グッド・フライト、グッド・ナイト──パイロットが誘う最高の空旅 (ハヤカワ・ノンフィクション)
- 作者: マーク・ヴァンホーナッカー,岡本由香子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/02/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
グッド・フライト、グッド・ナイト パイロットが誘う最高の空旅 (早川書房)
- 作者: マークヴァンホーナッカー
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/02/29
- メディア: Kindle版
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内容(「BOOK」データベースより)
雲の向こうは、信じられないほど感動に満ちている。パイロットが最も心動かされる上空からの眺めは?雲の中へ飛び込むのってどんな感じ?航空図に残された秘密のメッセージとは?旅客機は離陸の前に“瞑想”する!?日々ボーイングを飛ばして世界をめぐる現役パイロットが、愛してやまない大空と、その果てしないロマンについて語り尽くす。ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラー、エコノミスト誌の年間ベスト・ブック。
飛行機は、お好きですか?
パイロットになりたいと、思ったことがありますか?
僕は小学生くらいまで、乗り物が大の苦手でした。
出かけるたびに乗り物酔いしてしまうのが僕自身にとっても家族にとっても悩みの種で。
いつも自家用車の助手席で窓をあけて、「新鮮な空気」を少しでもたくさん吸おうとしていましたし、学校のバス旅行はいつも胃液との戦いでした。
船なんて想像しただけで船酔いしますし(一度親に連れられて海釣りに行ったときには、釣りどころか、延々と甲板の上で吐き続け、翌日まで揺れているような感じがして身動きがとれなくなりました。
鉄道は乗り物のなかでは比較的マシだったのですが、できれば乗りたくない。
そして、飛行機は、あの離陸時の内臓がずり下がっていくような感覚を想像するだけで気持ちが悪くなっていたのです。
いや、あれは今でも気持ち悪いのだけれど、いつの間にか、僕も飛行機の中で本を読んで過ごすのが快適だと思えるような大人になりました。
「乗り物酔いは『甘え』からきている」と言う人がいたけれど、僕はまあ、そんなことはない、と信じたい。
自分の事に関しては、そうじゃない、と言い切る自信もないけれど。
と、関係ない話を続けてしまいましたが、そういう「事情」もあって、僕は「乗り物の運転手」になりたいと思ったことは、一度もなかったんですよね。
そりゃあ、外食で近所のファミリーレストランに車で出かけたら、その移動で酔って車の中でぐったりしてしまい、食べるどころか、胃に入っていたものを全部吐いてフラフラになりながら寝込んでしまう子どもが、そんなことを望むはずがない。
でも、いま、この『グッド・フライト、グッド・ナイト』を読んでいると、こんな僕でさえも、「なぜ自分は、子どもの頃、パイロットになりたい、と思わなかったのだろう?」と疑問になってくるんですよね。
この本には、「空を飛ぶこと」に魅了された人間の珠玉の言葉と、それを仕事にしている喜びが、いっぱいに詰まっているのです。
パイロットが書いたエッセイ、って、日本にもいくつかありますよね。
僕は専門職に就いている人の話を読むのが好きなので、何冊か読んだことがあるのですが、日本で商業出版されている「専門職の本」って、その仕事そのものではなく、「職場の裏話」や「お得な情報」みたいなのが大部分を占めているのです。
パイロットでいえば、「機内放送の秘密」であるとか「パイロットとキャビンアテンダントの禁断の関係(これはいま適当に思いついたものなので念のため)」のような「舞台裏ネタ」がよく書かれています。
ところが、このエッセイは、まさに「直球勝負」なんですよ。
十代になってから、近場の飛行場で何度か操縦訓練を受けた。大人になったら趣味で小型機に乗ろう。生活費を稼ぐ手段を別に確保して、週末の朝に空を飛べたらいい。そんな夢を描いていた。飛ぶことを仕事にしようとは考えていなかったと思う。そういう進路があること自体、まったく思いつかなかった。おそらくマサチューセッツ州西武の小さな町には、旅客機のパイロットなどひとりもいなかったのではないだろうか。近隣に大きな飛行場もなかった。飛行機が大好きな父でさえ、空を飛ぶ事を仕事にはしなかった。ただ、十代の私がパイロットを目指さなかったいちばんの理由は、飛行機が好きすぎたせいだ。私にとって空を飛ぶことは、完全に”夢”の世界に属していた。
高校に入ると、新聞配達やレストランのウエイターをして賃金を貯め、夏休みにホームステイで日本とメキシコへ行った。高校を卒業したあとは地元の大学に進学し、父の祖国ベルギーに短期留学もした。大学卒業後はイギリスの大学院でアフリカ史を専攻した。できることならケニアに渡って本格的にアフリカ史を研究したいと思っていた。ところが実際にケニアに渡ったあとで、遅ればせながら、飛ぶことを生涯の仕事にしたいと気づいた。だから大学院を中退し、奨学金を返済して、フライトスクールの費用を稼ぐためにボストンで就職した。経営コンサルタントの仕事を選んだのは、ほかの仕事よりも出張が多そうだったからだ。出張のたびに飛行機に乗れる。
今になってみると、高校時代のホームステイでも、いちばん印象に残っているのは日本やメキシコに至るまでの空の旅だったような気がする。私は空を飛びたい一心でホームステイをし、出張の多い仕事に就き、ついにパイロットになったのだ。
著者は、アフリカ史を学び、研究者を目指していましたが、パイロットへの憧れを諦めきれず、経営コンサルタントとして稼いで養成学校に通い、国際線パイロットとなりました。
なんだかすごいまわりみちのような、それでいて、結局のところ「飛行機に乗りたい」という意味では、芯が通っているのかもしれない、そんな道のりです。
著者は、ひたすら、「操縦席からみた光景」や「空を飛ぶことの愉しさ」を語り続けます。
ときに静謐に、ときにドラマチックに。
では地球を空から見たら、どんなふうに見えるのだろう。パイロットになる前にこういう質問をされたなら、やはり地方出身者らしく、住んでいる場所や旅行した場所など、自分が見てきたものを中心に答えただろう。木々、連なる丘、大きな都市に挟まれるように点在する小さな町について語ったはずだ。だが、今はちがう。パイロットとしては、地表の大部分には人が住んでいない、と答える。
地球の7割が水に覆われているのはいうまでもないが、そうでない部分も大半は人がほとんど住んでいない。暑すぎるか、寒すぎるか、乾燥しすぎているか、標高が高すぎるせいだ。これは知識として教わっていたとしても、普段は意識していない事実ではないだろうか。そういう状況を目にする機会がない以上、実感できないのも無理はない。もちろん旅客機の窓から、広大な、空っぽ同然の地域を眺めることはあるだろう。出発地と目的地のあいだにあるそうした場所は、地球表面の特徴をよく表している。人間が服を着なくても24時間生きられる地域は、地球上におよそ15パーセントしかないという説もある。季節や天候等にも左右されるだろうが、旅客機のコックピットから見るかぎり、この推定は妥当だと思う。
自分の人生とはなんの関係もなくても、地球上でもっともさみしい場所の光を愛おしく思うことがある。サハラ砂漠やシベリア、カナダとオーストラリアの大部分には、光がまったくないか、あったとしても数えるほどしかない。それでも人里を遠く離れた場所にぽつんと灯る光が目に飛び込んでくることがある。どこまでも続く闇のなかに孤高の輝きを放つ光だ。夜の海でも、たとえば一隻の船の灯が、同じように見えることがある。
飛行機に乗客として乗っていると、正面は見えませんし、視界もかぎられています。
窓の外をみるよりも、眠っていたり、映画を観たり、本を読んだりしている時間のほうが長いことも多いのです。
でも、パイロットは、他のことをしているわけにはいかない。
「地球上の何もない場所」を意識できるのも、パイロットの特権なのだなあ、と。
ところがパイロットになって何年かして、予想もしていなかった変化が起きた。オーロラや。数えきれないほどの流れ星に以前ほど心が動かなくなったのだ。そんな生き方は傲慢だとわかっていても、空と大地の狭間で起こる何百もの自然現象を毎日のように目にしながら、そのひとつひとつに対して新鮮な気持ちを保つのは難しい。
かつての新鮮な気持ちが部分的にでも復活したのは、空で見たものをほかの人と共有するようになってからだ。たとえばオーロラの兆候を見つけたときは客室乗務員に教えるようにした。作業の合間に近場の窓からのぞいたり、コックピットに来て、より大きな窓から美しい眺めを楽しんだりしてほしいからだ。実際、客室乗務員の多くはオーロラが出たと聞くと窓の外に目をやる。乗客が寝静まった機内で黙々と働いているときに、あれ以上の慰めはない。
美しいものやめずらしいものを見たとき、機内放送を入れるかどうかは微妙な問題だ。昼間のフライトであっても、機内放送で休息や映画の邪魔をするなという人もいる。おまけに横幅のある機体では、当然ながら中央座席にいる客はろくに外が見えない。そもそもオーロラはたいてい乗客が眠ろうとしている時間帯に現れるので、機内放送は入れないことが多い。起こしてくれてありがとう、と思う客ばかりではないのである。それでもかつての私のように、夜どおしパソコンで仕事をしているビジネスマンを見かけたら、クルーが近づいていって、そっと窓の外を指さす。北の空の海岸に打ち寄せる光の波を見てごらんなさいと。乗客が喜んでくれると、自分もまるで初めてオーロラを見たようにうれしくなる。
読んでいるだけで、パイロットという仕事の魅力が伝わってきて、「飛びたい病」に感染してしまうのです。
この人は、きっと、プライベートでも、こうやって空の話を目を輝かせながら語る人なのだろうな、なんて想像せずにはいられません。
まさに「人生の滋養になるエッセイ集」だと思います。
いまさらパイロットにはなれないけれど、この飛行機を操縦している人は幸せなのだろうな、と想像すると、少し、空の旅も楽しくなるんじゃないかな。