- 作者: 猪瀬直樹
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2014/10/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
- 作者: 猪瀬直樹
- 出版社/メーカー: マガジンハウス
- 発売日: 2015/02/12
- メディア: Kindle版
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内容紹介
辞任以来の沈黙を破る書き下ろし!
都知事就任、五輪招致に邁進する中、
妻は突然の病に倒れ、帰らぬ人となった。
五輪招致成功の秘話、5000万円の真実、
妻と過ごした40余年の日々。
この作家の夫婦愛に泣き、不運さに憤る。
妻という女神を失った時、男はどう生きるか。
ーーーー林真理子
駆け落ち同然で結婚し、作家デビューまでの生活を支え、
公務も共にこなしてくれた、かけがえのない妻。
二人三脚で共に生きた昭和の時代と、嵐のように過ぎた2013年を、交互に描く。
そして明かされる、五輪招致成功の秘話、5000万円の真実、アマチュア政治家の意味……。
これを読みながら、僕は自分の父親と自分のことを考えていました。
猪瀬さんは、僕の父親に近い世代なのですが、あの時代には、夫の「仕事」に対して、妻は「仕事と家庭の両立を」なんて言わずに、ひたすら家事・育児をこなすのが当たり前、という風潮がありました。
それを、夫の側も、妻の側も、(少なくとも表面上は)受け入れていた。
この本、読んでいると、現在、2016年を、夫として、幼い子ども2人の父親として生きている僕にとっては、猪瀬直樹さんと、妻・ゆり子さんの「夫婦愛」を羨ましく思うのと同時に、「本当にこれで良かったのだろうか?」と感じるところもあるんですよ。
猪瀬さんは、自分の作家としての地位を確立するために、幼い子どもがいるなかで自分の「仕事場」を自宅とは別につくっていたとか、育児や送り迎えは、学校の先生をやっていて多忙なはずの妻・ゆり子さんのほうがほとんど担当していたとか。
猪瀬さんは、都知事として2020年のオリンピック招致活動に邁進していた時期、ゆり子さんの様子がおかしいことに気がつきます。
言葉がうまく出なかったり、テニスをやっていて、球がラケットに当たらなくなったり。
「奥さまについてですが、いま検査の結果がわかりましたので」
病院到着まで、二、三十分しかかからないのに、わざわざ結果を電話で教えてくれるようなのだ。
「奥さまの脳の中央部に悪性の脳腫瘍が見つかりました。それも拳ほどの大きさがあります。グレード4です」
「グレード4?」
「はい。グレード1、2、3、4の4です」
「4まで? 4がいちばん上ということ?」
「いちばん上です。申し上げにくいことですが、余命数か月です」
ゆり子さんの脳腫瘍がわかり、あとどのくらいもつかわからない、という状況下でも、猪瀬さんは、都知事として、多忙なスケジュールをこなし、オリンピック招致活動に身を削っていました。
それで、良かったのだろうか?
猪瀬さんは、オリンピックよりも、ゆり子さんの傍にいてあげたかったのではないだろうか?
でも、ゆり子さんだったら、猪瀬さんが「オリンピック招致という大仕事」をやり遂げるほうを望んだのではないだろうか?
もし、猪瀬さんが、招致活動を投げ出して、奥さまの傍にいることを選んだら、世間は、どんな反応を示しただろうか?
僕はこの本を、シンプルな夫婦愛の物語として読むことができませんでした。
昭和の夫婦像を、現在の基準で評価するのは「違う」気がするのだけれども、ゆり子さんは、猪瀬直樹という「面白い人」の最大の理解者であり、支援者でもあったのです。
仕事の面でも、有能なパートナーでした。
ゆり子さんは55歳で小学校の教師を引退したあと、猪瀬さんを秘書、あるいはマネージャーとしてサポートしています。
仕事場近くのレストランで二人で食事をしている姿を見ていた客たちが「あの人は秘書の方なのかしら、奥さんなのかしら」と話題にしていたと後日、聞いた。ふつうの夫婦の会話とは違うように思われたのかもしれない。食事の合間でさえもいつも真剣に仕事の段取り、スケジュールの話をしていたからだ。地方の講演会にも必ず同行した。講演の終了後、著者サイン会を地元の書店が担当する。お客さんの動線を考え、どこにサイン机をおけばよいか、書店にアドバイスするのもゆり子の仕事であった。講演からの帰途、新幹線を下車するとき、知らない人からにこやかに「いいですね、猪瀬さん。美人の秘書といっしょで」と声をかけられたこともあった。教師の仕事を辞めてからは、僕を助けるほうでの共働きになった。
猪瀬さんは、この本をかなり冷静な筆致で書いているのも事実なんですよね。
誰かに恨み言を述べるわけでもなく、奥様についても、過剰な愛情表現を繰り返すわけでもなく。
愛情というより、ふたりでひとつの運命共同体、というようにも感じられました。
「奥さんを置いてオリンピック招致活動を取るなんてひどい」というのは外野の思い込みであって、ふたりにとっては「当然の選択」だったのかもしれません。
ゆり子さんは亡くなって、2020年のオリンピックは、東京に決まった。
その余韻もさめやらぬうちに、あの「5000万円」が発覚し、猪瀬さんは都知事の座を降りることになります。
しかし、この本を読んだかぎりでは、猪瀬さんは、あまりにも「政治家として素人」であったがために、あんなことになってしまったのではないか、とも思われるのです。
(2012年)11月20日火曜日夕方、衆議院第一議員会館五階の徳田毅事務所を訪問した。衆議院の解散層選挙で議員会館は空っぽで廊下ですれ違う人もいない。こんなところに来てしまってよいものか、とここでも迷った。徳田毅議員のところですぐに応接のような部屋に案内された。テーブルの上にどこにでもあるような特徴のない紙袋が置かれていた。
紙袋のなかを覗いた。帯封をした紙幣の束があった。数えなかった。「5000万円用意しました」との徳田議員の言葉が耳に染み込み、はたと我に返り、特定の人から多額のお金を借りてはいけない、ここに来るべきではなかった、と自分の優柔不断を責めていた。その場でお断りして引き返す決断はできなかった。徳田議員は「ここにサインを」と事務的にA4判の一枚紙を差し出した。「借用証」と「徳田毅殿」と日付があらかじめ印字されていた。金額が空欄で、そこに5000万円と記して、下に罫線が引かれ住所と名前を書くようになっていた。印紙税法上は印紙を貼っていないといけない、ということさえ知らなかった。
都知事選に出馬するにあたって、金銭的な不安があったのももちろん、徳田議員を目の前にすると「ここで断ると、相手の面子を潰してしまうかもしれない」という気持ちになってしまった、と猪瀬さんは述懐されています。
それは「正しくないこと」だけど、気持ちとしては理解できるのです。
「善意みたいなもの」に逆らうのは、覚悟が要る。
実際にお金を借りてしまえば、いくら「実際に便宜ははかっていない」と主張したところで、通用するわけもないのだけれども。
都知事になる経験なんて、普通の人生ではまずできないことです。
それは、すごいことだと思う。
でも、猪瀬さんの場合は、それが幸せにつながったのかどうか。
一人の人間が、妻と、社会的な信用を失った。
それでも、東京で2020年のオリンピックが開催されることになった。
人生って、難しい。