琥珀色の戯言

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【読書感想】騎士団長殺し ☆☆☆☆

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

内容紹介
1Q84』から7年――、
待ちかねた書き下ろし本格長編


その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。


 そうか、『1Q84』から、もう7年も経ってしまったんですね……
 この『騎士団長殺し』、タイトルをみて、村上春樹さんも、カズオ・イシグロさんみたいに、ファンタジーとか神話みたいな小説を書くようになったのか?と思ったのです。
 タイトルをみても、どんな小説だか、まったくわかりませんよね。
 そもそも『騎士団長』とは何なのか?
 正直、読み終えても、僕にはうまく説明できません。
 「リトル・ピープル」的なもの、と言えばいいのだろうか……
 この『騎士団長殺し』を読んでいると、これまでの村上春樹作品に登場してきたキャラクターや場面を思い出すところがたくさんあります。
 あっ、ふかえり!とか、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だ!とか、(村上作品じゃないけど)『グレート・ギャツビー』?とか。
 そういえば、表紙に緑と赤が使われているのは『ノルウェイの森』だな。


 もちろん「そのまま」じゃないんですけど、とくに『ねじまき鳥クロニクル』を思い出すところが多かった。
 『ねじまき鳥クロニクル』は、僕にとっての村上春樹さんの最高傑作なのですが、自分が読みこなせているか、と問われると、ちょっと自信がない。
 でも、そういう「なんとか読み終えられるくらいの高さの文学的登山」を体験させてくれた作品でした。
 読み終えると、少し自分が「本を読めるようになった」充実感があるのです。

 この『騎士団長殺し』って、せっかく最近の村上春樹さんが確立してきたはずの「三人称小説」から、「一人称」に逆戻りしていたり(ただし、一人称は「僕」ではなくて「私」です)、やたらと女性と寝て(しかも不倫なのに、相手の女性のパートナーの姿は今回も見えない。夫の肖像画も書けばいいのに!)、おいしそうな料理をつくり、トヨタジャガーとLPレコードを推す「村上春樹節」全開です。
村上さんも68歳、ということを考えると、もう、何か新しいことをやるというよりは、自分の作家人生を「総括」する時期だと思っているのかもしれません。

 妻と別れてその谷間に住んでいる八ヶ月ほどのあいだに、私は二人の女性と肉体の関係を持った。どちらも人妻だった。


この御時世に、「不倫に罪悪感のかけらもない男女」が描かれているというのは、「フィクションだから」と割り切れないところもあるのです。
そんなこと言ったら、「フィクションの中での人間の自由」が失われてしまうのは百も承知なんだけれど。
それに、もうすぐ70歳になろうという人が、中学生の胸や下着がどうたら、みたいなことを延々と書き続けているというのは、けっこう気持ち悪いよね。
なんか、どんどんセックス関連の描写が受け容れがたくなっているのは、僕が『ノルウェイの森』の頃の「失うものがない童貞男」から、「すっかり守りに入ってしまった中年オヤジ」になってしまっているから、なのだろうか。
これを読むと、家族を習い事に通わせるのが不安になりますし。


もしかしたら、僕にとっての『騎士団長』は、村上春樹さんなのかもしれない。
村上春樹の小説は「普遍性がある」ようにみえるけれど、なんでもセックスで語ってしまうスタイルは、もう「古い」のではないか?
読者は、村上春樹という権威化してしまった「イデア」を「殺す」ことによって、小説の未来を切り開くべきだ、と、村上さん自身が暗喩しているのではないか?


村上春樹さんという人は、文学的体力がある人ですし、ちゃんと設計図をかいて作品をつくっているのではないかと思うんですよ。
免色さんというのは、村上春樹の一面のメタファーでもある。
そんな村上春樹さんが、ここまであからさまに「ベストアルバム」みたいな小説を書くのだろうか?と僕は疑問でした。
そして、読み終えてもずっと、考えています。
もしかしたらこれは、村上春樹さんが、あえて、「村上春樹という作家が書きそうなだと世間が思っているであろう小説(村上春樹っぽい小説)を書いてみた作品」なのではないか?
セルフカバーというか、本人によるメタ村上春樹というか……


これは、まさに「村上春樹が、自らの肖像画を書いてみた小説」だと、僕は思ったのです。


こういう「旅先の酒場で偶然となりに座った人が話してくれた不思議な話」的なものを「読ませる技術」って、本当にすごい。
科学的に辻褄が合わない話を、「そういうものだ」と読者に受け取らせるのは、並大抵の筆力ではありません。
でも、読み終えても、登場人物の個人的な問題はある程度解決したのだろうけど……という、ちょっと拍子抜けしてしまう感じはあるのです。
不穏な空気は、読み終えてもまだ漂い続けている。


これは、いままでだと「第3部」があるパターン、のようにも思われるのですが、個人的には、もうこれで終わりのほうが幸せなんじゃないか、という気もするんですよ。
しかし、これで終わりだと、あまりにも「小さい世界の話」でもある。うーむ。


ただ、「原点回帰」しているようで、少しずつ、以前とは違うところに着地してもいるんですよね。
この『騎士団長殺し』って、これまでも村上春樹さんの長編では存在していた「主人公や世界にとっての、明らかな敵」が、なかなか見えてこないところがあるのです。
それは、村上さん自身、そして読者にとっての、良い意味では「成熟」だし、悪い言葉にすれば「妥協」なのかもしれません。

「どんな本を読んでいたの?」
 私は読んでいた本を彼女に見せた。それは森鴎外の『阿部一族』だった。
「『阿部一族』」と彼女は言った。そして本を私に返した。「どうしてこんな古い本を読んでいるの?」


 高校時代に、国語の先生が、この『阿部一族』という小説のことを教えてくれたのです。
 「森鴎外の最高傑作で、すごい作品なんだけれど、とにかく読むのはけっこうキツいというか、退屈な小説なんだよね」って。
 『騎士団長殺し』って、「調味料を使って読みやすくした『阿部一族』」のようにも思えてくるのです。

「じゃあもしぼくが『騎士団長は存在しない』と思ってしまえば、あなたはもう存在しないわけだ」
「理論的には」と騎士団長は言った。「しかしそれはあくまで理論上のことである。現実にはそれは現実的ではあらない。なぜならば、人が何かを考えるのをやめようと思って、考えるのをやめることは、ほとんど不可能だからだ。何かを考えるのをやめようと考えるのも考えのひとつであって、その考えを持っている限り、その何かもまた考えられているからだ。何かを考えるのをやめるためには、それをやめようと考えること自体をやめなくてはならない」
 私は言った。「つまり、何かの表紙に記憶喪失にでもかからない限り、あるいはどこまでも自然に完全にイデアに対する興味を失ってしまわない限り、人はイデアから逃げることができない」


 なんのかんの言っても、僕は村上春樹さんを「スルー」できない。
 「スルーしよう」と思っている時点で、「スルーできていない」のだから。


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