琥珀色の戯言

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【読書感想】失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織 ☆☆☆☆☆

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織


Kindle版もあります。

内容紹介
なぜ、「10人に1人が医療ミス」の実態は改善されないのか?
なぜ、燃料切れで墜落したパイロットは警告を「無視」したのか?
なぜ、検察はDNA鑑定で無実でも「有罪」と言い張るのか?
オックスフォード大を首席で卒業した異才のジャーナリストが、医療業界、航空業界、グローバル企業、プロスポーツリームなど、あらゆる業界を横断し、失敗の構造を解き明かす!


 この本の冒頭で紹介されている大きな「失敗」の一例、簡単な手術の際の麻酔に関するトラブルで、患者さんが亡くなってしまった事例を読んでいて、僕は動悸が止まらなくなりました。
 臨床医をやっていれば、こういう「不測の事態」に対応しなければならないことはありますし、「処置がうまくいかないことに焦り、その処置に熱中するあまり、患者さんの全身状態を見失ってしまう」事例は少なからずあるのです。
 気管切開、という状況を打開するための決定的な方法があったのに、それを行うための準備もされていたのに、まるで金縛りにでもあったように、事態は悪い方向に向かってしまいました。
 本当に、他人事ではないなあ、と思いながら読んだのです。

 人は誰でも、自分の失敗を認めるのは難しい。ほんの些細な失敗でさえそうだ。友達同士での気楽なゴルフでさえ、自分のスコアが思わしくないと不機嫌になる。だから、仕事、親の役割など、自分の人生にとって重要なことで失敗を認めるのは、もう別次元の難しさになる。
 何かミスを犯して自尊心や職業意識が脅かされると、我々はつい頑なになる。とくに、長年経験を積んで高い地位に昇りつめた医師にとって、失敗を公にするのは耐えがたい苦痛だろう。
 社会全体で考えても、失敗に対する姿勢は矛盾している。我々は自分の失敗には言い訳をするくせに、人が間違いを犯すとすぐに責め立てる。
 2014年に韓国で大型旅客船の転覆事故が起こった直後、韓国の朴大統領はまだ事故調査さえ始まっていない段階で、船長の行動を「許されざるものであり、殺人行為に等しい」と糾弾した。朴大統領は、「犯人」を槍玉に挙げて殺気立つ世論を納得させようとしたのだ。


 我々は何かとスケープゴートを見つけようとする。エレイン・ブロミリーの死亡事故も、詳細を聞けば誰でも憤りを感じるはずだ。なぜ医者はすぐに気管切開をしなかったのか? なぜ看護士はもう一度呼びかけなかったのか? みんないったい何を考えていたんだ! 誰も、当事者の立場に立って「何か複雑な原因があったのかもしれない」などとは考えない。その結末はとてもシンプルだ。誰もが失敗を隠すようになる。学習に欠かせない貴重な情報源を、活用することもないままに葬り去ってしまう。


 医療業界と航空業界を比較して、「失敗した人を責めないことを前提に、状況を検証し、情報公開する」ことの重要性が語られています。
 失敗から学ぶことによって、飛行機は極めて安全な乗り物になりました。
 医者というのは責任が重く、プライドが高い。
 でも、航空機のパイロットも、同じ、あるいは一度に背負っている人の命の数からいえば、それ以上の責任を負っています。
 自分の失敗を認めたくもないし、認めたら周囲から強く責められることがわかっているために「誰にでも、一定の確率で起こる失敗」や「ふだんはできて当たり前でも、特殊な状況下だったためにうまくいかなかったこと」まで、状況が解析されず、情報が共有されないことで、同じ失敗が繰り返されてしまうのです。


 どんなに熟練した人であっても、極限状態になればパニックになって、適切な判断を下せなくなる可能性はあります。
 「本当の緊急事態」というのは、シミュレーターで練習できるようなものではありませんから。


 著者は、「クローズド・ループ現象」という、「失敗から人が学べなくなる理由」のひとつについて、繰り返し採りあげています。

 医学の黎明期を振り返れば、この現象の意味はつかみやすい。
 西暦2世紀、ギリシアの医学者ガレノスが「瀉血」(血液の一部を抜き取る排毒療法)を広めたとき、水銀療法なども含めたこの種の治療法は、当時の最高の知識を持った学者が、まったくの善意から生み出したものだった。
 しかし、その多くには実際の効果がないばかりか、なかには非常に有害なものさえあった。とくに瀉血は、病弱な患者からさらに体力を奪った。当時の医師たちがそれに気づかなかった原因は単純だが、根が深い。治療法を一度も検証しなかったのだ。彼らは患者の調子がよくなれば「瀉血で治った!」と信じ、患者が死ねば「よほど重病だったに違いない。奇跡の瀉血でさえ救うことができなかったのだから!」と思い込んだ。
 これこそ典型的な「クローズド・ループ現象」だ。「クローズド・ループ」「オープン・ループ」はもともと制御工学で用いられる用語だが、本書では意味が異なる。ここでいう「クローズド・ループ」とは、失敗や欠陥にかかわる情報が放置されたり曲解されたりして、進歩につながらない現象や状態を指す。逆に「オープン・ループ」では、失敗は適切に対処され、学習の機会や進化がもたらされる。

 ちなみに、現在でも、一部の肝臓疾患では、瀉血は肝機能の改善に有効な処置として行われており、これは、ある程度効果があるというデータが出ています(最近はほとんど行われなくなりましたが)。


 この本のなかで、あの「アドラー心理学」の、アルフレッド・アドラー心理療法も「クローズド・ループ現象」の事例として採りあげられています。
 アドラーの理論の中心は「あらゆる人間の行動は、自分を向上したいという欲求(優越性の追求、または理想の追求)から生まれる」という、「優越コンプレックス」だそうです。

 1919年、カール・ポパーアドラーに会い、アドラー理論では説明がつかない子どもの患者の事例について話した。ここで重要なのはその詳細ではなく、アドラーの反応だ。そのときのことを、ポパーはこう書いている。

 彼(アドラー)はその患者を見たこともないのに、持論によってなんなく分析した。いくぶんショックを受けた私は、どうしてそれほど確信をもって説明できるのかと尋ねた。すると彼は「こういう例はもう1000回も経験しているからね」と答えた。私はこう言わずにはいられなかった。「ではこの事例で、あなたの経験は1001回になったわけですね」


 ポパーが言いたかったのはこういうことだ。アドラーの理論は何にでも当てはまる。たとえば、川で溺れる子どもを救った男がいるとしよう。アドラー的に考えれば、その男は「自分の命を危険に晒して、子どもを助ける勇気があることを証明した」となる。しかし同じ男が子どもを助けるのを拒んでいたとしても、「社会から非難を受ける危険を冒して、子どもを助けない勇気があることを証明した」となる。アドラーの理論でいけば、どちらにしても優越コンプレックスを克服したことになってしまう。何がどうなっても、自分の理論の裏付けとなるのである。ポパーは続けた。

 人間の行動でこの理論にあてはまらないものを、私は思いつかない。だからこそ——あらゆるものが裏付けの材料になるからこそ——アドラー支持者の目には強力に説得力のある理論だと映った。一見すると強みに見えたものは、実は弱点でしかなかったのだと私は気づいた。


 クローズド・ループ現象のほとんどは、失敗を認めなかったり、言い逃れをしたりすることが原因で起こる。疑似科学の世界では、問題はもっと構造的だ。つまり、故意にしろ偶然にしろ、失敗することが不可能な仕組みになっている。だからこそ理論は完璧に見え、信奉者は虜になる。しかし、あらゆるものが当てはまるということは、何からも学べないことに等しい。


 アドラー心理学は、近年日本でかなり流行っているのですが、こういう観点でみてみると、なんだかとてつもなくいかがわしいもののようにも思えてきます。
 「あらゆるものが当てはまるということは、何からも学べないことに等しい」、実際にこの本を読んでいただくのが一番良いと思うのですが、この文章を読んでくださっている方には、この一文だけでも、持って帰ってほしい。


 また、「失敗することを前提とした試行錯誤の重要性」について書かれた章もあります。
 もちろん、医療や飛行機でそれをやるべきではありませんが、商品開発の現場では、「考えるより、まず作ってみる」ことが成功につながる場合も多いのです。
 ユニリーバ(洗剤などの大手メーカー)が高圧噴霧用のノズルを開発したときの話。
 ユニリーバでは、まず数学者のチームに理想的なデザインを研究してもらったのですが、結果的にうまくいかず、自社の生物学者チームに開発を依頼したそうです。

 生物学者チームはまず、目詰まりするノズルの複製を10個用意し、ひとつずつわずかな変更を加えて、どんな違いが出るかテストしてみた。つまり、あえて「失敗」した。「ノズルを伸ばしたり、短くしたり、大きな穴や小さな穴を開けたりしました。内側に溝を堀ったこともあったかもしれません」とジョーンズは当時を振り返る。「しかし、そのうちひとつが小さな結果を出したんです。ほんの1、2%なんですが、オリジナルのノズルより生産性が向上しました」
 そこで今度はその「成功」モデルを基準にして、また少しずつ違う変更を加えた型を10種類作ってテストした。その後、チームは同様のプロセスを何度も何度も繰り返した。こうして45世代のモデルと、449回の失敗を経て、チームは「これだ!」というノズルにたどり着いた。それまでよりはるかに効率のいいノズルの誕生だ。
 進歩や革新は、頭の中だけで美しく組み立てられた計画から生まれるものではない。生物の進化もそうだ。進化にそもそも計画などない。生物たちがまわりの世界に適応しながら、世代を重ねて変異していく。最終的に出来上がったノズルは、どんな数学者も予測し得ない形をしていた。


 著者は「失敗した人を強く責めることは、組織を萎縮させ、みんなが『自分の失敗を隠蔽しようとするようになる』ために、再発予防にはつながらないどころか、かえって悪い結果を生む」というデータを紹介しています。


 いまの日本社会をみると、「誰かに責任をとらせる」ことが「問題解決」だと認識されており、「今後、その失敗を繰り返さない」ことよりも、「探しだした悪者の処罰」のほうに重きが置かれているように思えてなりません。
 でも、自分の身内が医療行為の失敗や交通機関の事故で命を落とせば、「誰のせいなんだ!」と憤るのが普通、だという気もしますよね。
 ところが、冒頭の麻酔事故で命を落とした患者さんの家族は「責任者の処罰よりも、同じ失敗を繰り返さないための原因究明と情報公開」を望み、自らそれを推進してきたのです。


 この本の最後に、その医療過誤で亡くなったエレイン・ブロミリーさんの家族のもとに届けられた、医療関係者からのたくさんのメッセージの一部が紹介されています。


 「あなたたち御家族がこうして医療者が失敗した事例を公開し、情報共有してくださったおかげで、自分が同じ状況に立たされたとき、迷わずに患者さんに適切な処置を行うことができました。本当に感謝しています」


 亡くなった人を救うことはできないけれど、失敗を共有することによって、新たな犠牲者を出さずにすんだのです。
 僕はこれを読んで、涙が止まりませんでした。
 人は、失敗する。
 でも、人は、失敗からこそ、学ぶことができる。

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