琥珀色の戯言

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【読書感想】師弟 ☆☆☆

師弟

師弟

内容(「BOOK」データベースより)
プロセスなき成功は、失敗よりも恐ろしい。無欲は、究極の欲。感性とマイナス思考は比例。「変化」は「勝負」。負けたと思わなければ勝利につながる。チームが先か、個が先か。三流は無視、二流は賞賛、一流は非難。胸ぐらをつかむか、襟首をつかむか…仕事がわかる。野球がわかる。そして人生がわかる。


 野村克也さんにとって、ヤクルト監督時代の最高の教え子だった、宮本慎也さん。
 この本、野村さんと宮本さんが、約20年前の現役時代に野村監督のミーティングを聞いてまとめたノートをもとに、あらためて、「プロとして生きていくために、何をすべきか」を語り合う、という内容です。
 

 宮本さんは、野村監督のもとでの選手時代をこんなふうに振り返っています。

 5時過ぎまで練習をし、宿舎に戻ると、6時から食事です。食後、ミーティングルームに集合し、7時から8時まで監督の話に耳を傾けました。ミーティングの後は夜間練習が待っています、文字通り、野球漬けの毎日でした。
 ミーティングでいちばん驚かされたのは、最初の数日間、ほとんど野球の話が出てこなかったことでした。<男性の平均寿命は77歳でプロ野球選手の寿命は長くても15年から20年なのだから、第二の人生に備え、野球を通じて自分を磨かなければならない>とか、哲学者ニーチェの<生きるための目的を持っている人は、ほとんどどんな生き方にも耐えられる>という言葉を引用して目的意識とは何かを論じたりするのです。


 野球のミーティングで、ニーチェまで出てくるのか……
 野村克也監督の門下生は、現ヤクルトの真中満監督など、指導者としても活躍している人が大勢いるのです。
 もちろん、野村監督のミーティングに参加していたからといって、すべての選手の意識が変わった、というわけでもないので、やはり「受け手の姿勢しだい」というところもあるのですけど。

 野村監督に「根拠があれば、俺は見逃し三振をしても怒らない」と言われ、目から鱗が落ちました。そこまでの野球人生で、そんなことを言われたのは初めてだったからです。
 ほとんどの野球選手が少年野球の時代から「見逃し三振は何も起きないからダメだ」と言われ続けてきたのではないでしょうか。小学生の頃はストレートばかりですから、それは正しい教えなのかもしれません。しかしプロともなれば、追い込んだ後、いちばんいい球を投げるものです。あらゆるボールを想定しながら、それを打つのは至難の業です。
 たとえば調子がいいときのダルビッシュは追い込まれてからでも、コースと球種をしぼらなければ打てませんでした。そこは、野村監督がよく言うように勝負です。いつも監督の隣に座っていたので、真っ直ぐで見逃し三振しても、「今、何を待ってたんや?」と聞かれ、「こういう状況だったので、変化球です」と言うと、「うん」と納得してもらえました。それが野村監督の言葉を借りれば「理をもって戦う」ということなのです。理は理由の「理」であり、原理の「理」でもあります。
 野村監督は「根拠のある見逃し三振ができるようになれば2割7分の打者が3割を打てるようになる」と話していたことがあります。山崎武司さんが楽天に移籍し、2007年にキャリアハイとなる43本塁打をマークして2度目の本塁打王を獲ったのも、見逃し三振を怖れなくなったからだと聞いています。
 野村監督は捕手に対しても、「根拠のないサインは出すな」と口を酸っぱくして言っていました。そして、どうしても根拠が見つからないときは外角低めに投げさせなさい、と。外角低めのことを野村監督は「原点」と呼び、困ったら原点に戻りなさいと指導していました。


 観客としては、チャンスで見逃し三振をされると「せめて振れよ……」と言いたくなるんですよね。
 でも、野村克也監督は、「どんなボールでもとりあえず振る」よりも、「狙い球を絞って、それが外れたら仕方が無い」と割り切っていたのです。
 プロの一流投手の場合は、やみくもにスイングしても結果が出る可能性は低い、という根拠のもとに。
 外側からは、同じ「見逃し三振」でも、そこに「思考」と「根拠」があるかどうかによって、長い目でみれば、結果は全然違ってきます。
 スポーツにおいて「考えることの重要性」を野村監督は言い続けているのです。
 でも、そうやって突き放すだけではなくて、キャッチャーに対しては「困ったときは外角低めに投げろ」という救済案まで差し出してあげているのは、けっこう優しい人なんだな、という気もします。
 監督としては勝つ可能性を高めるために必要なアドバイスでもあるのでしょうけど。


 また、野村監督は「プロで生き残る選手」について、こんな話をされています。

 プロで生き残るのには、一にも二にも、一芸に秀でることだ。だから、打者であれば、まずは長距離打者で生きるのか、短距離打者で生きるのか、どちらかに決めなければならない。正しい努力の方向性を定めるのだ。短距離打者が飛距離を伸ばそうと努力することなど、ウサギが空を飛ぶ努力をするようなものだ。ウサギが生き残るためには、さらに速く走るための練習をすべきなのだ。
 一芸という点では、宮本ははっきりした選手だった。編成部に「いいショートを獲ってほしい」と頼んだら、「バッティングに目をつむってくれるならいる」と。捕手とショートは守備力優先だから、それでも構わないと言った。宮本には冗談でよく「自衛隊でいい」と言ったものだ。守りだけに専念せい、という意味である。
 古田を獲ったときも、やはり守備はいいが、バッティングはさっぱりだという評判だった。しかし、不思議なもので、彼らはいずれも後に2000本安打を記録している。大学、社会人を経由して2000本に到達したのは彼らを含めわずか3人しかいないという大記録だ。
 一芸は道に通じるというが、一つのことを極めた選手は、やはり他の分野でもやがて頭角を表すものなのかもしれない。効率よく技術を修得する法則を知っているし、自分に自信があるから他の技術を磨く余裕も生まれてくる。


 「一芸入試」なども、こう考えると、合理的ではあるのでしょう。
 いち野球ファンからすると、宮本選手や古田選手は入団当初「守備の人」であり、まさか彼らがこんなに打者として覚醒し、2000本安打まで達成するとは思いませんでした。
 ずっと守備固めで終わる選手もいるけれど、「守備を買われてプロ入りした選手」のなかに、ときどき、打者として予想外の進化を遂げる選手っているんですよね。
 それは、センスというのもあるのだろうけれど、「考えてプレーするかどうか」が大きいのではないかと思います。


 僕は野村克也さんの著書をけっこう読んでいるのですが、この本は、弟子である宮本慎也さんから「ノムラの教え」をみることができたのが、けっこう新鮮でした。
 本人が語ると、どうしても人生訓、説教くさくなるのが、他者を通じて語られると洗練されることもあるのだな、って。

 野球ファンのみならず、何かを指導する立場にある人は、読んでみて損はしないと思います。
 

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