーの信奉者、という環境じゃないと、難しいんじゃなかろうか。
でも、そういう環境なんて、現実には存在しないわけです。
ただ、この「アドラー心理学」って、100%そのまま社会で実践しようとするとキツくなるのですが、「こういう考え方もある」ことを知っておいて、自分自身を救うために役立てることは可能じゃないかという気はします。
ちなみに、この本によると、アドラー自身も「共同体感覚」という概念を唱えたときに「それは科学でない」と周囲から批判されて、多くの仲間を失ったそうです。
哲人:なにひとつ否定せず、なにひとつ強要せず、ありのままの「その人らしさ」を受け入れ、尊重する。つまり、相手の尊厳を守りつつ、関心を寄せていく。その具体的な第一歩がどこにあるか、おわかりになりますか?
青年:なんです?
哲人:これはきわめて論理的な帰結です。「他者の関心事」に関心を寄せるのです。
青年:他者の関心事!?
哲人:たとえば子どもたちが、あなたには到底理解しかねる遊びに興じている。いかにも子ども向けの、愚昧な玩具に夢中になっている。ときには公序良俗に反するような書物を読み、ゲームに耽溺している。……思い当たる事例はありますね?
青年:ええ、ほとんど毎日、そのような光景を目にします。
哲人:多くの親や教育者たちは、これに眉をひそめ、もっと「役に立つもの」や「価値のあるもの」を与えようとします。その行為を諌め、書物や玩具を没収し、自分たちがそこに価値を認めたものだけを与えるわけです。
無論、親たちは「子どものためを思って」そうしているのでしょう。しかしこれは、いっさいの「尊敬」を欠いた、子どもとの距離を遠ざけるだけの行為だと考えねばなりません。子どもたちの自然な関心を否定しているのですから。
青年:じゃあ、低俗な遊びを推奨しろと?
哲人:こちらからなにかを推奨するのではありません。ただ「子どもたちの関心事」に関心を寄せるのです。あなたの目から見て、どんなに低俗な遊びであろうと、まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。自分もやってみて、場合によっては共に遊ぶ。「遊んであげる」のではなく、自分自身がそれを楽しむ。そのときはじめて、子どもたちは自分たちが認められていること、子ども扱いされていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感するでしょう。
「他者に関心を持つ」ための具体的な方法として、「その他者が関心を持っているものに、自分も関心を持つ」ことがこの本のなかでは挙げられています。
自分の子どもをみていると、これは確かに言えるのではないか、と思うんですよね。
大人の立場からは、つい、「こんな役に立たない物事に時間を費やして……」と言いたくなることもあるのだけれど、まずはその「子どもが関心を持っていることに、自分も先入観なしで興味を持って、楽しんでみる」という姿勢は、大事なのだろうなあ。
ミニカーで何時間も遊んだり、同じ絵本を何回も読まされたりすると、心が折れそうになるのも事実なのですが。
哲人:なかなか受け入れていただけないようですね。では、これを試してみましょう。われわれがときおりカウンセリングで使用する。三角柱です。
青年:ほう、おもしろそうだ。なんです、これは?
哲人:この三角柱は、われわれの心を表しています。いま、あなたの座っている位置からは、三つある側面のうち二面だけが見えるはずです。それぞれの面になんと書かれていますか?
青年:一面には「悪いあの人」、もう一面には「かわいそうなわたし」と。
では、この最後の一面には、何が書かれているのか?
ここでは紹介しませんが、僕はこれを読んで、心底考えさせられました。
結局、自分を苦しめているのは、自分自身なのかもしれないな、って。
青年:じゃあ具体的に、どうすれば子どもたちを「依存」や「無責任」の地位に置かない教育ができるのです!? どうすればほんとうの自立を援助できるのです!? 観念ではなく、具体の事柄でお示しください! そうでなくては、納得できません!
哲人:そうですね。たとえば子どもから「友達のところに遊びに行ってもいい?」と聞かれる。このとき「もちろんいいよ」と許可を与えたり、「宿題をやってからね」と条件をつける親がいます。あるいは、遊びに行くこと自体を禁止する親もいるでしょう。これはいずれで、子どもを「依存」と「無責任」の地位に置く行為です。
そうではなく、「それは自分で決めていいんだよ」と教えること。自分の人生は、日々の行ないは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料――たとえば知識や経験――があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。
鵜呑みにしたり、そのまま「実践」したりすることは、やはり難しいとは思うのですが、自分自身や子どもの「自立」について考えさせられる本ではあるのです。
「それは自分で決めていいんだよ」か……
「好きに決めていい」っていうのは、言われる側にとっては嬉しいのと同時に、プレッシャーもかかることだから、子どものころから、ちゃんとそれを引き受けられるトレーニングって、必要じゃないかと思いますし。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
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- 作者: 岸見一郎,古賀史健
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