琥珀色の戯言

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【読書感想】広島カープ 最強のベストナイン ☆☆☆☆


広島カープ 最強のベストナイン (光文社新書)

広島カープ 最強のベストナイン (光文社新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
名うてのカープウォッチャーが、OB・現役の中からベストナインを決定!投手は先発3人と中継ぎ・抑えを1人ずつ、そして監督も加え、計14人にインタビュー。彼らの熱き言葉をお届けする。広島ファンのみならず、野球好き必読の書!


 これは、カープファン的には、それも、長年のカープファンにはたまらない一冊です。
 僕は初優勝には間に合わず、『江夏の21球』はリアルタイムで観た記憶がある世代なので、この新書を読み始める前に、自分なりの「ベストナイン」を頭に思い浮かべていました(この新書では、著者は外国人選手を除いています)。
 だいたい、僕の予想という結果だったのですが、外野手の三人目が丸佳浩選手だったのだけ、ちょっと意外かな、という感じです。
(ただし、これは「なるべく現役選手を入れてほしい」という編集部の要望があったそうです。まあ、それも売る側の立場としてはわかります)


 あとは、ショートは高橋慶彦野村謙二郎か……著者の二宮清純さんの答えは高橋慶彦だったのですが、通算成績では2000本安打も達成した野村選手のほうが上なんですよね。
 でも、あの「200発打線」をリアルタイムで観ていた世代であり、1番ショート・高橋慶彦、2番セカンド・木下、3番ライト・ライトル(なんか語呂が良いですよねこれ)、4番センター・山本浩二、5番ファースト・水谷、6番サード・衣笠、7番レフト・ギャレット、8番キャッチャー・水沼……と、何も参照せずに思い出せてしまう僕としては、「あのとき」のメンバーがたくさん選ばれているのは嬉しくもあり、当たり前だろ、という気分でもあり。
 それでも、セカンド・菊池というのは、正田や木下といった立派な候補がいるにもかかわらず、あの異次元守備を考えると、納得せずにはいられません。


 この新書、タイトルだけをみたら、「カープブーム」に乗って、オールドファンが妄想をたくましくしただけのもののように思われますが、さにあらず。
 さすが二宮清純さん、この「ベストナイン」のメンバー全員に直接インタビューをして、彼らの現役時代のカープについて訊ねているのです。
 ですので、ベストナインが誰か、というのは、あくまでも入口であって、彼らの「あのとき」そして「いま」を知ることができる、という、昔からのカープファンにはたまらない内容になっています。
 あのときは、そういうことだったのか……と長年のファンである僕も驚くような話もけっこう出てきます。
 そして、いろんな選手が、少しずつ、他の選手の話をしているのも面白い。
 あの前田智徳選手についての「伝説」を、一緒にプレーしていたり、コーチしていた人が語ってくれるなんて、なかなかありません。

 そういえば前田の引退試合の相手も中日だった。
 2013年10月3日、舞台は本拠地のマツダスタジアム。ゲーム前、前田は三塁側の中日ベンチに引退の挨拶に訪れた。
 中日ベンチには同じように今季限りでユニホームを脱ぐ山粼武司の姿があった。プロ24年生の前田と、プロ27年生の山崎。これだけ長く野球をやっていれば、さして親しくはなくても、一度や二度は言葉をかわしたことがあるのが普通だ。
 ところが、山崎によれば会話どころか、挨拶すらかわしたことがなかったというのである。
「前田、オマエと初めてしゃべったな」
「いやいや、恐れ多くて……」
「何を言うとるんや、オマエ!」
 山崎は社交的で親分肌、翻って前田は孤高を好む職人肌、交わる必然性がなかったのかもしれない。


 水谷実雄さんは、前田智徳選手の若手時代、コーチしていたときのことをこんなふうに回顧しています。

 前田はドラフト4位の入団、高校時代からバッティングには定評があった。加えて俊足、強肩、非の打ちどころがなかった。
「前田で感心したのは、練習をやめないところ。夜中の2時、3時くらいになると、前田の部屋から“ブン、ブン”とバットを振る音が聞こえてくる。一人で素振りをやっとった。一方の江藤の部屋からはまったく素振りの音が聞こえてこんかった(笑)。しいて言えば前田には、ボールをつかまえる瞬間、ちょっと重心が浮いてしまう欠点があった。頭が上がると、どうしても目線がブレてしまう。ここだけは注意しました。頭の上にゴムバンドを張り“これに頭をぶつけんように振れ”とね。
 まさか2000本も打つとは思わんかったけど、センスは際立ってしましたよ。ただアイツとは4年間一緒やったけど、しゃべるのを見たことがない。今はテレビなんかでようしゃべっとるけど、あれはどうなってるの(笑)」


 そうなんですよね、寡黙なサムライ、前田智徳さんもけっこうテレビでは、よくしゃべっているところを見かけるので、普段はしゃべり好きなのかな、と思っていたのですが、4年間一度も水谷さんの前ではしゃべらなかったのか……
 話半分としても、けっこうすごい。
 人って、相手がコーチでも、そんなにずっとしゃべらずにいられるものなのだろうか。


 また、「ミスター赤ヘル山本浩二選手と東尾修選手のこんな「対決」の場面も紹介されています。
 山本浩二選手の「印象に残っている1本のホームラン」の話。
 1989年の日本シリーズの初戦、西武に0−2で負けていたカープ
 1アウト1塁の場面で、バッターは山本浩二、ピッチャーは、ここまで完璧なピッチングをみせていた東尾修

 山本と東尾は年齢こそ4つ違いだが、同期入団、しかも、ともにドラフト1位。「浩二さん」「トンビ」と呼び合うなど、昔からウマが合った。
 打席に入る前、山本は強く自らに言い聞かせた。
「えげつないシュートは捨てないかん」
 風は向かい風。それを利用して、この日の東尾はアウトコースギリギリのスライダーをウイニングショットに使っていた。
「このスライダーを狙おう。逆風の日はライトポール際の打球がよう伸びる。アウトコースいっぱいのボールを、ど真ん中に設定しよう……」
 初球、甘いスライダーがど真ん中に入った。これを山本は平然と見逃した。バッテリーにシュートを狙っていると見せるための心理的な作戦だった。
 2球め、内角シュート。山本は腰を大げさに引いた。腰を引けば、外のボールはより遠くに見えるはず、とバッテリーは読む。これは外いっぱいにスライダーを投げさせるための、山本の一世一代の演技だった。
 3球め、狙いどおりのスライダーが外角へ。待ってましたとばかりに山本は踏み込み、全体重をバットの先端にのせた。打球は逆風を切り裂きながらライトポール近くの最前列へ。ひと振りで試合を振り出しに戻したのである。打たれた東尾はマウンド上でニヤッと笑った。奥義をきわめた達人同士にしからからない“無言の会話”だった。30年前を懐かしむように山本は話す。

 トンビとは仲がいいから、対談でよくこの話が出たよ。トンビが苦笑いしたのは“さすが浩二さん、やられたよ”という思いがあったからじゃないかな。あのボールはストライクいうても外角低めいっぱい、ぎりぎりのコース。ワシが言うのも何やけど、勇気、決断、集中力……。すべてを研ぎ澄ました末の究極の3球勝負だったと思う。印象に残っている1本を挙げろと言われれば、やはりあのホームランになるんやろうね」

 ピッチャーとバッターの勝負というのは、「甘い球が来たから打てる」というような単純なものばかりではなくて、こんな「駆け引き」があるんですね。
 まさに達人どうしのボールを通じての会話、だよなあ。
 これを読んでいて、初球の甘いど真ん中のスライダーを打てばいいのに……とも思ったのですが、そういうものじゃないのか。


 「赤ヘル」は、今となってはカープの象徴なのですが、最初のチームカラーは赤ではなかったそうです(僕の物心がついたときには「赤」でした)。
 衣笠祥雄選手は、カープが「赤」になったときのことを、こう振り返っています。

 1974年には、もうひとつ大きな出来事があった。インディアンスのコーチをしていたジョー・ルーツが打撃コーチに就任したのだ。翌75年、監督に就任したルーツは驚くべき改革を断行する。帽子の色を紺から赤に変えたのだ。
「赤は戦いの色、今季は闘争心を前面に出す」
 それがルーツの狙いだった。
 しかし、現場は冷ややかだった。もちろん衣笠も、である。
「正直言って照れ臭かった。ルーツから“帽子の色を赤にする”と言われたときは“うわぁ、えらいことになった”と頭を抱えましたよ。
 だって、赤の帽子なんて小学校の運動会以来、被ったことがない。ほら、だいたい、男の子って白、黒、紺と決まっているじゃない。案の定、シーズンが始まったら“ちんどん屋か!?”とからかわれましたよ(笑)」


 思い返してみると、子どものころって、赤は「女の子の色」のイメージがあったよなあ。
 今の時代からすると、チームカラーが赤になっただけで「ちんどん屋か?」とからかわれるなんて、ちょっと信じがたい話ではあるのですけど、当時のカープは優勝経験もない「弱小球団」で、だからこそ、「あんなに弱いのに、『赤』だってよ!」とバカにされてしまった面もあるのです。


 本当に、カープファン、そして、1970年代の野球ファンにとっては、たまらない一冊だと思います。


 今シーズンはセリーグの首位にいるカープ
 優勝を知らない選手たち、そしてファンたちが、「あの瞬間」を今年こそ味わうことができますように。
 というか、僕も優勝するってどんな感じなのか、すっかり忘れています。
 あの頃は、「優勝するのがあたりまえ」だったのにね。

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