琥珀色の戯言

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【読書感想】牛肉資本主義―牛丼が食べられなくなる日 ☆☆☆☆

牛肉資本主義―牛丼が食べられなくなる日

牛肉資本主義―牛丼が食べられなくなる日


Kindle版もあります。

牛肉資本主義―牛丼が食べられなくなる日

牛肉資本主義―牛丼が食べられなくなる日

内容紹介
「うまい、はやい、安い」といえば、牛丼。
給料日が迫った繁華街の昼、多くのサラリーマンが牛丼屋に
駆け込む姿は、今や日常の見慣れた光景である。
日本人の生活に浸透する庶民の味方といえる牛丼。
しかしながら、私たちのしらないところで
「日本で牛丼が食べられなくなる日が来る」という動きが現実化しつつある。
その流れをつくっているのは、リーマンショックの後、
息を潜めたかにみえた「マネー資本主義」。
このグローバルマネーが次のターゲットに選んだのは、「牛肉」だった。
世界的な牛肉争奪戦の裏で進行する、知られざる動きとは一体何なのか。
里山資本主義』『里海資本論』の著者が、「強欲化する世界」に迫る渾身の1冊。


 この本を読みながら、僕は子どもの頃「牛丼の吉野家」のCMをみて、ひそかに感動していたことを思い出しました。
 当時、僕が住んでいた地方都市に吉野家はなくて、『キン肉マン』に出てくる牛丼をみて、あれこれ想像していたのですが、いまから35年前くらいって、「牛肉をあの値段で食べられる」ということそのものが、けっこう「すごいこと」だったんですよね。
「牛肉=ごちそう」という時代でした。
 マクドナルドが街のバスセンターにはじめてできたときも、すごい賑わいだったものなあ。なんだか新しいものが来た!って。
 でも、食べてみると、「けっこう割高だな、ピクルスって変な味がするし……」というのが、正直な感想だったのです。


 ところが、今は「牛肉」は、ごちそうの代名詞ではなくなりました。
 もちろん、高級牛のステーキや焼肉は、それなりに値が張るけれど、日常的に牛肉を口にしているし、それがとくに「ぜいたく」だと感じることもありません。


 著者は、中国でも経済成長により、牛肉が消費されるようになってきたことを紹介しています。

 中国の内陸部、肉といえば豚か鶏で、もともとほとんど牛肉を食べなかった地方都市で、牛肉需要が信じられないような爆発的スピードで増えていた。
 地元の中華料理店の一番の人気メニューが「牛肉炒め」になり、街には西洋式のステーキハウスが続々オープンしていった。なぜそんな片田舎で牛肉ブームがこれほど加速するのか。
 人々が豊になり、高価でおいしい牛肉を食べたくなったからだ、そういう志向が加速度的に拡大しているからだ、と説明される。もちろんそれもあるだろう。しかしそれでは、何千年も続いた中国人の食習慣が一変したことは、実は、なかなか説明できない。
「牛肉を売る人が急に増えた」ときいて、これまで不可思議に思えた現象が腑に落ちた。
 リーマンショックのあと、いわゆるギリシャ危機が起きてヨーロッパが陥った経済の低迷。それまで大量に買っていた機械などの製品の輸入を、EUの国々が減らしたため、「世界の工場」である中国は、もろにあおりを食った。ヨーロッパ向けに機械などを輸出することで利益をあげてきた貿易商が、もうからなくなり、まったく別の業種に「転職」を決意した。
 次に彼らが始めたのは「牛肉輸入業」だった。儲けを増やすため、もっと牛肉を輸入したいから、どんどん食べさせようと、ちょっとした「牛肉ブームの火」と「ふいご」で風を送り燃え盛らせるがごとく、投資で増やした資金などをどんどんつぎ込んでいった。
 別に牛肉でなくてもよかったのだが、牛肉は儲かるなら牛肉だ、消費を拡大しようとなり、牛肉のメニューを増やせ、ステーキハウスをオープンさせろ、ステーキ肉を食わせろとなった。マネー資本主義が得意とするある種の「逆回転のサイクル」が加速度的に回り始めたのだ。これが牛肉ブームを引き起こす「本末転倒」である。

 こういう点では、まさに中国は日本が歩んできた道を、同じように辿ってきているのです。


 中国での牛肉ブームは、「売る側の思惑」によってつくられたものでもあったのです。

 内陸部の中華料理店において、何百年、あるいは何千年もの間、肉といえば「豚」か「鶏」だった。中国の北の地域なら、これらに「羊」が加わる。「牛」は肉としてほとんど食べなかった。肉が硬いため、麺のだしに使うのが一般的とされてきた。だから肉の値段としても上から「豚」「鶏」「牛」で、牛の地位は低かった。
 しかし最近になって、これまでの長年の立場に「逆転現象」が起きた。外から入ってきたブーム、価値観によって、突然「牛」「豚」「鶏」の順番になったのだ。
 客たちが次々と注文する。「牛野菜炒め」。値段はどんどん上がって、今や一皿800円。日本人の我々からみても、結構な値段だ。しかし実はその値段の高さが、「人気の秘密」なのだ。みんなが争って食べるため、値段が上がる。そうなると、客はますます「牛肉炒め」を食べたくなる。昔は豚肉が牛肉よりも格上だったのに、なんだか牛肉の方がおいしいような気がしてくる。実際、今の牛肉は昔のような硬い牛肉ではない。輸入された柔らかい牛肉だ。
 冷静に考えてみれば、みんなが競って注文するほど、牛肉の方が格段に旨い一品とは思えない。豚肉の肉野菜炒めだって十分おいしいはずだ。でも、注文は殺到する。今、空前の牛肉ブームが起きているのだ。


 いまの中国では、牛肉を食べられることが「豊かさの象徴」のようになっているのです。
 かつての日本が、そうであったように。


 農産物と工業製品には、とくに関連はないように思われます。
 ところが、いまの世界では、「お金になるものなら、何でも扱う」という業者が、たくさん出てきているのです。

 中国を取材する私たちの前に次々と現れた「にわか牛肉バイヤー」や「にわか牛肉加工業者」に、「にわかステーキ店オーナー」。長年の国をあげての努力で「世界の工場」となった中国のお先棒をかついできた人たちが、ヨーロッパに機械や化学製品を売るビジネスが不調になってきたからと、肉や穀物などの「食の世界」にどっと流れ込んでいた。こっちならまだまだ成長できる、と.実際、売り上げは前のビジネスをわずか数年で追い越した。夢のようなビジネスである。
 成長しない分野ばかりになり、株も債券も先行き不透明といっている時代に、ブラジルには目を見張らんばかりの成長を遂げるものがあった。
 それが大豆畑だ。農地でも開拓するかと未開拓の大草原にやってきた農家が、みるみる「大豆王」に成長した。作れば作っただけ売れる、畑を広げれば広げただけ儲かる、という分野が、まだ世界にはあったのだ。
 20世紀の始めあたりからアメリカが始め、世界に広げて極まっていった「強欲資本主義」には、大きな特徴がある。行き詰まっても「たたまない」。正確にいえば、「いったんはたたむが」が、すぐ反転して「さらに大きくなる」。そうyって事態を打開し、経済成長を取り戻す。そして無限を目指す。自動車に代表される既存の産業、マネーでマネーを生み出す仕組みが馬脚を現したといっていい現状から、どう反転して大きくなるか。何かないか。アメリカ型資本主義が、長い時間をかけて世界に広げていったもうひとつの「豊かさの象徴」、つまりは牛肉などの「食」が、時代の牽引役になっていったのである。


 いろんな「実体のないもの」を売買して儲けるビジネスをやってきた人たちが、ようやくたどり着いたのが、人間にとって、無くては生きられないもの、すなわち「食」だったのです。
 しかしながら、食肉をつくるためには、たくさんの飼料や広大な土地を必要とします。
 それらの農産物を人が直接食べたり、牧草地を農地にすれば、より多くの人のエネルギーをまかなうことができるのですが、牛肉を食べる生活に慣れてしまった人たちは、肉を食べたくなってしまうのです。
 人口の多い中国での牛肉の需要が高まると、世界の市場で肉は不足することになります。

 庶民の暮らしに影響は出ていないのか。私たちはニューヨーク・ダウンタウンのスーパーを取材した。肉売り場には、きれいに切られたバックに入った牛肉がたくさん並んでいた。「いくら買っていただいても足りなくなりませんよ」という感じで並んでいる。
 しかし、何人もの人が牛肉のパックを一度は手に取って眺め、また棚に戻している。
 なぜなのか、聞いてみた。答えは、最近値上がりして以前のように食べられなくなったからというものだった。このスーパーでは、牛肉の値段が1年で2割上がった。
「昔は毎日食べていたのに、牛肉を食べる機会が少なくなりました。スーパーで買っても、すごく高いんです」
 と子ども連れの母親が寂しそうに言う。
「牛肉はおいしいんですが、高すぎて手が届きません。お金が足りません」
 と語ったのは、年金生活者と思われる高齢の女性。この高齢の女性は結局牛肉をあきらめ、鶏肉の棚に移動した。鶏肉のパックをとっかえひっかえ眺めたあと、ひとつのパックをスーパーのかごに入れた。
 これが庶民にふりかかる現実だ。この現実が日本に上陸しない可能性があるだろうか。


 すでに、日本もけっこうギリギリのところにきていて、バイヤーたちの努力でなんとか急激な値上がりを食い止めている、というのが現状のようです。
 自分たちはこれまでさんざん豊かな食生活を享受しておきながら、「自分たちのものがなくなるから、中国人は牛肉を食べるな!」と言うわけにもいきません。
 生産したエネルギーを効率的に活かす、という面からは、肉というのはかなり贅沢な食べ物であることは間違いないのです。

 
 現在の日本は「食」においては、世界でいちばん恵まれた国のひとつだと思います。
 でも、それは日本の経済力が強かったから、でもあったのです。
 もしかしたら、これからまた日本でも「牛肉=ぜいたく」の時代が来ることになるのかもしれませんね。

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