- 作者: 佐藤天彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/04/13
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 佐藤 天彦
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
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内容紹介
羽生善治氏を破った20代の新名人はいかにしてその勝利を掴んだのか? そこには理想をイメージする圧倒的な思いの強さ、それを現実化する緻密な思考力があった。将棋ファンからビジネス、人生設計……全ての夢を持つ人に贈る一冊。
現在(2017年4月)の名人・佐藤天彦さんのはじめての著書。
僕は将棋の棋士の本を読むのが好きで、けっこうよく読むのですけど、この本は、佐藤さんのライフスタイルや考え方が主に書かれていて、将棋や対戦相手についてのエピソードはそんなにありません。
20代にして名人となった「ゆとり世代」の棋士は、どのようにしてここまでたどり着いたのか僕は興味があったのです。
佐藤さんは中学時代に「もうすぐ奨励会をクリアしてプロ棋士になれる」というポジションまでたどり着きながら、なかなか「四段の壁」を破ることができず、プロになっても、しばらく低迷期があったというのをはじめて知りました。
名人になるような人というのは、「神童」であり、多少の足踏みはあったとしても、下のほうのクラスでは、役者が違う、というような勝ちっぷりをみせるものだと思っていたんですよね。
佐藤さんは、プロ棋士になってから、流行の棋譜を追わずに、長期的な視点で、古典を勉強していったそうです。
この話をある観戦記者の方にしたところ、「勉強法の賭けに出たのですね」と言われました。当時は「賭け」という意識はあまりありませんでしたが、失敗する可能性もあったのだから、確かにそう言えるかもしれません。
実際、なかなか結果は出ませんでしたし、「もしかしたらダメなのかな」と弱気になったこともあります。C級2組(奨励会を卒業した人がプロ棋士として所属する最初のクラス)の突破には四年もかかりましたし、その間に結果を出している同世代の若手棋士もたくさんいました。
ところが、C級2組から昇級してからの佐藤さんは、すごい勢いで駆け上がっていったのです。
そしてC級2組を昇級し、翌年のC級1組も八勝二敗の成績を挙げて連続昇級を果たします。このときは途中で豊島将之さんと全勝対決があって、それを制したのも自信につながった気がします(豊島さんには三段リーグで勝った話もしましたが、手痛い負けもたくさん食らっています)。
Bクラスに上がってからは、それまでの停滞を挽回して上に行く流れが生まれてきました。土台づくりの勉強法が間違っていないこともわかりましたし、自信を持つことができました。
B級2組の突破は二期目で全勝、B級1組(十勝二敗)とA級(八勝一敗)はそれぞれ一期で昇級し、名人に挑戦。低迷していた四年目を乗り越え、C級2組を突破してから名人になるまでは六年、一気に駆け上がった感じがします。
順位戦の最低ランクのC級2組から、わずか6年で名人という頂点へ。
一度ブレイクスルーを果たすと、こんなに劇的に強くなる人がいるのだな、と驚かされます。逆に考えれば、のちに名人になるような人でも、こういう「低迷期」を経験することもあるのですね。
佐藤さんは、C級2組でくすぶっていたときも「自分の勉強法を変えて後悔するくらいなら、上に行けなくても、信じてこのままやってみよう、プロ棋士であれば、とりあえず食べてはいけるのだから」と考えていた時期があったそうです。
それは、「勝負に対する貪欲さの欠如」のようにも感じるし、「勝ち負けよりも自分のスタイルを貫こうという美学」とも思われます。
結果として名人になったのだから、佐藤さんは正しかった、としか言いようがないのですが。
いまの時代は、あまりにもいろんな情報が手に入りすぎ、「目の前の効率」を追うあまり、かえって、軸が定まらなくなってしまうことが、多いのかもしれませんね。
この本を読んでいて、すごく印象的だったのは、佐藤さんのこんな言葉でした。
どんな状況でも自分に厳しくできる方は、とことん追い込んでもいいでしょう。反対に自分に厳しくなりきれないという方は、自分の弱いところを見つめはしても、あまり責めすぎなくてもいいと思うのです。
私が好きなアインシュタインの言葉があります。「どんなときも自分を責める必要はない。必要なときに他人が責めてくれるから」
「自分を責めない」ということは私が対局や人生において大切にしている基本哲学で、この章でも繰り返し書いていきます。
周囲の人には優しい自分でありたいし、それと同じくらい自分自身に対しても優しくありたい。
努力ができない甘さとか、弱さだとか、楽をしたい気持ちというのは自分だけが持っているわけではなくて、みんなにあるはずです。
だから、そういう気持ちに引け目を感じる必要もないし、かといって「自分は弱いからしょうがないや」と開き直ってもいけない。
そうではなくて、「私には弱いところがある。ある程度できないのは仕方がないけれど、できるところはきちんとやっていこう」と考えるほうがずっといいでしょう。
変に自分に厳しくしすぎずフラットな心持ちでいれば、無意味な負荷や過度なストレスをかけることもありません。
その「フラット」が難しい、というのはもちろんなのですが、こういう考え方なら、僕にもそれなりに「ついていける」ような気がします。
佐藤さんは、もともと、「毎朝早起きして定時に何かをやること」が大の苦手で、だからこそプロ棋士を目指した、ということも書いておられます。
自分を責めない、でも、開き直って諦めもしない。
自分の弱さを認めながら、できるところを、きちんとやっていく。
ちなみに、佐藤さんは、こんな話もされています。
あることにチャレンジしようとして、もしうまくいかなければ、自分の中に原因を探るよりも、いまの状況を見つめ直して、そこから改善するのが手っ取り早いような気がします。
「現代っ子」という言葉はちょっと古いかもしれませんが、「ゆとり世代」っぽいなあ、と思いつつも、こういう考え方ができるようになった世代というのは、けっして悪い方向には進んでいないと思うんですよ。
佐藤さんは、現在、将棋ソフトのポナンザと第二期電王戦で二番勝負を行っています(第一戦はポナンザの勝利)。
ただ、人間の名人がソフトに敗れたことは、僕が予想していたほど大きなニュースにはなりませんでした。
正直、現名人じゃなくても、羽生善治さんが負けたら、ネームバリュー的に大きなニュースになったかもしれない、とも思うんですけどね。
ただ、いまのコンピューターと人間の棋士の力関係を知っていれば、少なくとも「何番勝負かすれば、人間側が全勝ということは、まずありえない」ことは予想がつくはずです。
羽生さんだって、人間相手に全勝ではないわけですし。
佐藤さんは、コンピューターとの対局について、こう仰っています。
正直に書くと、棋士がコンピューターに負けるのはおかしなことではないと私は思っています。もちろん電王戦では、勝つつもりで全力で戦います。しかしプロになったときから私はすでにそういう考えでした。
将棋は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」です。難しい言葉のようですが、要は偶然や運に左右されない、プレイヤーの実力がそのまま出るゲームのことです。将棋だけでなく囲碁もそうですし、チェスやオセロも同じです。麻雀は牌が伏せられていて、どんなものを持ってくるかわからないので、これには該当しません。
実力がそのまま出るゲームである以上は、いつかは人間がかなわなくなる日が来るはずです。ほかの分野でもコンピューターはどんどん人間の能力を凌駕していましたし、それは将棋界も変わらないはず。開発者の努力だったり、ハードウェアの進化もあったりするので、Xデーがいつにになるかはわかっていませんでしたが、その日は必ず来るだろうという考えでした。
1988年生まれの佐藤さんは、「将棋ソフトが全然人間にかなわなかった時代」を体感していないわけですから、コンピューター将棋に対する「負の先入観」を持っていないのです。
いまの若い世代の考えとしては、「そりゃ、コンピューターには、いつか、かなわなくなるのが当然だろう」なんですよね。
それでも、人間の棋士の対局には、コンピューター将棋にはない、背景やドラマがある、というのが、佐藤名人の現時点での「解答」のようです。
将棋界の「新しい世代」って、こういう感じの人たちなんだなあ、と、少し理解できた新書でした。
- 作者: 羽生善治,NHKスペシャル取材班
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2017/03/08
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