琥珀色の戯言

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【映画感想】本能寺ホテル ☆☆☆

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あらすじ
倉本繭子(綾瀬はるか)は、会社の倒産を機に恋人の吉岡恭一(平山浩行)にプロポーズされ、恭一の両親の住む京都へ向かう。京都に着いた繭子は、路地裏にある“本能寺ホテル”に導かれ、気が付けば1582年の本能寺にいた。繭子は現代と1582年を行き来しながら、織田信長堤真一)や森蘭丸濱田岳)と交流を果たす。その日は信長が暗殺された本能寺の変の前日だった。


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 2017年2本目の映画館での観賞。
 レイトショーで、観客は僕も含めて2人でした。


 気軽に観られそうでまだ未見の映画がちょうど無かったので、万城目学さんごめんなさい、と思いつつ。
 とりあえず、前半は、綾瀬さんの胸元と時計ばかり観ていたような気がします。


fujipon.hatenablog.com


 というわけで、そんなに面白くない映画だと、さらに時計が気になりますね。
 とくに前半は、綾瀬さんが驚いたり走ったり逃げ回ったり空気が読めなかったりと、「綾瀬はるかプロモーションビデオ」のよう。
 でも、綾瀬さんがそうやって天然っぽいキャラ全開で出ているからこそ、荒唐無稽なストーリーでもとりあえず辛抱して画面を観ていられる、というのもまた事実です。
 アンチ綾瀬はるかにとっては(あんまりいないような気がするけど)、またあんな胸を強調するような服ばっかり着て!何よ演技ヘタクソなのに!という感じかもしれません。
 いや、別に薄着じゃないんですよ。にもかかわらず、「なんかすごいな……」と胸元に目がいってしまう……
 そして、制作側もそれを意識しているであろうことが伝わってくるのです。
 ほんと、どうせだったら、綾瀬さんが京都を2時間観光する映像作品のほうがよかったのでは……


 「僕と君とその周辺で完結するセカイを救うお話」(『ニコニコ大百科』の定義)がセカイ系とするならば、この『本能寺ホテル』というのは、歴史を変えた大きな出来事が、どこにでもいるような「自分には何のとりえもない」「やりたいことがない」という主人公を救うために奉仕するという、いわば「逆セカイ系」の物語なのです。
 こういう映画に時代考証とか歴史的事実とかを突きつけても無意味でしょう。
 でも、時代考証的なものを無視してつくられる「歴史劇」に存在意義があるのか、というのは、かなり難しい問いですよね。
 堤真一さんは、本当にいろんな仕事を断らずにやっているなあ、と感心してしまいます。唐沢寿明さんとか役所広司さんとかも。
 日本の映画って、シリアスなものもコメディも全部ごく少数の俳優が主役を「寡占」している印象があって、最近は、「堤真一を演じている役者」が、さらに役を演じているようにもみえます。
 山田康夫さんの真似でルパン三世を演じている栗田貫一さん、みたいな。


 コメディ、といってもどこで笑っていいのかわからないし、設定も無茶苦茶で、タイムトリップした先の時間経過と現実セカイの時間経過がどうして同じように進んでいるのか、とか考えはじめるとキリがありません。
 タイムトリップであるならば、1582年に行くたびに、向こうで起こった変化はリセットされているべきではないのか。


 それにしても無防備織田信長だよなあ。
 こんな警備体制だと、光秀の謀反がなくても、すぐに暗殺されそう。
 本能寺は城ではないので、外部に開かれていて、攻めやすそうではあるけれど、逆に、信長が逃げようと思えば逃げられる可能性があったのではないか、とか、明智光秀が謀反した際に、明智勢でひとりやふたり、本能寺に通報するものがいなかったのか、とか考えてしまいます。
 とりあえずあの場を逃れることさえできれば、信長はすぐに態勢を建て直し、光秀を討伐することができたはず。
 
 本能寺の変は、日本の歴史上最もドラマチックな場面ではあるけれど、光秀が謀反に踏み切った理由も含め、謎が多いとされています。
 おかげで、いろんな解釈がいまでも出てきていますが、結局のところ、「正解」はわからないのです。
 ただ、この映画のストーリーが「正解」ではないだろうな、ということはわかるけど。


 とりあえず、それなりに楽しめたというか、綾瀬はるかさんが好きなら、まあ許容範囲、という映画だと思います。
 あと、自己啓発書とか「自分さがし」が好きな人にも、向いているんじゃないかな。


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